第三章 せっかくのお茶会、張り切ってまいりますわ

第三章 せっかくのお茶会、張り切ってまいりますわ(1)


「……どういうおつもりです、アンジェリカ妃殿下」



 テラスに面した窓からむ昼の光が、中年男の渋面を照らす。


 皇子宮の私室で、アンジェリカは解放された護衛隊長と向き合っていた。背後には、メルがはらはらする顔で控えている。



「妃殿下はやめていただけますでございますこと。式はまだでありますのよ」



 昨日、トビーと会って久しぶりに素の自分に戻ったからか、アンジェリカの言葉遣いはどうもぎこちない。が、頓着している場合ではなかった。


 護衛隊長は丸腰だった。さすがに武装して解放するほど、アンジェリカはもとよりエイベルも馬鹿ではない。



「自分を解放するよう皇子に進言したのは、その、姫君とうかがいましたが」


「ええと、護衛隊長……ではなく、グリゴリちようでございましたわね」



 名前を呼ぶのは信頼の第一歩。思慮深く、アンジェリカは言葉を選ぶ。



「いったいなぜ、敵地で皇子の命を狙うような真似をなさいましたんですの」


「……自分が、答えるとでも」


「答えていただけないのでしたら、推測するまででございますですわ」



 ひじ掛け椅子で足を組もうとして、上流階級の女性としては行儀が悪い仕草だと気付き、あわてて足を戻してアンジェリカは話をつづける。



「警備が手薄と見て、会食の席で襲ったのでごさいましょう。正直、短慮ですわよ。あの場で上手く皇子の命を奪っても、護衛騎士さまがおいでですわ」



 そんな指摘にも、グリゴリはいかめしく口をつぐんでいる。


 見たところ、年は三十後半か四十前半。トビーと似たような年齢か。その年で伍長なら、間違いなく平民出。他国の第一皇子謀殺という危うい任務を任されるくらいには腕が立つが、使い捨てにしても惜しくはない立場。



「つまりは、ご自分がここで命を落としてもいい覚悟でございましたのね」



 背後でメルがおろおろする気配が伝わってくる。いくら丸腰とはいえ、皇子の殺害を謀った相手と渡り合うアンジェリカが心配でならないのだろう。



「わたしのお祖父ちゃ……祖父が、ああ、この場合はむろん母方の祖父でわたくしがこの世で唯一血縁と認めるひとですわ。その祖父が常々いってましたんですの」



 人差し指を振りながら、もったいぶってアンジェリカは言葉を継いだ。



「人間、自分以外のためなら必死になれる。命だってかけられるし、残酷にもなれる。人間は社会的存在、自分自身のためだけには動けないのですって。他者に尽くすことに命をかけるのは英雄的な気分も満たされますものね」


「なにをおっしゃりたいのです」



 グリゴリが眉を険しく寄せるが、アンジェリカは真剣な顔で返す。



「もしや、ご家族か親しい方に危険が迫っているからではございませんこと」



 はっとグリゴリが目を開くが、すぐに顔をそむけた。やっぱりね、とアンジェリカは胸の内でうなずくと、ちらりと背後に目をやる。



「メルも家族の命を盾に、わたくしの逃亡を阻止するよう命じられていましたの。それはご存じでしたのよね、あのタイミングで伍長どのの隊が現れましたもの」



 グリゴリは目を落とし、メルも居心地悪そうに顔を伏せる。アンジェリカはひじ掛けに肘をつき、頰に指を当ててグリゴリを見つめる。



「でも、おかしいですわよね。この同盟を是が非でも結びたいからわたくしの逃亡を阻止したはず。なのに、その結婚相手を暗殺しようとするなんて。婚姻を継続したいのか破棄したいのか、あなたがたに命じた者の思惑には矛盾がありますわ」



 メルもグリゴリ伍長も息を吞み、探るようなまなざしで互いを見つめる。



「とはいえ……わたくしが皇都に到着しなければ、あなたも謀殺相手の皇子のもとにもたどり着けませんですわね。そこに矛盾はございませんけれど、ね」



 アンジェリカの紅い瞳に鋭い光が宿る。言葉にはしないが、暗に別々の黒幕がいると示唆したのだ。



「それより、わたくしの逃亡を阻止できたメルはともかく、伍長どののほうはいつまでも皇子が生きていてはまずいのではないかと思うのでございますわ」


「では、どうしろとおっしゃるのですか」



 こぶしを握っていい返すグリゴリに、アンジェリカは抑えるように手を挙げる。



「あなたに暗殺を命じた者について、教えていただけませんかしら」


「……ですから、俺がそれを口にできるとでも」


「それを聞いて、わたくしが口外するとおっしゃるのございますかしら」



 アンジェリカは空の両手を広げる。



「丸腰のあなたとおなじく、わたくしにもなにもございませんわ。あなたと身体能力に引けは取らなくても害することはできませんことよ」


「貴女を害するつもりはない。あくまで目標はあの皇子です」


「暗殺が成功しても、あなたの大切なひとが無事とはかぎりませんのに?」



 ずばりとアンジェリカはいった。



「目的のためならば人質を取る。成功するならあなたの命も顧みない。そんな卑劣な手を使う輩が、まさか約束を守ると信じていらっしゃるのですかしら」


「だが、遂行せねば妻は殺される!」



 悲痛な声を上げるグリゴリに、アンジェリカは真摯なまなざしで告げた。



「ですから、どうか、わたくしに協力なさっていただけませんこと」


「……なんだと」



 凍り付くグリゴリに、アンジェリカは立ち上がって手を差し伸べる。



「いまはわたくしもメル以外に味方のない孤立無援状態でございますの。この結婚から逃げるために、あなたのお力が必要なのですわ」



 アンジェリカは真剣なまなざしと声音で、言葉を重ねた。



「お願いいたしますわ、伍長。むろん、信用ならないならお断りいただいてかまいませんことよ。でもお味方してくださるなら、あなたの大切な方を助けるために、わたくしは全力を尽くしますわ」


「妻を、どうやって助けるというのです」



 グリゴリは険しい目でにらみつける。



「失礼ですが、御身はおひとり。腕が立つのはこの身で知っておりますが、危険な者の手のうちにいる妻を助けられるとは思えない」


「手段は情報により講じられる。これも祖父がいっていた言葉ですの。わたくしが徒手空拳なのはひとえに情報が足りないことでございますわ。それに暗殺を失敗したいま、あなたもおひとりでは無謀でございましてよ」



 アンジェリカの真摯な説得に、グリゴリは体の陰で硬くこぶしを握り締めた。



「……一晩、考えさせていただけまいか」


「けっこうですわ。それでは、こちらを」



 アンジェリカはメルに目顔で合図する。彼女は部屋のクローゼットから薄汚れた袋を取り出し、グリゴリに差し出した。「これは?」と彼は困惑の顔になる。



「逃亡用の荷物でございますわよ」



 なっ、と驚くグリゴリに、アンジェリカは優しく語りかける。



「わたくしの誠意ですわ。中身はわずかですけれど、旅費と、取り上げておいたあなたの身分証明書。国境を越えるには必要でございますものね。不確かな条件で大切な方を案じるあなたを引き留めるのは公平じゃございませんわ」


「な、なぜ……このまま、俺が逃亡してもいいと?」



 目に見えてうろたえるグリゴリに、アンジェリカはにっこりと笑いかける。



「それでは一晩、考えてくださらないかしら。大丈夫、監視はつけませんわ。窓の鍵も開いていましてよ」



 笑みを収めて真剣な顔になり、アンジェリカは強い声で告げた。



「お約束いたします。あなたの大切な方は、必ず、救い出すと」


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