第四章 張り合ったわたくしが、愚かでした(2)





「まさか、ローガン大公爵まで現れるとはな」



 執事の先導で狩場の森へ歩みながら、エイベルが険しい顔でつぶやく。そんな彼の横顔を見つつ、アンジェリカはつぶやく。



「あまり空気を読むのがお上手な方ではございませんようね」



 兵士を従えての登場で、華やかな茶会の場は堅苦しい空気になった。ミルドレッドは笑みを絶やさなかったが、アンジェリカの目にはどこかよそよそしく映った。実の叔父なのに、嫌っているのかと邪推したくなる。



「皇女殿下の叔父上だそうですけど、エイベル殿下ともご姻戚になりますの」


「皇女の母方の血縁だ。僕と血のつながりはない……いや」



 そういえば、エイベルとミルドレッドとは腹違いの姉弟だったと思い出していたとき、エイベルがいい直した。



「前の結婚相手のうちのひとりが、彼の血縁だった」



 おや、とアンジェリカは片方の眉を上げる。



「だから危うく姻戚になるところだった。そうならなくて幸いだったが」


「その口ぶり、大公爵をよくは思ってらっしゃらないようですわね。なのに、どうして結婚なんて受けたんでございますの」


「政務大臣も務める皇国の重鎮だ」



 エイベルの返答は短かった。つまり、そんな権力者からの縁組なら断り切れなかったということか。しかし、権力を気にするような性質には思えないのに。


 アンジェリカがさらに問いただす前に、エイベルはすぐに話題を変えた。



「それよりも勝算はあるのか。いくら君が狩りの経験があるとはいえ」


「実は、狩りをしたことはございませんの」



 とんでもない告白に、なんだと! とエイベルがアンジェリカを凝視する。



「本で読んだ知識と、熟練の狩人から聞いた話のみでございますわ」


「知識だけであのはったりか。馬鹿な!」



 吐き捨てるエイベルに、アンジェリカは淡々と返す。



「こちらにはなにもございませんでしょ。ですけれど、どうしても要求したいことがある。であれば、賭けられるものは賭けなくてはなりませんですわよ」


「僕のためといったな。なぜそこまでする」



 ふたりは一瞬、足を止めてお互いを見つめ合う。



「誤解なさらないでくださいませ。わたくし自身のためでございますわよ。あなたを自由にすることが、わたくしの自由につながるのですもの。……ですけれど」



 りんとしたまなざしで、アンジェリカは告げた。



「閉じ込められて、だれかの意のままになるしかない悔しさは、わかりますわ。ノルグレンの王城で、わたくしはそんな扱いだったのですもの」



 エイベルは息を吞み、アンジェリカのしいまなざしを見返す。


 ややあって、エイベルは唇を引き結んで目を落とした。


 そんなふたりの後方では、使用人によってテントが張られ、テーブルと椅子が置かれていた。ほかのドレスに着替えた令嬢たちが腰を下ろし、茶菓子が運ばれ、並んだカップにふたたびお茶がそそがれる。


 そこだけ見れば優雅なピクニックだ。アンジェリカの狩りも、身分高いものたちにとってはただの茶会の見世物というわけだ。


 むろん、政務大臣である大公爵も姫君たちの輪に加わっている。その背後には、いかめしい佇まいの兵士たち。艶やかな花園に不穏な獣が紛れ込んだよう。



「あれだけ兵士がいるなら、勢子も務まるだろうに」



 後方の物見遊山組を冷たくいちべつすると、エイベルはアンジェリカに尋ねる。



「引き返すならいまだぞ」


「ご安心を。命をむざむざ捨てる真似はいたしませんわよ。それでは」



 背負った矢筒を揺すり上げ、腰のこん棒とナイフを確かめて、アンジェリカは弓を握って歩き出す。狩場の門が開かれ、うっそうと茂る森へと足を踏み入れる。


 それを見送り、エイベルは茶会の席へ戻った。



「久方ぶりですな、殿下。六年前、皇宮でお会いして以来です」



 腰を下ろすと、対面に座る大公爵たるローガンが悠々たる態度で口を開く。


 六十間近、政務大臣も務める彼は確たる地位と家系に盤石の余裕をまとっている。自分が揺らぐことなど毛ほども考えていない手合いの人間だ。



「殿下はまだ十二歳でした。そう……あの〝悲劇〟が起こる前でしたな」



 場の空気が凍る。にこやかだった令嬢たちの顔がこわばった。


 エイベルの〝母殺し〟の件を指しているのは明白だ。当のエイベルはまったく顔色も変えず、ただ静かにカップを傾けて茶を一口飲む。



「ローガン叔父さま。茶会にふさわしくない話題はおやめになってくださる?」



 ミルドレッドがにこやかに、しかしとげを含む口調で口を挟んだ。



「お招きしてもいないのに、大仰なお供を連れて女性ばかりの茶会にいらしたあげく、わたくしのお客さまに失礼なことをおっしゃるなんて」


「殿下も男性だが、よいのですかね」


「この地にいらして間もないアンジェリカ姫君だけでは、心もとないでしょう」



 ミルドレッドの言葉に、大公爵は愉快そうなまなざしをエイベルに向ける。



「なんと愛妻家だ。何人もの花嫁を追い出したお方とはとても思えませんな」


「破談は三人だけだ。それも向こうから出ていった」



 エイベルは冷たく固い声で答える。大公爵はふん、と鼻を鳴らした。



「寝室をともにしないどころか、触れもしなかったそうですが」



 ミルドレッドがやんわりとたしなめる。



「いやですわ、叔父さま。未婚の令嬢ばかりの席で明け透けよ。そんなお話をしにお茶会にいらしたの」


「いや、実は病床の陛下を見舞った帰りです。皇后陛下ともお話をしてきた」



 ローガンは意味ありげにエイベルを見やる。



「ノルグレンとの縁組は、陛下のご意向を受けて皇后陛下が進めたもの。貴族たちの反対を押し切ってね。……しかし、陛下のご容態は芳しくない」



 茶を一口すすり、もったいぶって間を置いてから、大公爵はいった。



「私がいるあいだ、皇帝陛下は寝台で一度も目を開けなかった。あの容態で、どうやって皇后陛下は、そのご意向を汲んだのでしょうね?」



 場が静まり返る。令嬢たちは息を吞み、ミルドレッドは美しい眉を吊り上げる。エイベルは沈黙のなか、鋭い声で返した。



「貴殿は、皇室への不敬を働くつもりか」


「まさか。我がベリロスター家が代々皇室派なのはご存じでしょう。あくまで私は、陛下と国の行方をご心配申し上げているだけです。皇女殿下、貴女が皇后陛下のお気に入りなのは存じています。しかし、あまり深入りはなさいませんよう」



 カップを置き、大公爵は意味深な口調で告げた。



「……貴族派に、足をすくわれないためにもね」


「いやなこと、殿方はすぐ政治の話をするのね」



 眉をひそめるミルドレッドに大公爵は口元にしわを寄せて笑った。



「投資にけた殿下のお言葉とは思えませんな。経済と政治は密接な関係にある。まさか情勢を無視なさっているわけではありますまい?」



 そういうと、大公爵はエイベルにろうかいな笑みを向けた。



「エイベル殿下、心してください。女性は権力を持たない分、裏で結託してはかりごとをする。殿下を籠絡した偉丈夫な奥方も、貴方を裏切る企みに加担するやもしれませんぞ」





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気になる続きは、明日9月28日更新!

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