第五章 ダンスくらい、やってみせますわよ(1)

「やっとお戻りになられたんですね、姫さま」



 窓から自室に入るアンジェリカを、メルが眠たげに目をこすりつつ出迎えた。



「先に寝ていてといったはずですわよ、メル」


「姫さまがちゃんと戻られるまでは、心配で眠れるわけがありません」


「もう……心配性でございますのね、メルは。ほら、もうおやすみなさいませ」



 メルを自分の部屋へ追い立てると、アンジェリカは寝間着に着替えてベッドに入った。横になると、舞踏会とダンスの稽古への重い気持ちが襲ってくる。


〝皇族や貴族たちは……舞踏会に明け暮れて……〟


 今日読んだ新聞の記事が脳裏によみがえる。


 貴族たちの見世物や笑いものになるのは勘弁。かといって、そんな輩が世情を無視してぜいにふけるのを目の当たりにするのも業腹だ。


 アンジェリカは、エイベルから打ち明けられた話を思い返す。


 皇室派と貴族派が反目し合っているのは、日刊マグナフォートの過去記事であきらかだ。しかし、まだまだ皇国の情勢に疎いアンジェリカには、それがどんな陣営なのか把握できていない。蟄居しているエイベルがどちらにもくみしていないのは明白だが、ミルドレッドはどうだろう。皇族なら皇室派ともいいきれないし、叔父のローガン大公爵がどちら派なのかも不明だ。


 ノルグレンでも、アンジェリカとエイベルの結婚に反対する豪族たちがいた。


 オリガ女王が独断で決めた皇国との縁組。反対派の豪族は、皇国よりも脅威なほかの国々ときずなを結ぶべきだと主張していて、そんな彼らの襲撃を警戒し、あんな目立たない質素な馬車での輿入れとなったのだ。


 さらに、弟ともわいがっていた甥のダニールから聞いたうわさによると、反対派の豪族の背後には、ノルグレンとの同盟を狙う他国の気配があったらしい。


(……ダニール、元気かな)


 ふと、アンジェリカは可愛がっていた少年王子を思い出す。


〝差し入れを持ってきました、アンジェリカ姉さま〟


 パンや干し肉の入ったかごを提げ、ダニールはよくアンジェリカを訪れた。


〝母上は豪族たちとの会議が長引いているんです。あの様子だと明け方までかかりそうですから、いまのうちにたくさん召し上がってください〟


 祖父を脅し、無理やりアンジェリカをスラムから連れ出した横暴なオリガ女王は憎んでいても、その息子であるダニールは可愛かった。


 母親と違い、優しげな面立ちの少年。軟禁状態のアンジェリカを姉のように慕い、温かな衣服や寝具、食料をこっそり差し入れたりと気遣ってくれた。


 彼の父は王家の血を引く豪族の出。亡き前王に血筋だけでオリガの伴侶に選ばれ、ダニールが生まれたあとはオリガに振り向きもされず、王宮で飼い殺しのように暮らし、アンジェリカが連れてこられる前年に亡くなったという。


 影は薄いが心優しい亡き父の思い出や、横暴な母への不満を少年はよく語っていた。女王のひとり息子で、十五歳で国を背負う重圧をかけられていた彼。こちらを気遣ってくれたのも、オリガに利用されるアンジェリカへの仲間意識だろう。


 ノルグレンで孤立無援だった身には、少年の気遣いにどれくらい救われたか。輿入れから逃亡する計画を打ち明けられたのは、メルと彼だけだった。


 自分がいないいま、少年はどう過ごしているのか。心優しい彼から受けた親切への感謝と、彼の現状を案じる気持ちはいつまでも尽きない。



「……それに比べて」



〝もしや面白がっておいでじゃございませんこと!?〟


〝否定はしない〟



「涼しい顔してくれちゃって、むかつく!」



 エイベルの澄ました顔を思い出し、アンジェリカは腹が立ってベッドのなかでじたばたする。三つも年下のくせに! なんて気持ちもこみ上げる。


 それでも、エイベルが自分の秘密の一端を打ち明けてくれたのは、大きな一歩だ。完全に信じたわけではないといったが、こうやって少しずつ信頼を積み重ねていけば、この結婚を破談にすることに、より協力してくれそうだ……。


 まぶたが重くなる。眠気のなかで、かすかにうずく脇腹の傷を意識する。


 もう、あんな失態はしない。絶対に。


 様々な想いを抱えつつ、アンジェリカは急速に深い眠りの底へと落ちていった。

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