第31話『another 誓うわ』


 ――side高橋雪菜



「はぁっ。……はぁっ。……はぁっ」




 私は走っていた。

 訳も分からず、ただ懸命けんめいに足を動かしていた。



「はぁっはぁっ……」



 どこに向かえばいいのかも分からなくて。

 でもあの場にだけは居たくなくて。

 じっとしていられなくて走り続けて。



「はぁっ。あっ――」



 気づけばそこは私の家の近所の公園で。

 誰も居ない公園のその砂場で、私は足を取られて転んでしまう。




「はぁ……はぁ……なによ……これ……」



 胸が苦しい。

 走って息が切れているから……というだけじゃない。

 だってこんなにも……暴れたい。


 もう何もかも滅茶苦茶に壊してしまいたいなんて。

 そんな非生産的な事を考えずにはいられない。




「あぁ、もうっ!!」



 ――ドンッと。

 私はやり場のない怒りのようなものを込めて砂場に拳を打ち下ろす。

 


「なんなのよ、これ。本当に……なんなのよっ!!」



 こんなの、私らしくない。

 理性的じゃない。

 怒りに任せて暴れるなんて。


「あぁ、もうっ!!」


 再度、私は砂場に拳を打ち下ろす。


 こんなの、私じゃない。

 だって、私のよく知っている高橋雪菜という女はこんな非生産的な事を決してしないはずだから、


 けれど、こうでもしないとやっていられなかった。



「あれが拓哉君のお姉さん……」



 拓哉君が何をしているのか気になって。

 ふらふらと家を出て、彼の家に私は向かった。

 そうして彼の家の前に着いて私が目にしたもの。


 それは拓哉君と、どこか浮世離れしている感じの彼のお姉さんがなにやら言い争っている姿で。

 その後、その女の人と拓哉君は抱き合っていた。


 会話の流れから二人が姉弟なのだと理解できたけれど。

 その時の拓哉君を見て、嫌でも分かってしまった。



「拓哉君の好きな人って……実のお姉さんだったのね」



 どうしようもなく苦しそうで。

 それなのにどことなく満たされているような表情をしていた拓哉君。


 お姉さんを強く抱きしめようと手を震えさせていて。

 けれど、それは許されないからと何度も手を下ろしていた。


 きわめつきはあの目。

 拓哉君がお姉さんへと向ける目を見て。

 私は『あんなに色んな感情がごちゃまぜになった熱を。人はその瞳に宿すことができるのか』と感動してしまった。



 それを見て。

 私はその場にどうしても居たくなくて、逃げ出してしまった。



「ふ、ふふっ。そりゃそうよね。実のお姉さんに恋をしてるだなんて。そんなの秘めておくしかないわよね」



 拓哉君は絶対に自分の好きな人を明かさなかった。

 けれど、その理由も今なら分かる。


 言えるわけがない。


 実のお姉さんに恋焦がれているなんて。

 そんな話が広まったら、拓哉君もそのお姉さんも傷つくだけ。


 だからと言って、お姉さんに向かって愛の告白をするわけにもいかない。

 そうしても互いに傷つくだけ。

 関係性だって変わってしまうかもしれない。



 だからこそ、拓哉君は秘めておくしかなかった。

 告白してバッサリ振られて恋に破れることもできず。

 いっそのこと距離を置こうにも姉弟だからそれも出来ず。



 だからこそ、拓哉君はお姉さんへの恋心を胸の中に抱き続けたんだ。



「勝てるわけ……ないじゃない」



 そんな強い想いに。

 私なんかが勝てるわけ……。



「あ」



 そこまで言って。

 ストンとに落ちたというか。

 唐突とうとつに……私は気づいた。



「そっか。私……拓哉君の事がすごく好きなのね」





 一緒に過ごしていて。

 お姉さんへの恋心に振り回されてばかりの彼だけど。

 それでもたまに私の事を心配してくれる。



 そんな彼が……好きだ。



「ふ……ふふ。はは。あははははははははははははは」




 誰も居ない公園の砂場で私は笑う。

 ああ、なんて滑稽こっけいなんだろう。



 恋を知りたくて。

 激情を知りたくて。

 だから私は拓哉君に興味を抱いた。


 冷めた私なんかに本気の恋愛なんてできるわけがないと思って。

 だから彼の恋愛を隣で観察するだけでいいと。

 そう思っていたのに……実際はこのありさまだ。



 ――好き。

 どんな障害があろうとも私は拓哉君が欲しい。

 お姉さんしか映っていないあの瞳に、意地でも私の姿を映したい。


 そして、あの激情を私に向けてきて欲しい。

 そうすれば私はきっと、これ以上ないほどに満たされるから。



「なるほどね。これが恋。恋に落ちるってこういう事なのね。ふふふっ」



 ああ、確かに。

 この感覚は『落ちる』と言うのにふさわしいだろう。




 少しずつ相手の事が気になっていって。

 ある瞬間、唐突にそれが恋だったのだと気づく。

 その瞬間、まるで自分以外の世界が一変したように感じられてしまうのだ。


 この感覚は確かに『落ちる』という言葉以外、今は見つかりそうにない。



「私なんかに勝ちの目があるわけない。拓哉君がどれだけの想いを秘めているのか。私は知ってるもの」



 どれだけ拓哉君がお姉さんの事を想っているか。

 それを私は彼の間近で見てきたから知っている。


 そんな彼の姿を見て今まで私は楽しんでいたのだ。

 思えばそれも、恋をしている彼という人間に心を奪われていただけなのかもしれないけど。


 ともあれ。

 彼が自分の恋心にどれだけ翻弄ほんろうされてきたか、私は既に知っている。


 だからこそ、私なんかにその想いをどうこうできる訳がないと。

 そう思ってしまうのだ。



 自分じゃどうしようもないほどの恋心を拓哉君は抱えていて。

 そんな彼自身ですらどうしようもなかった想いを崩す事なんて、私なんかにできるわけがないと。

 そんな事を考えてしまう。



 そう思うけれど。

 でもっ!!



「理屈じゃ……ないのよね」



 諦めたくない。

 勝算のない勝負だというのは分かってる。

 普段の私なら無駄な事だからと行動もせずにさっさと諦めている。


 けど……これだけは諦められない。

 絶対に……どうしても……拓哉君が欲しい。



「ああ、これが物語のヒロイン達が抱いていた気持ちなのね」



 何度も何度も。色んな種類の恋物語を読んで。

 それを見てドキドキワクワクしてきたけれど、一度も物語のヒロイン達に共感なんて覚えたことはなかった。



 でも、今ならわかる。


 どれだけ障害があろうが関係ない。

 倫理とか。常識とか。周りの視線とか。どうでもいい。

 勝算なんていう数字上の問題なんて、それ以上にどうでもいい。



 だって、どんな問題があろうと。

 この『諦められない』という結論だけは変わらないから。

 

 だから――



「必ず――あなたを振り向かせて見せるわ」



 拓哉君の望み通り。

 その瞳から。

 その心の中から。


 あなたの想い人であるお姉さんの存在を消して見せる。


 そうしてあの瞳に。

 その心の中に

 私という存在を刻み付けてみせると。


 そう私は静かに誓うのだった――


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