第五章 ダンスくらい、やってみせますわよ

第五章 ダンスくらい、やってみせますわよ(1)



 深夜、エイベルの自室の窓をこつんと叩く音がした。


 掃き掃除をしていたエイベルは顔を上げる。裏庭に面した窓はカーテンがかかって見えないが、こんな夜に、しかも窓から訪ねてくる相手はひとりしかいない。


 歩み寄ってカーテンを開ければ、案の定。



「……なぜ君はまっとうにドアから来ない」


「お目通りを願わなくてはなりませんでしょ」



 エイベルが開ける窓から、部屋着のアンジェリカが入ってくる。先に風呂に入ってきたのか、髪も顔も輝いていた。



「朝まで待てないのか。なんの用だ」



 いちおう男の部屋なのだが、とエイベルはため息をついた。



「皇女殿下から、舞踏会への招待状いただきましたわ。ご存じですわよね」


「知っている。君ひとりで行ってくれるなら助かるが」


「わたくしひとりで行くほど厚顔無恥じゃございませんですわよ」



 む、とアンジェリカは腰に手を当ててむっとする。本当にころころ表情が変わるなと半ばエイベルは呆れつつ、ふとその輝くような豊かな表情に見惚れてしまう。


(……馬鹿な)


 そんな自分に気付き、腹立たしくなった。彼女が悪い人間ではないのはわかる。だが、こちらの感情が乱されるのは落ち着かない。



「お茶会でのわたくしの失態で、皇女殿下が見限らなかったのは意外でしたの。しかも皇宮の舞踏会にお誘いいただけるなんて。あの、もしかして」



 アンジェリカはこちらをうかがうように訊く。



「お茶会のあと、残っておられましたですわよね。そこで皇女殿下になにか取りなしていただけたのでございますかしら」


「ただの世間話だ。舞踏会への招待も君の突飛な行動が目を惹いたんだろう」



 そっけないエイベルに、ふぅん、とアンジェリカはうなる。



「では、そこは追及いたしませんわ。皇女殿下にお尋ねすれば済む話ですもの。ですけれど、牙猪から助けていただきましたこと、感謝しておりますですわ」



 といって、アンジェリカは目を伏せる。



「……そのご厚意も、無為にしてしまいましたけれど」


「まったくだ」



 しおらしくなるアンジェリカに、エイベルはぎこちなく目をそむける。


 本当に調子が狂う。言葉遣いは大仰でおかしいし、窓から出入りするのも気にしない行儀の悪さ。かと思えば、感情豊かな上に打てば響く知性、思いもよらない行動力にも目をみはる。一筋縄ではいかないようでいて、性格はまっすぐで素直。


 これまで大公爵始め貴族たちから送り込まれた花嫁たちは、みな居丈高で気位が高く、魂胆を秘めていて、とても心を許して過ごせる相手ではなかった。


〝この結婚を、ぶち壊したいんですの〟


 だがアンジェリカは、初手から胸の内を大胆に明かしてきた。


 ずっと氷の張った湖のように心を閉ざしてきたエイベルにとって、彼女はその氷を割って飛び込んできた光に見えた。


 だから混乱する。だから──だから、彼女から目が離せない。



「そんなことより、怪我の具合は。手当てはしたと侍従長から聞いているが」


「日常生活に支障はございませんわよ。ご心配おかけいたしましたわね」



 心配など、といい返そうとしたが舌はこわばる。支障はなくてもきっとまだ痛みはあるに違いない。懸念にエイベルの胸は重くふさがる。



「ところで、なぜ夜中に掃除をなさっているんでございますの」



 エイベルが口を開く前に、不思議そうにアンジェリカは室内を見回す。



「朝起きてから、窓を開けて掃けばすっきりしますのに」


「そうか、そうだな。どうりで空気が埃っぽいと……」



 自分の間抜けさを告白するようで、あわててエイベルは口をつぐむ。



「人目につく時間帯に掃除をすれば、侍従長たちに気を使わせる」


「まあ、お優しいのでございますわね」



 からかっているのか、と見ればアンジェリカは素直に目を丸くしていた。



「べつに、そういうわけじゃない」



 気恥ずかしさに目をそむければ、アンジェリカは気付かず言葉を重ねる。



「わたくしも昔は自分で掃除していましたわ。いまはメルが『わたしの仕事を奪わないでください』って嘆くのでやらなかったんですけれど、お世話されるのは落ち着かなくて。やっぱり殿下を見習って、自分の身の回りは自分ですべきですわね」



 いちいち褒められるのがくすぐったい。エイベルは強引に話を変える。



「それより、舞踏会に出るというならダンスはできるのだな」


「へ? ダンス? ……って」



 一瞬ぽかんとしたあと、アンジェリカは大きく息を吸った。



「あっ! ま、待って。いえ、お待ちくださいませ! ダンス、ですわね、そうでございますですわよね、舞踏会でございますものね。えっ……ダンス……」



 目に見えてうろたえる彼女に、エイベルはこみ上げる笑いを嚙み殺す。



「経験はなさそうだな」


「な、ないことはございませんですことよ。街の祭りでのダンスは見たことはございますし、たかが手足を動かすだけでございますでしょ」



 必死になってまくしたてるアンジェリカに、エイベルは容赦なくいった。



「では、これから舞踏会まで毎日稽古をする」


「は? ま、毎日? 噓でございますわよね!?」



 驚きに声を上げるアンジェリカに、エイベルは澄ました顔で追い打ちをかける。



「噓ではない。ミルドレッドが招く皇宮の舞踏会なら、皇族だけでなく名だたる貴族たちも集って参加するはずだ。新参の君は注目の的だぞ」


「で、ですけれど、わたくし、その、新聞社の仕事もございまして……」


「恥をかきたいのなら好きにすればいい」



 そっけなくいえば、うぐぐ、とアンジェリカは唇を嚙みしめる。



「わかりましたでございますわよ! ええ、やってやろうじゃございませんの。たかがダンスですわ、わたくしの実力を見せてさしあげますですわよ」



 自暴自棄にいい返す彼女に、エイベルはもう笑いを抑えるのに全力になる。



「殿下、もしや面白がっておいでじゃございませんこと!?」


「否定はしない」



 さらりと返せばすごい目でにらまれて、エイベルはこらえきれず唇の端に笑みをこぼした。アンジェリカはふんまんやるかたないといった顔で、つんと身をひるがえす。



「わたくしの用件は済みましてでございますわ。それでは、これで」


「まだ話すことがある」



 エイベルの言葉に、窓に歩みかけたアンジェリカの足が止まる。



「以前、君は〝なぜ僕が軟禁だけで無事なのか〟と訊いたな」


「ええ、お尋ねしましたけれど」


「君を信用したわけではない。だが」



 意味ありげにエイベルは言葉を区切る。



「〝母殺し〟で皇帝と皇族たちに疎まれてこの皇子宮に蟄居している僕が、なぜいまも無事なのか、それだけは話そう」


「教えていただけますの」



 慎重な声音で尋ねるアンジェリカに、エイベルは淡々と語る。



「まず、僕がマグナイト鉱山の権利を持っていること」



 アンジェリカが目をみはった。エイベルは言葉を重ねる。



「母方の祖父から受け継いだものだ。未開発だが資産価値は計り知れない。もし僕が命を落とせば、鉱山をめぐって騒動が起きるだろう。そして」



 エイベルのまなざしが、鋭く光った。



「皇室と対立する貴族派を失脚させる、ある事実を握っているからだ」


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気になる続きは、明日9月30日更新!

『薔薇姫と氷皇子の波乱なる結婚』は、メディアワークス文庫より発売中!




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