第二章 この結婚、ぶち壊したいんですの
第二章 この結婚、ぶち壊したいんですの(1)
「不当でございますわ」
どすん、と自室のソファに腰を下ろし、アンジェリカは大きな声を上げる。
「あまりに不当でございますですわよ!」
「姫さま、どうぞお声とお言葉遣いを抑えて」
メルが必死になだめるが、アンジェリカはぷくぅと頰をふくらませる。
「わざと聞こえよがしにいってるんですわ。助けてさしあげたんですのよ」
「ですけれど、護衛隊長はノルグレンの者ですから……」
疑われるのも仕方がない、とメルはいいたげだ。
むむむ、とアンジェリカはますます頰をふくらませる。
(やっぱり、納得できない。自作自演する意味なんかないのに)
いくら態度で示したとはいえ、この結婚に気が進まないのだとはっきり伝えたわけではない。婚姻を破綻させたくて自作自演したなんて思いつくだろうか。
(それじゃ、最初から不審に思われていたってこと?)
なんて考えているうちに、外はすっかり夕暮れになる。
部屋のテラスから望める庭を室内の光が照らす。緑の木々が生い茂る庭は大理石の噴水まであって、これが昼間ならさぞ見事な眺めだっただろう。
「というか、やけに明るいでございますわね……って、もしかしてこれは〝マグナイト灯〟でございますの!?」
天井から下がる明るい飾りランプに、アンジェリカは口をあんぐりと開けた。メルも興奮気味に口を開く。
「マグナイト灯ですか? 初めて見ました。実家でもノルグレンの王宮でも、穀物オイルのランプばかりでしたから。こんなに明るいものなのですね」
「さすがマグナフォートの皇子宮、まるで昼間……」
大仰な言葉遣いを忘れ、アンジェリカはぼう然とつぶやく。
マグナイト──主に皇国領内で採掘される宝石。はるか太古、この地で起きた魔法戦争の名残ともいわれているが、魔法が失われたいまではただの鉱物だ。
しかしエネルギー資源として非常に優れ、単純に燃やすだけでなく、精製して液体化し、より効率よく高エネルギーを生み出すことが可能。聖テラフォルマ大陸を走る鉄道は、このマグナイトを利用した発電装置で動いている。
大陸の国々にとっていまや欠かせない資源。国力の衰えた皇国がいまだ完全に衰退しない理由、そしてノルグレンが是が非でも縁組をしたい理由がこの宝石だ。
「ひ、姫さま!? なにをなさるんです!」
アンジェリカがテーブルを運び、部屋着のドレスの裾をばさりと不作法に蹴って上がったので、メルは悲鳴を上げた。
うろたえるメルをよそに、アンジェリカは飾りランプを手にして蓋を開く。
「まさか、マグナイトをそのまま燃やしてるの? 発電機の電気かと思ったら、なんたる
すっかりアンジェリカはエセ王族の言葉遣いを忘れ、
そして部屋中を見渡し、サイドチェストの上でなにかを見つける。
「これね。この金属の覆いをマグナイトにかぶせて空気を遮断して炎を消すんだ。オイルランプとおなじか。そこは燃料がマグナイトだろうと単純なんだね。精製したマグナイトオイルは黒いのに、原石はこんな
「あの、あの、姫さま……?」
メルが戸惑いながら声をかけるが、アンジェリカは気付かずに、ランプを手にしてうろうろと部屋中を歩き回る。
「でも、発電機を使わないのはもったいない! マグナイトは埋蔵量の把握が困難だという調査結果もあるのに、これじゃ無駄遣いだ。精製してオイルにすれば運搬も可能だし、一個そのまま燃やすよりもずっと効率的……」
はっ、とアンジェリカは足を止めた。
「え、ええと、ずっと、効率的でございますでありますのに、変ですわよね?」
「いまさらお言葉を改めても遅いですし、さらにおかしくなってます」
容赦なく指摘して、はあ、とメルはこれ見よがしに吐息した。
「姫さまはなにかに夢中になると、すぐにそうやって我をお忘れになる」
「夢中なんですから我を忘れるのは当然でございますわ。……それにしても、どうもこの皇子宮、いえ、エイベル皇子の周り、おかしいですわね」
といったかと思うと、ふいに身を返して庭へ出る窓へと歩み寄る。
「姫さま!? どこへ行かれるんです!」
メルの言葉を無視してアンジェリカはカーテンを開き、掃き出し窓を開けるとテラスに一歩踏み出し、ランプを掲げて周囲を照らした。
「なにも反応ございませんわね。気配もありませんわ」
アンジェリカはランプをメルに手渡すと、いきなりテラスの手すりに手をつき跳躍、部屋着のドレスの裾をひるがえして飛び越える。
「ひ、姫さまっ!」
思いがけない行動にメルは仰天するが、アンジェリカはかまわず庭へ降り立った。広い庭は静まり返り、
「姫さま、早くお戻りを!」
小声で必死に呼びかけるメルに、アンジェリカは片手を振った。
「メル、ちょっと散歩に出てまいりますわ」
「はあ!? な、なんですって、姫さま!」
あわてふためくメルを置き去りに、アンジェリカはすたすたと歩き出す。
まだ春の半ばだった。いくら南の皇国とはいえ、
やがて庭を囲むレンガ塀に行きついた。アンジェリカは塀を見上げる。
「高さはさほどでもない、か」
視界をさえぎる程度の高さ。足場があれば難なく越えられそうだ。
皇帝が住まう皇宮は、城塞都市である皇都の高台にあるらしいが、エイベルの皇子宮は北側の外れ。規模からすれば宮殿というよりも館だった。
暗さに目が慣れてきて、ふたたびアンジェリカは堂々と庭を歩き出す。
辺りは静かで脱出に気付かれた様子はない。気付かれても、なんとかしていい逃れはするつもりだった。いくらなんでも問答無用で殺されたりはしない……はず。
少し歩くと壁のそばに立木が見つかった。アンジェリカは部屋着の裾をたくしあげ、組紐ベルトでからげると、するすると木を登る。
「懐かしい、スラムにいたときは仲間たちとよく木登りや壁登りをしたんだ」
そうつぶやきながら、
が、塀の向こうをうかがってはっと幹の陰に身を隠した。
いくつかの灯りが皇子宮の周囲をゆっくりと行き交っている。警らだろうか。ここは皇都の外れなのに、見回るほど犯罪率は高いのか。いや、それとも……。
見極めなくては。アンジェリカは素早く、かつ音もなく立木を滑り降りる。いくつかの小石を拾い、迷わず塀の向こうへと投げ込んだ。
「ッ!」「なんだ、物音がしたぞ」
何人かの男の声とともに足音が闇に響く。アンジェリカは塀の陰に身を隠し、息をひそめて聞き耳を立てた。
「怪しいものはいたか」「いや、いない」「変だな、草むらで物音がしたが」
聞き取れる声は三名。梢から見えた灯りも三つ。数は合っている。
「……もしや、皇子宮から皇子が脱走したとか」
とっさにアンジェリカは身をこわばらせた。
「まさか。ずっと軟禁されてきた小僧がひとりで出歩けるか?」
「ともかく皇子宮の周囲の警戒を強める。皇都中の警備もだ」
声のあとに走り去る足音、ただし一人分。ほかのふたりの気配が遠ざかった様子はない。アンジェリカはそっと身を起こし、壁際を離れる。
たかが物音いくつかしただけで、この緊張ぶり。それだけエイベルを警戒しているのか。けれど護衛もろくにいない弱冠十九歳の皇子をそこまで警戒なんて。母殺しで、花嫁もひん死にして追い出す残忍さだから?
第一、なぜ軟禁と監視だけで済ませているのだろう。皇帝がひと声かければ、極刑にも無罪放免にもできるはず。皇国もとりあえず法治国家ではあるけれど、残念ながら皇族の権威が法を踏みにじる例は多々あるのだし。
(そういえば、皇帝は病床についてるとか……)
会食でのエイベルとの会話を思い返す。
第一権力者の不在と弱体は政治の混乱を招く。かつての大国もいまや国力は衰えつつある。それを引き留めるのは〝マグナイト〟の生産だが、自室で見た無造作な使われ方からすると、価値を真にわかっているのか不安になる。
腕組みをして首をかしげつつ、アンジェリカはまたすたすたと歩き出した。情報もなしに考えても仕方がない。まずはいまの目的を絞る。
それは──脱出すること。自由を得ること。
自分だけなら
護送中のときは、メルが脱走を承知して手助けしてくれると思い込んでいた。自分が逃げても、護衛の少なさから発覚も遅れるはずと考えていた。
だがいまは違う。敵地に彼女を置き去りにすることになる。そのためには、もっとべつの行動を取らなくては。
ぐるりと建物を回る。灯りのついている場所を探すと、自室の反対側に見つかった。庭に張り出すテラスの窓から光は漏れている。アンジェリカは身軽に手すりをつかんで飛び越え、壁に貼り付いた。
窓にかかる分厚いカーテンの隙間からそっとのぞくと、人影が見えた。ベルトだけの締め付けのない黒の部屋着姿で、背丈や格好からしてエイベルに違いない。
エイベルは窓に背を向けて立っていた。いや、なにか長い棒状のものを握り、しきりに動かしている……。
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