第二章 この結婚、ぶち壊したいんですの(2)



「……ほへ?」



 そこで思わずアンジェリカは変な声を上げてしまった。


 エイベルは、マグナフォート皇国の第一皇子は、アンジェリカに剣をつきつけて身の潔白を示さなければ「殺す」と告げた冷徹な氷皇子は、なんと──。



「待って。ま、ま、待って?」



 ──ほうきを握って、掃除をしていた。


 床板から絨毯、きちんと部屋の四隅まで掃き、ちりとりに集めてくずかごに入れている。美しく整った横顔は大真面目で真剣に見えた。


 どうして? なんで? なんで第一皇子が掃除なんかしているの?


 どうして侍従に任せないの、仮にも皇族なのに!?


 驚きのあまり硬直していると、皇子の姿が厚いカーテンの陰に隠れて見えなくなった。むむ、とアンジェリカはいっそう窓に貼りつき、目を凝らす。



「ッ!」



 突如アンジェリカは退しさる。と同時に窓が激しく蹴り飛ばされて開いた。


 とっさに身を返してバルコニーの手すりを乗り越えようとしたとき、首筋に冷たく固い感触が触れる。──剣か。



「無駄だ。自室まで追うぞ」



 背後からの冷ややかな声に、ごくり、とアンジェリカはのどを鳴らす。



「両手を挙げろ。動けばこの場で斬り伏せる」


「待って。待ってくれ……ませんこと!」



 アンジェリカは両手を挙げ、必死に呼びかける。



「わたくしはただ、お話をしにきたのでございますわ!」


「話など必要ない」


「この境遇から、貴方を救うお話でも!?」



 一瞬、背後が沈黙する。そこへ青年騎士の声が響いた。



「殿下、いまなにか大きな物音がしましたが……アンジェリカ姫!?」


「君はなにを知っている」



 騎士の驚きにもかまわず、エイベルは鋼鉄のごとき声で尋ねる。



「ふたりきりで……お話しさせていただけますかしら。ご安心を、わたくしは丸腰でございますわ。お話が気に入らなければ」



 剣を突き付けられながらも、アンジェリカは冷静に告げる。



「そのときは、好きに処分してくださいませ。ただしメルは、わたくしの侍女はなにも知りませんの。彼女は解放なさってくださるかしら」



 返事はない。だが、す、っと首筋に触れる冷たいものが消えた。ほっとして振り返って、アンジェリカは思わず目を剝く。



「なっ……箒、だったのでございましたですの!?」



 部屋着のエイベルが手にしていたのは剣ではなかった。つまりいま、首筋に当てられていたのは箒の柄だったわけだ。



「そういうものを見抜けぬ相手の話など不要だな。……が」



 氷の湖のような冷たいまなざしでエイベルは告げる。



「こちらに監視の手が足りないのは理解しているようだ。入れ」



 といってエイベルは背をひるがえし、部屋に戻っていく。ぐぬぬ、とアンジェリカは唇を嚙むが、すぐに気を取り直し、ふんと鼻息荒くずんずんと進む。


 エイベルの部屋はアンジェリカの部屋と大差はなかった。むしろこちらのほうがわずかに狭く感じた。棚や天蓋付きのベッド、ドレッサー、ソファにテーブルと調度品は最小限、それも年季が入っている。


 そういえばここは北側。よく日の当たる南側の部屋はアンジェリカたちにあてがっている、ということだろうか。まさか、新参のこちらに配慮したのか?


 せないことばかりと思いつつ、椅子に座るエイベルの正面に立つ。彼は「座れ」とでもいいたげに向かいのソファにあごをしゃくった。礼儀の欠片かけらもない仕草にむっとなるが、そもそも不法侵入はこちらだと思い直す。



「ふたりきりで、と申し上げましたのですけれど」



 戸口で戸惑い気味に立っている青年騎士を、アンジェリカは見やる。



「男とふたりきりで部屋にこもるのか」


「縁組のお相手とふたりきりで、なにか不都合でもございますのかしら」



 エイベルはじっと見返すが、戸口の騎士へと小さくあごをしゃくった。このひと、あごを動かす以外に命令の仕草がないのか、とアンジェリカはあきれる。


 ティモシーは戸惑いながらふたりを見比べ、困り顔で頭をかいてお辞儀をして出ていった。おそらく念のためだろう、小さくドアは開いたままだ。


 ふたりきりになり、アンジェリカは改めて目の前の皇子を見つめる。


 冷ややか。愛想の欠片もない。感情の色も読めない。だが驚くほどの美貌。スラムにいたころ、祖父のもとで学術書だけでなく俗っぽい本も読んできたアンジェリカは、こういう存在に心を傾けて破滅する物語に何度も出くわした。



「……本当に、ただの氷の彫像でしたらよろしゅうございましたですのに」


「不法侵入のうえに度胸のある言い草だな」



 エイベルは眉のひと筋すら動かさずに皮肉で返す。むむ、とアンジェリカは柳眉を逆立てる。これで年下なのだと思うと、どうにも面白くない。



「人払いをしておいてなんでございますけれども、丸腰でよろしいんですの。わたくしの腕前はご存じでございますわよね」



 エイベルは椅子に立てかけた箒にちらと目を向けて、答える。



「少しはできるようだが、僕の相手にはならない」



 アンジェリカなんて箒で充分というわけか。ますます面白くない。いやいや、面白がる必要はないのだ。目的を忘れるな、とアンジェリカは自分にいい聞かせる。



「本題に入らせていただきますわ。単刀直入に申し上げますけれど」



 気を引き締め、アンジェリカは口を開くと、



「わたくし、この結婚を──ぶち壊したいんでございますの」



==========

気になる続きは、明日9月24日更新!

『薔薇姫と氷皇子の波乱なる結婚』は、メディアワークス文庫より9月25日発売!

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