第四章 張り合ったわたくしが、愚かでした

第四章 張り合ったわたくしが、愚かでした(1)


 貴族の令嬢たちは我を忘れて口を開けてアンジェリカを見つめた。


 伴侶予定の皇子を差し置いてまず名乗る不作法、その上この場に不似合いな男装と、粗野と映っても当然の態度と格好だ。


 だが、アンジェリカの華やかな美貌と、肩に流れる見事な赤毛、細身で完璧なスタイルに、不快よりも先に目を奪われてしまう。



「姉上のお招きに感謝する」



 そこへ、エイベルが進み出る。ほう……と令嬢たちは思わず吐息した。


 型破りなアンジェリカに比べ、エイベルは黒がベースに金の刺繡のゆるやかなガウン様の衣装。上品な準正装で、茶会という場にふさわしいデザインだ。長身を引き立て、冷然たる美貌にもよく似合う。



「皇女殿下にふさわしい贈り物が思いつきませんでしたので」



 アンジェリカは、かついでいた大きな牙を差し出す。



「ノルグレンのぎんせつぞうの牙でございますわ。お納めくださいませ」



 牙は美しい彫刻をほどこされていたが、先端は鋭く上向いてどうもうだ。令嬢たちは思わず息を吞み、ミルドレッドも驚きに目をみはる。


 ひるむ姫たちにかまわず、アンジェリカは澄まし顔で語った。



「銀雪象は死期を悟ると雪深い山奥に身を隠しますの。そのしかばねを探し当てるのは困難を極めますのですわ。ですから、とても貴重な品でございますですのよ」


「まあ……それは素晴らしい贈り物ね。感謝するわ」



 ミルドレッドが驚きを収めて礼を述べると、すかさず控えていた使用人たちがアンジェリカの手から牙を受け取った。


 執事に案内され、優雅な仕草でエイベルはテーブルに腰を下ろし、アンジェリカはなんとかぎこちなさを隠して椅子につく。



「ようこそ、妃殿下。おうわさは皇宮にまで届いていてよ」



 ミルドレッドがにこやかにいうと、エイベルに緑の瞳を向ける。



「妃殿下とお話ししてもかまわないわね、エイベル」


「好きにしろ。今日の僕はただの添え物だ。それと……」



 エイベルは限りなくそっけなく答える。



「まだ正式に式は挙げていない。妃殿下はやめろ」


「そうだったわね。それではアンジェリカ姫」



 執事がカップに茶をそそいだのを見計らい、ミルドレッドは緑の瞳を向ける。



「皇国はいかが。ノルグレンと違って温暖で過ごしにくいのではなくて?」



 ミルドレッドの言葉に、令嬢たちが一斉にさんざめく。



「北国は長く雪に閉じ込められるとうかがいましたわ」「他国の文化もなかなか入ってこないそうですわね」「そのご衣裳も、ノルグレンのお国ぶりかしら」



 アンジェリカはにっこり笑いつつ、胸の内でもやっとする。つまりは田舎者というわけ。さすが歴史ある皇国の令嬢たち、嫌味の言葉選びもまろやかだ。



「今日の装いは、皇女殿下よりいただいたものでございますですわ」



 アンジェリカは真向かいに座るミルドレッドにほほ笑みを向ける。



「素晴らしい衣装ばかりで、皇女殿下はお目が高いと感心いたしましたですのよ。ご厚情に深く感謝しておりますですわ」


「ささやかな贈り物よ。それは狩りの衣装ね。アンジェリカ姫は狩りもお得意なのかしら。もしやあの牙、ご自分で?」


「さすがに違いますですわ。狩りもたしなみ程度でございますもの」



 表面上はにこやかな腹の探り合いをふたりは会話をつづける。



「姫さまのお言葉遣い、よい響きですわね」「ほんと、素敵なお話し方」「皇国では聞けない異国情緒がありますもの」



 令嬢たちのくすくす笑いに、こいつ、とアンジェリカは胸の内で悪態をつく。下手に丁寧な言葉遣いにしようとしておかしくなるのは、よくわかっている。露骨に指摘されても腹が立つが、褒めているようでけなされているのも腹立たしい。



「ねえ、みなさま。姫さまの狩りの腕前、ぜひ拝見したく思いませんこと」



 ミルドレッドの隣に座る令嬢が声を上げる。位置からしておそらく皇女のお気に入りなのだろう。その意をむのも得意と見えた。



「そんな、お見せするほどのことではございませんですわよ」



 顔が引きつるようにアンジェリカは笑うが、令嬢はたおやかに笑い返す。



「皇女殿下の宮殿の敷地に、専用の狩場の森がありますの。柵で囲ってありますけれど、多くの獣が放たれているのですわ」



 敷地に狩場? いくら第一皇女とはいえ、いくらなんでも広すぎるのではないか。しかも獣が放たれているって……。



「そうね。いかがかしら、エイベル」



 ミルドレッドが、ずっと沈黙している皇子に麗しい緑の瞳を送る。



「あなたの未来の妃殿下をお借りしてもよろしくて」


「なぜ、僕に許可を取る」


「挙式はまだとはいえ、あなたの配偶者の方だもの」


「彼女は僕の所有物じゃない」



 強い口調でエイベルは答える。ふだんの冷ややかさとは打って変わった激しい熱を感じる声に、アンジェリカは驚く。こんな苛烈さを彼は隠し持っているのか。


 ──彼女は僕の所有物じゃない。


 いまの彼の言葉を、アンジェリカは脳内でくり返す。


(わたしを手駒としか見ないオリガ女王なら、そんなこと絶対にいわない)


 ミルドレッドの隣に座るべつの令嬢が、とりなすように声を上げた。



「では、ご本人が受けてくださればよろしいのですわよね。いかがかしら、アンジェリカ姫さま。わたくしたちに狩りの腕前を見せていただけません?」



 場の目線がアンジェリカに集まった。


 アンジェリカはお茶のカップを前に考える。これが新参のよそ者をからかい、試す目的なのはあからさま。古い体質のテリトリーに踏み込む目障りな異分子は、徹底的に排除するか、骨抜きにして取り込むかだ。


 排除されてはこちらの目論見がつぶされる。といって骨抜きになどされてたまるか。アンジェリカはこっそり胸の内で牙を剝く。



「それでしたら、皇女殿下の腕前もぜひ見せていただきたいでございますわ」



 あら、と困ったようにミルドレッドは小首をかしげる。



「残念だけれど、狩りは見るだけなのよ」


「狩りではございませんわ。わたくし、殿下のうわさも聞き及んでおりますの。……投資には、たいそうな腕前だそうでございますわよね。その腕で」



 アンジェリカは、鋭いまなざしで突きつける。



「皇子殿下のお力になっていただきたいのでございますの」



 意表をつかれたか、ミルドレッドは大きくまばたいた。



「──姫ご自身ではなく?」


「新参のわたくしより、皇子殿下のほうが投資がいがあると思いますの」



 ふたりはまた、測るようなまなざしでお互いを見つめ合う。ややあって、ミルドレッドは執事に目線を送りながら口を開いた。



「狩場には、さまざまな獲物を放っているわ。赤ウサギ、あお鹿じしきん……なかでも、この南の地方にしか生息しないきばいのししは、牙が素晴らしいの」



 きらりと、緑色の瞳が妖しく光る。



「贈り物の銀雪象の牙と並べて、皇女宮の玄関口に飾りたく思いますわ」


「やめろ、ミルドレッド」



 エイベルが鋭い声でいった。



「やり過ぎだ。牙猪は小型でも狩人かりゆうどを殺しかねない」


「あら、あなたの所有物でないのなら、受けるも受けないも姫の一存よ」



 エイベルの抗議をしりぞけ、ミルドレッドは美しい瞳を向ける。



「いかが、ノルグレンの姫。わたくしたちにあなたの腕前を見せていただける? 見事あなたがその腕を披露してくださるなら……」



 といって皇女は語尾を濁す。アンジェリカは挑むように紅い瞳を輝かせた。



「それでは、この場でたしかに約束していただけますですかしら。わたくしの頼みを、間違いなく聞いてくださると」


「そうね、よろしくてよ」


「この場のみなさまが証人ということでございますわね。では、受けますわ」



 アンジェリカの言葉に、令嬢たちも使用人たちも驚きの目で注目する。



「素晴らしいわ、アンジェリカ姫」「さすが勇猛で鳴らすノルグレンの姫!」



 令嬢らは煽るように口々に賞賛し、エイベルだけが険しい顔になる。ミルドレッドはとろける笑みでアンジェリカに告げる。



「武器はお貸しするわ。ご希望のものをどうぞ」


「武器だけでございますの? や猟犬は?」


「用意がないの。でも餌を与えているので、さほど凶暴ではないはずよ」



 澄まし顔のミルドレッドに、腹黒! とアンジェリカは胸のうちで毒づく。



「わかりましてでございますわ。それでは武器を貸していただけますかしら」



 やってやろうじゃないの、と闘志を燃やしてアンジェリカは腰を上げると、挑発的な笑みでその場の令嬢たちを見回した。



「皇女殿下の玄関を雄々しく飾ってさしあげますでございますわよ!」


「……うわさ通り、型にはまらぬ姫君ですな」



 ふいに穏やかな声が割って入った。一同が振り返ると、どっしりした体を狩猟服に包んだかんろくある中年男性が、兵士たちを従えて歩んでくる。


 一見して身分ある人物。だれだろう、と思ったとき、ずっと澄まし返っていたミルドレッドが一変、驚きもあらわに声を上げた。



「ローガン叔父さま!? ご招待していないのに、なぜここへ」



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