第三章 せっかくのお茶会、張り切ってまいりますわ(4)




 茶会、というからにはやはり相応の装いが必要。


 上流階級の作法に疎いアンジェリカでもそれくらいは察しがつく。ましてや相手はエイベルの姉で皇族。それなりの格好でなければエイベルのメンにもかかわる。


 どんな世界にも暗黙のルールがある。スラムでもおなじだ。


 ここから先は踏み込んではいけないとか、ゴミ拾いも元締めの了解がなければ叩き出されるとか。だからきっと、皇国の社交界でも面倒な作法があるはず。


 傍若無人なアンジェリカだが、無知からの無礼でせっかくの機会をぶち壊したいわけではない。今回の茶会の目的は、社交界に伝手を作り、エイベルの味方を増やすこと。だから少々の堅苦しさには我慢するつもり。……あくまで〝少々〟だが。



「皇子宮に割り当てられた予算は、姫君の輿入れにともない微増いただきました」



 アンジェリカの私室で、侍従長はうやうやしく一礼する。



「とはいえ本当に微増でして申し訳ございませんが、その範囲内で急ぎ、姫君のお支度を整えさせていただきます」


「むろんでございますわ。侍女長もメルも手伝ってくれますし」


「ええ、お任せくださいませ。久々に腕をふるわせていただきます」


「はい、わたしも勉強のためにがんばります」



 侍女長であるティモシーの母と、侍女のメルが意気込んで答える。


 侍従長も侍女長も、どちらも〝長〟と呼んでいるが、皇子宮に勤めるエイベル付きの侍従と侍女はこのふたりのみで、あくまで名前だけ。それでも熟練の手際から見るに彼らはすこぶる有能で、数が少なくても充分だ。


 初日に粗野な振る舞いを見せたアンジェリカにも、彼らは「殿下のお命を助けてくださった」と心酔してくれている。グリゴリ伍長の離反は残念だが、このふたりと騎士のティモシーの信頼を得たなら現時点では充分だ。



「とはいえ、予算内であれば……ドレスは三着、せいぜい五着が限度かと」


「は? さ、三着? いえ、五着!?」



 侍従長の言葉に思わずアンジェリカは腰を浮かせる。



「待ってくださいませ。三着も五着も、わたくしはひとりでございますわよ」


「五着でも少のうございます。第一皇子の妃殿下となる方であれば、一回の茶会に予備を含めて最低でも十着以上は必要でございます」



 頭がくらくらした。


 ノルグレンで着ていたのは死なない程度のわずかな衣類。ここでもよそいきといえば初日の会食用のドレスしかなく、手持ちの路銀もわずかだったアンジェリカにとって、一着以上は〝たくさん〟の単位になってしまう。



「これ以外にもお靴にお下履き、身に着ける装飾品やお花、お土産代にも予算を割かなくてはなりません。とても足りないかと存じます」


「はあ……さようで、ございますですのね」



 目まいがして、アンジェリカはどさりと椅子に腰を落とす。


 ふと不安になった。他国の財政状況に口を挟むのもなんだが、皇国はさほどに豊かなのか。それとも皇族がどんなに贅沢しても揺るがないくらい、マグナイト資源で潤っているというわけか。新聞社のある下町の様子を思い返す。


 路肩のしきいしは剝がれ、家々の壁もぼろぼろだった。下水道のいやな臭いも気になる。手入れや整備がおろそかになっているのは確実。人々の服装も、老若男女問わず着古して肘や膝に継ぎあてしていた。贅沢からはほど遠い。


 下町とはいえ皇都の一部。それなのに住まう人々には余裕がなく、設備が目に見えて老朽化しているなんて。


 そういえば、とアンジェリカは思い返す。


 皇都に入る前に見たが、城壁の外には物乞いが多く集まっていた。


 ノルグレンでも似たような光景はあるのでさして違和感はなかったが、皇子宮で受ける厚待遇からすれば、貧民の多さはやはりおかしい……。



「父さん、母さん!」



 ティモシーの声が響き、ドアが激しく叩かれた。騎士の父である侍従長が、ふう、としらひげを震わせて吐息すると、優雅な動きでドアを開ける。



「騒がしいぞ、護衛騎士どの。なにか火急の事態ですか」


「父さん……じゃない、失礼しました、侍従長どの」



 職場ということで、ティモシーはあわてて他人行儀な態度を取り繕う。



「その、いまこの宮の門前に多くの馬車が寄せられまして」



 アンジェリカは一瞬身構える。まさか、なにかエイベルの身に危険が……? だがそれは、エイベルでなくアンジェリカにとって火急の事態だった。



「ミルドレッド殿下より遣わされた商人たちです。エイベル殿下とアンジェリカ姫のために、茶会の衣装を届けにきた、と」



 会食用の広間に、ずらりと美しい衣装が並べられる。持ち込まれた衣装は数が多く、廊下にまであふれていた。どれもこれも目がくらむばかりに美麗である。



「いかがでございましょう。自慢の品をそろえさせていただきました」



 ミルドレッド皇女から遣わされたという商人は、自慢げに衣装を指し示す。はあ、と嘆息してアンジェリカは衣装を見回した。


 繊細な刺繡や華やかなレース、美しく裾を引き華麗にふくらみ、あでやかなビジューを飾った贅沢な衣装。しもわからず、ただただ圧倒されるばかり。



「姫君と皇子殿下には充分なごしようかと」



 商人は愛想よく笑い、おもねるようにいった。



「……見くびられたな」



 ぼう然としていると、すぐ隣でエイベルのそっけない声がした。目を向ければ冷ややかな横顔がある。今日も美しくてつく氷の湖のよう。


 しかし、どことなく不機嫌に見えた。ともに過ごして日は浅く、顔を合わせたのも数えるほどだが、彼がこの事態を面白くないと考えているのは伝わってくる。



「侮られているのは、もちろんわかりましてですわよ」



 きらびやかな衣装の森を見回しつつ、アンジェリカはささやき返す。



「わたくしと殿下充分、ですって!」


「こちらの予算が足りないのを知っているのだな。……商人ふぜいが」


「そういう、ひとを見下す発言は好きではございませんわ。なにより」



 アンジェリカはきらりと瞳を光らせる。



「見くびっているのは商人だけじゃございませんでしょ」


「……たしかにな」



 エイベルの氷の面に、ふと感情のさざ波が見えた──気がした。



「もしや、あちらの鼻を明かす手でもあるのか」



 よっしゃ! とアンジェリカはこっそり体の陰でこぶしを握る。



「殿下がわたくしを信頼していただけるなら、なくもございませんわ」



 高揚する気持ちを抑え、あくまで澄ましてアンジェリカは答えた。




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