第二章 この結婚、ぶち壊したいんですの(3)


 ぐに爆弾を投げつけた。


 ……と思ったが、エイベルの表情は毛ほども変わらない。


 本当に十九歳だろうか、いや、感情がある人間なのか。ノルグレンにある、冬になると攻城兵器を載せても割れないほど分厚く氷が張る湖を思い起こした。



「国益を損ねてもいいのか」



 エイベルはひじ掛けに肘を置き、足を組んで傲慢な態度で訊き返す。



「ご存じでございますわよね、わたくしが庶子でスラム出なのは」



 アンジェリカも負けじとふんぞり返って足を組む。とても〝姫〟と思えない態度だが、どうせ破談にしたい婚姻だ。きさきにふさわしくないと思われるなら好都合。



「こちらをぞんざいに扱う国の益など、どうでもいいんでございますのよ。それに、殿下がこれまで多くの縁談を破ってきたのも知っておりますですわ。であれば、わたくしも同様に追い出していただいても不都合はございませんでしょ?」


「なんの益もないことはしない」


「まあ、それでしたら、益を差し上げればよろしいんでございますのね」



 ここからは、はったりだ。アンジェリカはソファのひじ掛けを握り締める。



「この館の警備、あまりに手薄で気になりましたの。そのくせ、外には監視の兵がうろついてますですわよね。しかも、わざと姿を隠して」



 ずばり指摘するアンジェリカだが、エイベルが事もなげに返してきた。



「母殺しで、配偶者もすぐに追い出す問題児の皇子だからな」


「だから監視を付けて当然だと? でも、おかしいじゃございませんの」



 する口調で話しながら、アンジェリカは余裕を見せるために足を組み替える。どう考えても弱い立場なのはこちら。しかし弱味を見せるつもりはない。交渉は対等の条件でこそ有効に働くのだから。



「第一皇子とて問題児。立太子の式もまだなら、裁判なしに皇帝権限で処分が可能ですわ。まさかマグナフォートが人道国家のおつもりじゃございませんわよね。だいたい扱いが半端なのですわ。監視の予算は割くくせに、使用人は騎士さまを入れて三名、食事も部屋も貧相。つまり皇子宮自体にあてがわれる予算はわずか」



 貧相だなんてこれっぽっちも思っていない。だが、


〝おもてなしも不充分で、心苦しゅうございます……〟


 侍従の言葉を思い返せば、皇国ではこの待遇が標準以下なのだ。であれば、自分の基準は振り捨てなければならない。



「皇子ともあろうお方が、わざわざ自らお手を汚して自室をお掃除だなんて。使用人が足りないにしても、ご不自由が過ぎておわいそうですわよ」


「いや、趣味だ」


「え……趣味!?」


「冗談だ」



 目を剝くアンジェリカに、エイベルはにこりともせずに答える。


 アンジェリカはソファに脱力した。真顔で冗談はやめてほしい。第一印象とは真反対に、なんて調子の狂うひとだろう……と思って、ふと面白くなってきた。


 日陰の身上のはずなのに、ユーモアを解する精神的余裕がある。


 不思議なひとだ。冷たいだけのたちではない気がした。もっとも残忍という性質からかいぎやくを楽しんでいるだけかもしれないけれど。



「よいご趣味でございますこと。とはいえ、わたくしのフォークは拾ってくださらないところを見ると、ひと目のある場で使用人の仕事を奪うような真似はなさらないだけの分別、もしくはプライドがおありと見ましたのですわ」



 アンジェリカの皮肉にも、エイベルの冴え冴えとした瞳の色は揺らがない。



「君のいう、扱いが半端というのはどういう意味だ」


「そうですわ、それだけ不遇のご身上にもかかわらず」



 アンジェリカは鋭く、紅い瞳を光らせる。



「わずかでも予算を与えて生かす。それって……なぜなのでございましょうね」



 空気に雷が走った、気がした。だがアンジェリカは畳みかける。



「自由に出歩くのをゆるさず、生かさず殺さずの扱い。常人なら耐えられない処遇でございますわ。なのに貴方さまはそれでも余裕がある。おそらく、決定的な手出しはされないとの確信がおありなわけですわよね」


「打開策があるとでも」



 ずばりと返された。アンジェリカは内心驚く。まさかこんなにすぐこちらの手に乗ってくれるとは……と思ったが、エイベルは冷たい口調でつづけた。



「腕に覚えはあっても君はひとり。供は頼りない侍女だけ。皇宮の狡猾な貴族や皇族たちと、どう渡り合う」


「少なくともわたくし、あの騎士さま並みには腕が立つと自負していますわ」



 それに、アンジェリカは声に重みを持たせていった。



「知識と情報は千や万の軍勢に値する、との言葉がございますでしょ。わたくしに足りないのは、ただ情報でございますですの」


「大言壮語だな。つまりは君が」



 エイベルは冷然とした面持ちで、ずばりと尋ねた。



「──僕の、千の軍勢になるというのか」



 空気が張り詰めた。ふたりは緊迫のなかで見つめ合う、いや、にらみ合う。



「もちろんですわ」



 ややあって、アンジェリカは自信を秘めた強い声で答えた。


 胸のなかでほんのわずか、後悔がかすめる。


 あくまで、こちらはアンジェリカただひとり。軍勢どころか護衛になるかも怪しい。だが、どうせはったりならここだけは誠意と真摯を見せなくては。交渉は信頼が必要だ。対等の立場を求めるならなおのこと。



「ただし、現状の貴方のづまった状況を打開し、わたくしをこの結婚より解放するまで、ということでございますけれど」


「具体案を出せ」



 エイベルは毛ほども動じたふうを見せず、淡々と告げた。



「君の口から出るのは大言壮語と絵空事ばかりだ。僕から信用と情報を引き出したいのなら、空に描く絵ではなく、検討に値する実現可能な案を見せろ」



 よし、とアンジェリカは心のなかでこぶしを握る。



「では、まずひとつ目ですわ」



 アンジェリカは指を一本立ててみせる。



「いま拘束しているこちらの護衛隊長を解放なさいませ」



 意外な言葉に、エイベルもさすがに眉をひそめた。



「無益どころか有害な手だが」


「どのみち監視の手が足りませんですわよ。ご安心を、面倒なことにはなりませんわ。それと皇子宮に出入りの商人のリストを。予算がついているなら、ささやかですがそこから調達したいものがございますの」


「ずいぶんと初手から要求が多いな」



 畳みかけるアンジェリカにも、エイベルは変わらず冷ややかに見返す。



「もちろんでございますわよ。なんといっても貴方がおっしゃるとおり、こちらは空手も同然でございますもの。いずれ貴方の千の軍勢になるとしても」



 にっこり、とアンジェリカは優雅にほほ笑んだ。



「手始めに、貴方の軟禁状態の抜け道を見せてさしあげますですわ」


 

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