バカな姉
墓参りから数日後。同僚の
真希とは職場の同期で、部署は違うが入社当時から妙にウマが合った。頼りない私とは違い、姉御肌の真希には何でも話せた。今では良き親友だ。
真希は、明日は休みだからと浮かれて酒を買い込む。仕事帰りのくたくたの身体に、大量の缶チューハイと鍋の具材は辛過ぎる。
そして、スーパーを出て、チラつく雪を見上げた時だった。正樹から着信があったのは。
「なに? 弟くん? 良いから出なよ」
真希に荷物を奪われる。あぁ、真希が彼氏だったら良かったのに、なんて馬鹿な事を思いながら通話ボタンに指を置こうとした時だった。
「
突然背後から声を掛けられ、驚き振り返る。
「誰、ですか?」
「俺は····えーっと、父ちゃんや。久しぶりやなぁ。綺麗になったな。母ちゃんそっくりや」
一瞬にして身体が凍りつく。次の瞬間、真希が私を庇うように前に立ちはだかった。
そして、事情を全て知ってる真希が、私に代わって言葉を放つ。
「突然どういうつもりですか?」
「いや、俺はただ早苗に会いに····お前こそ誰や」
初対面の人間をお前呼ばわりとは。何年経とうが、どれだけ表面を改めようが、本性はそう簡単に変わらないものだ。
強ばる身体とは裏腹に、脳は冷静に状況をみていた。
「私は早苗の同僚の
「お、お前には関係ないやろ! なんやねんお前は! 俺は早苗に会いに来たんや!」
「ど、怒鳴らんといて! 私はアンタに会いたないし、一生許さんから! ····許せるわけないやろ。帰って。アンタは母ちゃんを殺したんも同然やねん!」
「早苗····もう行こう?」
「うん」
「待ってくれ、早苗! 俺、もうすぐ死んでまうねん! せやから、ちょっとだけでも早苗と正樹とまた一緒に暮らしたいねん!」
「はっ、勝手な事ばっか····。自分が早苗たちに何したかわかって言ってんの? 全部自分で壊しておいて、よくものこのこと会いに来れたわね。これ以上、早苗達を苦しめなるな!」
「真希、ありがと。アイツに何言っても無駄だから。もういいよ、行こう」
私は地面に投げ出された買い物袋を拾い上げ、そそくさとその場を去ろうとした。今思えば、私は選択を間違える事が多かった。
だからあの時、荷物など捨て置いて真希の手を引いていれば、真希があの男に刺されることはなかったはずだ。
「早苗····逃げ····て」
真希が倒れた。腰の辺りには、果物ナイフのような物が刺さっている。真希の白いコートが、そこを中心に赤く染まってゆく。
「真希? 真希!?」
「ちゃうねん······。コイツが俺を、蔑んだ目で見てきよってん」
「なんで? なんで真希が····」
「なぁ、早苗? 逃げよ? 父ちゃんと一緒に逃げてくれへんか?」
早苗の中で、何かがぷつんと音を立てた。
早苗は、優しい眼差しで真希を見つめる。そして、腕に抱えた真希をそっと地面に寝かせ、ふらっと立ち上がった。父親を見据える瞳には、憎悪や嫌悪感が静かに滾っていた。
この男をどうしてやろうかと、様々な攻撃が早苗の脳内を駆け巡る。しかし、力なく早苗の足首を掴む手に、温かい所へと引き戻された。
「真希? 生きてる!? 待って、救急車·····警察······待ってて、すぐ呼ぶから!」
我に返った早苗は、慌てて救急車を呼ぼうとする。だが、手が震えて上手くタップできない。真希の血で画面が赤く染まってゆく。
「大丈夫。早苗、落ち着いて。大丈夫、あたしは死なないよ」
「アカンよ、そんなん··言わんといて······」
早苗は、母の死に際を思い出す。「大丈夫、大丈夫」と呟き死んでいった。あの光景が忘れられない。
傷口から溢れる血液は止まってくれない。ハンドタオルで抑えたが、数秒で真っ赤に染まるだけだった。
数分後、救急車とパトカーが到着した。
真希は一命を取り留めたが、一時は危なかったそうだ。そして、警察が来る前にあの男は逃走していた。
真希が退院する前に、あの男は殺人未遂で指名手配された。正樹は驚いていたが、私から言わせれば何の不思議もない。起こるべくして起こった事件だと思っている。
母に続いて真希まで、あの男に奪われる所だった。
私は絶対に、あの男を許せない。父親だと思うなんて言語道断だ。
正樹の協力があれば、数日であの男は逮捕されるだろう。だが、それでは出所後に不安が残る。これ以上、誰も傷つけさせたりしない。
その為にも、あの男を消すしかない。短絡的なのは自覚している。きっと、正樹も真希も止めるだろう。
それでも、あの男は危険すぎる。もう私の大切な人を奪わせはしない。どうせ、1年もすれば死んでしまうと言っていた。それが少し早まるだけだ。
警察よりも先に、あの男を見つけなければ。そう思い、私は思い当たる場所を訪れた。正樹が産まれる前に住んでいた廃アパート。買い手がつかず放置されたままなのだ。
正樹がまだ赤ん坊の頃、母と散歩している時に聞いた。きっとあの男が一番幸せだった場所。
案の定、アイツは隠れ潜んでいた。私は夜を待って、アイツの寝込みを襲うことにした。
深夜、街は寝静まった頃、アイツも眠ったようだ。いざ、決行····。
包丁を片手にアパートへ忍び込む。電気など通っておらず、真っ暗で薄気味悪さが尋常ではない。
私は勇気を出して扉を開く。音を立てないよう慎重に。だが、錆び付いた扉は微かに音を鳴らす。キィ、ギィと。
しかし、アイツはのうのうと眠ったまま。無性に腹が立った。
いよいよ包丁を振り上げた時、割れた窓からフワッと暖かい風が吹き込んだ。その風は、不思議と母の優しい匂いがした。
私は力が抜けてしまい、包丁を床に落とした。その音に驚き、アイツが目を覚ます。マズイ、逃げなくちゃ。踵を返した途端、アイツに腕を掴まれた。
「俺を殺しに来たんか」
アイツは月明かりで光る包丁を見て言った。
「······自業自得やろ」
「せやなぁ」
「でも、帰る。アンタは病気で一人で死んだらええねん」
「そうか。早苗、ごめんな」
私が手を汚さずに済んだのは、母のおかげだ。きっと母が止めに来てくれたんだ。
翌日、あの男は出頭した。
真希は数週間で退院できるそうだ。真希のお見舞いに来た正樹は、自分の所為だと悔やんでいたが、私も真希も“そうじゃ
ない”と諌めた。
私は二人に、あの不思議な体験を話した。二人とも怒ってはいたが、私が遠いところに行かずに済んで良かったとも言ってくれた。
数ヶ月後、あの男は死んだらしいと風の噂で聞いた。
まず安心してしまった事に、“ごめんなさい”と心で母に詫びた。後は、アイツが母と一緒に居ないことを願うばかりだ。
終
風の匂い よつば 綴 @428tuduri
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