第一章 逃げてやりますわよ、こんな結婚から(7)

 テーブルに手をついたまま、エイベルをにらむふりでそっと部屋をうかがう。


 アンジェリカの基準からすれば広い部屋。しかし四人掛けのテーブルを入れて、向こうは老侍従と侍女と青年騎士、こちらはメルと護衛隊長。七名でいっぱい。扉は正面口と使用人用のふたつ。どちらも閉まっている。


 特におかしなところはない。抱いた違和感をアンジェリカは見失いかける。


 そういえば、この宮殿にはあまりにひとの姿がなかった。


 皇子の蛮行のせいで、監視はつけても仕えたいと望む使用人は少ないとは聞いたけれど、青年騎士と老侍従と侍女の三名しかいないとは。


 その監視もどこにいるのだろう。馬車での道すがら、皇宮のエリアに入ってから護衛兵の姿は多く見かけたが、皇子宮の付近では見かけなかった。


 こんなにも使用人が少ない状況で、もしも皇子宮でなにかあったら、助けがくるだろうか。助けどころか、放置されてそのままかもしれない。


 ……と思ったとき、アンジェリカは違和感の正体に気付いた。


 どん、と派手に勢いよく、わざと不作法に椅子に腰を落とす。


 そのついでにさりげなく、膝でテーブルを跳ね上げる。皿が揺れてスープがこぼれ、手元にあったスプーンやナイフが足元に落ちた。



「ひ、姫さま。なんてことを」



 メルがあわてふためいて拾おうと近寄る。だがアンジェリカはその手を払いのけるように、テーブルの下へとスプーンを蹴り飛ばした。



「わたくしのスプーン、拾っていただけますかしら、エイベル殿下」



 なっ、とその場の全員が小さく声を上げた。アンジェリカ以外、皇子すらも。



「この僕に召使のをせよと?」


「殿下がいちばん、お近くでございますもの」



 眉をひそめるエイベルに、アンジェリカはにっこりと笑みを返す。エイベルは冷徹なまなざしで見返して、ちらと視線を老侍従に送った。


 即座にアンジェリカは身をかがめてなにかを拾い上げた、かと思うと床を蹴って一気にテーブルを飛び越え──。



「!」



 ようとしたが、ドレスの裾でテーブルの皿をなぎ倒してしまう。


 派手な音で皿が落ちるあいだ、エイベルもとっさに床を蹴って椅子ごと後方へ退く。間髪れずアンジェリカはテーブルを蹴りつけ跳躍した。


 そして皇子目がけて手に持ったナイフを突き出す──!



「……なにをするつもりでしたのかしら」



 みながはっと我に返ると、アンジェリカは皇子ではなく、いつの間にかその背後にいた護衛隊長へナイフを突きつけていた。隊長は隠し持っていたらしき短剣を手にしている。アンジェリカとエイベルの会話のさなか、彼はさりげなく位置を変え、忍び寄っていたのだ。違和感に気付かず見逃していれば間に合わなかった。


 くそ、とうめいて護衛隊長は自分に突き出されたナイフを短剣で打ち払う。だが即座にアンジェリカは身を低くし、隊長の軸足目がけて激しく回し蹴りをした。相手がバランスを崩すとその後頭部目がけ、組んだ両手を激しく振り下ろした。


 隊長はうめいて床にどさりと膝をつく。



「拘束しろ、ティモシー!」



 エイベルの声が飛び、青年騎士があわてて駆け寄る。隊長の首に剣の刃を当て、ティモシーと呼ばれた騎士は「動くな」と命じた。



「おひとりで拘束は無理ですわね。手伝ってさしあげますわよ」


「は!? いえ、あの、姫君のお手を借りるほどでは……」



 戸惑う騎士を無視し、アンジェリカはさっさと隊長の胸ベルトを外すと、両腕を後ろ手にさせて手首をきつくベルトで締め上げる。



「武装は解除いたしませんと。剣だけでなく、暗器もあるかもしれませんわよ」



 隊長の腰のベルトからさやごと剣を取り上げ、アンジェリカはテーブルに置いた。彼女の先ほどの荒っぽい行動のせいでクロスは大きくずれ、皿は軒並み落とされて床はスープで汚れ、パンかごもひっくり返っている。


 もったいない、とアンジェリカは唇を嚙むが、大胆なことをしなければ皇子を害しようとする隊長は止められなかった。


(でもこれで恩を売れたなら、逃亡のための交渉が可能かもしれない)



「ティモシー、庭の倉庫へ監禁しろ。侍従長、彼女とふたりきりで話がしたい」



 エイベルの命令に、青年騎士と老侍従は一礼する。侍従は青ざめた老侍女と血の気の引いたメル、騎士は拘束した隊長を引き連れて出ていった。


 ひどい惨状の部屋に、アンジェリカはエイベルと取り残される。


 しばし皇子はこちらに目もくれずテーブルに置いた剣を手に取って眺めている。無言の空気にいたたまれず、アンジェリカはその背中に声をかけた。



「ええっと、殿下、ご無事でよかったでございま……っ!?」



 ふいにのどもとへ剣が突き出された。


 切っ先の向こう側には、エイベルの凍るようなまなざし。


 少しでも動けば貫かれそうで、アンジェリカはごくりと息を吞む。



「どういう、おつもりですかしら」


「いまのは君の策略か」



 思ってもみない問いにアンジェリカは目を剝いた。



「なっ……!? 違いますわ!」


「君が場を騒がせ、その隙にあの男が僕の背後を取ったのではないか」


「わたくしがあいつの蛮行を止めたんですのよ!」


「そこに裏がないとはいえない」



 裏。たしかに交渉のきっかけが欲しかったが、皇子を害する輩と組んだと思われるのはあまりに心外だった。



「その身は軟禁させてもらう。もし、君が無実を証明できなければ」



 だがアンジェリカがなにかをいう前に、エイベルは断罪するように告げた。



「──殺す」



==========

気になる続きは、明日9月23日更新!

『薔薇姫と氷皇子の波乱なる結婚』は、メディアワークス文庫より9月25日発売!

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