第33話『彼女さんがぐいぐい来た』


 その後。

 瑠姫姉は一時は実家に拘束されたものの、どうやってか逃亡したらしい。

 両親から瑠姫姉が今どこに居るのかと聞かれたが、俺にも分からない。


 とりあえず家に来たらすぐに連絡するようにと言われたので、そうするつもりだ。


 そうして俺の日常はいつも通り流れる。



「お、おはよう。拓哉君」


「ああ、おはよう雪菜」



 家の前ではいつものように雪菜が待っていてくれて。




「それじゃあ行きましょうか」


「ああ」



 そうして彼女はさりげなく俺の腕をつかんで。


 二人仲良く、まるでカップルのように腕を組んで歩いて。


 ………………歩いて?



「ちょっと待て」


「な、なに? どうしたの、拓哉君?」


「いや、どうしたのじゃないだろ雪菜。いきなり腕を組んで歩くなんて。いったいどういう心境の変化だ?」



 雪菜とは二回だけキスをした。


 そして幾度も手を繋いだり、お弁当を一緒に食べたりと一緒の時を過ごした。

 けれど、逆に言えばそれだけ。


 雪菜と恋人関係になって一か月ほどたつが、俺たちはそれだけの付き合いでしかなかったはずだ。


 この朝の登校時も、基本的に手を繋いでただ喋るだけだった。

 だというのに、今日に限ってなんでいきなり腕を組む?



「まさか……手を繋いでるだけだと俺の反応が薄いから次のステップに行きましょうとか。俺の苦しむ顔をもっと見たいから趣向を変えてみたとか。そういう事か?」


 雪菜が俺と付き合っている理由は俺の反応が見ていて面白いからというもの。


 俺は瑠姫姉に想いを寄せていて、でもそんな想いなんて叶うわけないと知っていて。

 だから、雪菜と付き合う事を良しとした。


 雪菜を好きになれたなら、瑠姫姉の事を諦められるかもしれないと思ったから。

 

 けれど当然、事はそう簡単にはいかなくて。

 俺は雪菜と付き合っていても瑠姫姉の影を追いかけてばかりだった。



 しかし、現実として俺が付き合っているのは瑠姫姉ではなく雪菜だ。


 そんな雪菜と恋人らしい事をするたび。

 かつて瑠姫姉がしてくれた事を雪菜がするたび。


 俺は『どうして今、隣に居るのが瑠姫姉じゃないんだろう?』と思ってしまって。

 その度に俺は雪菜に対して申し訳なく思ってしまうのだ。


 しかし、雪菜にはそうして傷ついている俺の反応が面白く映るらしく。

 だからこそ彼女は俺と恋人関係を続ける事を望んでいるらしい。

 果ては『自分の事を代替品として扱って』なーんて言う始末だ。


 だからこの行動も俺の新しい反応を引き出すための一環なのだろうと。

 そう俺は思ったのだが。


「……へ?」


「んんん?」



 なんだろう、その反応は?

 まるで思ってもみなかったことを突然言われて思考停止してしまっているような感じじゃないか。


「ああ、そういえばまだ何も言ってなかったわね。安心しなさい拓哉君。この行動にそんな意味はあまりないから」


「あまりってことは少しはあるのか」


「それは……そうね。私は相変わらず、あなたが苦しむ姿が好きよ。もっと言えば、恋に振り回されてる拓哉君の姿を見るのがどうしようもなく大好きなのよ」


「そうすか……」



 そこは変わらないのか。

 そう俺が内心呆れていると。



「好きよ。拓哉君」



 突然、雪菜が何か言ってきた。



「……はい?」



 なんだろう。

 たった今、好きと言われた気がしたんだが……気のせいか?



「どうしたの拓哉君? いきなり呆けた顔をして。まるではとが豆鉄砲を食ったみたい」


「え。あ。いや……」


 俺の事を心配してくれる雪菜。

 その彼女に変わった様子はない。

 やっぱりさっきのは気のせいだったようだ。



「わ、悪い。なんか幻聴が聞こえてきてさ」


「幻聴? どんな?」


「いや。なんといいますか……少し言いにくいんだけど……」


「ええ」


「雪菜がなんか俺に好きっていきなり言ってきた気がして……。いや、んなわけないよな。ははっ。俺たち、そういう関係じゃないし」



 俺と雪菜は恋人関係。

 しかし、互いに想いを寄せていない。

 だからさっき聞こえた『好き』は空耳。俺の気のせいだろう。


 そう俺は笑い飛ばそうとしたのだが。


「ああ、それ? 幻聴じゃないわよ?」


「……はい?」


 真顔で『幻聴じゃない』と断定してくる雪菜。

 幻聴じゃ……ない?

 それってつまり……。



「は? えと……。ああ、アレか。俺の苦しんでる表情が好きとか。そういう?」


「違うわ。拓哉君という一人の男性が好きなの」



 いつもの通学路を二人で腕を組んで歩きながら。

 どうでもいい世間話と同じようにそう告白してくる雪菜。



「もちろん。相変わらず拓哉君の苦しんでる表情は大好きだけどね。でも、それもしょうがないじゃない。だって好きなんだもの。好きは理屈じゃない。実のお姉さんが好きな拓哉君なら分かってくれるでしょう?」


「あ、ああ」


 同意を求められて、確かにそれはそうだと頷く俺。

 しかし。


「……って待て」


「なに?」


「どうして俺の好きな相手が姉さんだって知ってるんだ!? 俺、雪菜にそんな話してないよな?」



 俺の好きな相手は実の姉である瑠姫姉。

 好きになっちゃいけない相手だというのは分かってる。

 しかし、雪菜の言う通り誰かを好きになるという事は理屈じゃない。


 気づけば、好きになっていた。


 しかし、そのことについて雪菜に話したことは一度もなかったはず。

 

 なのにどうして、俺が瑠姫姉に想いを寄せている事を雪菜は知っているんだ?


 雪菜がそれを知れば。

 彼女は瑠姫姉のように振舞うかもしれない。



 そう思って俺は彼女にだけは瑠姫姉の事を一切知らせずにいたのに。

 いったいなぜ?



「昨日、拓哉君がどうして居るか気になってしまってね。それで拓哉君の家の前まで来てたのよ。そこで拓哉君が実のお姉さんらしき人に殴られたり抱きしめられたりしてるのを見たの」


「あの場に居たのか!?」



 確かに昨日、俺は瑠姫姉と家の前でそんなやり取りをしていた。

 まさかあの場面を見られていたとは……。

 



「ええ、居たわ。そこでお姉さんを見る拓哉君の顔を見て、ピーンと来たのよ。これは恋してる顔だなーって」


「そっかー。ピーンと来ちゃったかー」



 えらく曖昧あいまいな理由で俺の瑠姫姉への想いは雪菜にばれたようだ。解せぬ。

 だって俺、あの時たしかに瑠姫姉に抱きしめられはしたけど、その前に殴られてるんですよ?


 あの場面を見てどうして俺が瑠姫姉に想いを寄せてるって確信に至るのか謎すぎる。

 しかも正解なのがなんとなくイラっと来るし。



「しかし拓哉君のお姉さんって結構パワフルなのね。前に拓哉君、自分の好きな人は私に少し似ているって言ってたけど、どこも似てないじゃない」


「いや、正直言ってそこそこ似てるよ?」



 そのマイペースなところとか。

 何を考えてるのか分からないところとか。

 強引に俺を引っ張り回すところとか。


 そういうところ、雪菜と瑠姫姉はそっくりだと思う。

 もちろん、雪菜は瑠姫姉ほどわがままじゃないと思うけど。



「とにかく。あの瞬間に私、なぜか気づいちゃったのよ。『あ、私って拓哉君の事が好きなのね』って。だから、これからは拓哉君を振り向かせるために頑張るつもりよ」


「そ、そうか……。え? これ、もしかして告白?」


「告白……そうね。そうだと思うわ。あ、でも返事はまだいいわよ? 拓哉君の気持ちがお姉さんに向いてるのは分かってるし。拓哉君は今までのまま。『姉貴の代替品として雪菜をこき使ってやるぜぇ。げっへっへ』というスタンスで構わないわ」


「いやそんな事思ったこともありませんけど!? というか変な事を外で言わないでくれます!?」


「あら? 少し間違えてしまったかしら?」


「むしろ間違いしかないけど!? 悪意すら感じるんだが!?」


「失敬ね拓哉君。私が愛する拓哉君に悪意なんて抱くはずないじゃない。ただ……どんな関係になっても私はこうして拓哉君をずっと弄ったりして虐めたいなと。そう思ってるだけ。もはや趣味ね」


「そういうところはホンットに瑠姫姉に似てるな!! 頼むからそんな趣味は一刻も早く捨ててくれっ!」


「とにかく。拓哉君がお姉さんへの想いを捨てたいのなら好都合。私がなんとしてでもあなたを振り向かせて見せるわ。そしてあなたがどんなスタンスで居ようと関係ない。だって――」


「おっ――」


 そう言いながら。

 雪菜は強引に俺のあごをひっつかみ、間近から視線を合わせてきて。



「――そんなの関係なく絶対に。その瞳に私を映して見せるから。んっ――」



 そう彼女は宣言しながら。

 彼女と俺との距離はゼロになるのだった――


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