第30話『姉、襲来』



 今日の授業もすべて終わり。

 俺は珍しく一人で帰路についていた。

 最近、いつも一緒に居た雪菜が今日は早退したからな。



 ならば必然。

 こうして一人で帰ることになる。



 俺としては体調が悪いという雪菜のお見舞いにでも行った方がいいんじゃないかなと思うのだが……。

 でも、それは優斗に止められたからな。


 そうなるともう帰るしかない。



「なんか……つまらないな」



 一人での帰り道。

 少し前までどうとも思わなかったのに、今はそれをつまらないと感じてしまう。



「最近は騒がしかったからなぁ」



 なんて事を思いながら、俺は自宅前に着く。

 時間的には雪菜と色々と話しながら帰るよりも早い帰宅。


 けれど、不思議と『帰り道ってこんなに長かったっけ?』とも思ってしまっていて。



「ん?」



 家の鍵を開けようとした俺は手ごたえを感じない事に気づき、ついいぶかしげな声をあげる。


 これは……鍵が開いている?



「鍵、かけ忘れたか?」



 そんなことはないと思うのだが……。

 首をひねりながらも俺は玄関ドアを開ける。

 すると部屋の中から『ゴタッ、ゴトッ』と物音が。



(まさか……泥棒?)



 うちに泥棒が入るなんて。

 そんな事、フィクションじゃあるまいし。あるわけないだろと思ってしまう。


 しかし、実際に家の中から物音はしている。

 俺はおそるおそるといった様子で家の中の様子をうかがい……。


「あ」

「あ」


 そうして。

 俺の家の中を荒らしていた侵入者とバッタリ目が合う。



 腰まで伸びた銀色の髪。

 気だるげな様子でこちらを見つめる赤の瞳。

 青のジーンズにヘソが出るタイプの黒いフリフリの服を着た女性。


 その瞳が俺を捉えると同時にハッキリと見開かれる。

 そうしてその女性はニヤリと捕食者のような笑みを浮かべて……。



「間違えました」



 バタンと。

 俺は玄関のドアを閉じた。

 そのまま――――――ダッシュでこの場から立ち去るっ!!



 しかし。



「どうしたの、拓哉? お姉ちゃんから逃げようとするだなんて。とても悲しいわ」



「いぃっ!?」



 なぜか回り込まれてしまっていた。

 いや、なんで!?



「ちょっ……瑠姫姉。どうしてこんなところに居るの!? 確か拘束の厳しい全寮制の、しかも海外の大学に通ってるって話だったよね?」


 そう。

 今、俺の目の前に居るこの女性こそ俺の姉であり想い人でもある瑠姫姉るきねえこと水野みずの瑠姫音るきね


 その瑠姫姉は両親達の手によって、半ば強引に全寮制の大学に入れられたはず。

 だからこそ。ここ最近、俺は瑠姫姉と会っていなかったのだ。

 それなのにまさか俺の家で何やら物色しているだなんて……。


 そんな瑠姫姉のいきなりの登場に目を見開きながら。

 俺はなんでこんなところに居るのかと尋ねる。


 すると瑠姫姉は自信満々に胸を張りながら。



「先生に事情を話して一時的に出してもらったわ」



 そう答えた。

 事情?

 いったいどういう事情でここに?


 いや、そもそもの話。

 どうやって今、回り込んだの?



「ねぇ瑠姫姉。さっきまで俺の家の中に居たはずだよね? それなのにどうやって俺の背後に回ったの?」 



「それこそ愚問よ拓哉。――お姉ちゃんからは逃げられない」


「どこのラスボスだよっ!!」



 どうやら回り込んだ手段については教えてくれないらしい。

 まぁ瑠姫姉だし……なんでもアリ……なのか?



「それより拓哉……心配したわ」


「心配?」


 はて。

 何か心配される事でもあっただろうか?



「だって拓哉。昨夜は家に帰ってこなかったでしょう? まさか私の許可なく、女の子の家に泊まってたなんてこともないでしょうし」


「は……はは。何を言ってるんだよ瑠姫姉。そんなの当たり前じゃないか」



 俺は思いっきり冷や汗をかいていた。

 なんで俺が昨夜、家に帰ってこなかったことを知ってるの?

 雪菜の家に泊まっていたことは知られていないようだが。


 いや、瑠姫姉はそれすらも知っていながら知らない振りをしている?

 分からない。

 そもそも瑠姫姉の考えを読むなんて。俺には不可能だし。


 なーんて思っていたら。


「天罰。ペシーンッ」



 そう言って。

 瑠姫姉は俺に向かって『ペシーン』とは程遠い、どちらかというと『ドゴォッ!』という感じのボディーブローをかましてきた。



「げふぁ!? なんで!?」




 不意の一撃。

 とはいえ、いつもの俺ならきっと避けるくらいはできた。

 けれど、瑠姫姉に逆らってはいけないと体で分からされている俺はその一撃をモロに食らってしまう。



「なんで? そんなの決まっているでしょう? 今、お姉ちゃんがとても傷ついたからです。拓哉が愛しのお姉ちゃんに嘘を吐くような悪い子になってしまって……。お姉ちゃんは悲しいわ。ヨヨヨ(ゲシゲシッ)」


「いや、ちょっ。瑠姫姉!? そんな思いっきり蹴りを入れながら言われても困るんだけど!? むしろ現在進行形で俺の方が傷ついてるよ!」



「心配ないわ。これは愛のむちだもの。お姉ちゃんは弟のためを思うからこそ蹴るのです。決して、弟が知らない女といつの間にか付き合ってることにムカついてる訳じゃありません」


「なんでさらっと俺が付き合い始めたってこと知ってるんだよ!? どこまで俺の事を把握してるんだ瑠姫姉は!?」


「そんな……。拓哉。お姉ちゃんに何を言わせようとしてるの? おませさんなんだから……。ぽっ」


「え!? ちょっと待って。瑠姫姉。本気で俺の事をどこまで把握してるの? もう恐怖しかないんだけど……」


「決まっているでしょう? お姉ちゃんは拓哉の全てを把握してるわ」


「すげえや瑠姫姉。そんな事、瑠姫姉以外の誰かが言ったなら冗談だって一蹴するのに。瑠姫姉がそう言うと冗談に聞こえないや」



 俺は心の奥底から瑠姫姉に恐怖した。

 本当に……相変わらず無茶苦茶だ。


 だけど。

 こんな無茶苦茶な瑠姫姉こそ瑠姫姉だなとも思ってしまう俺も大概だな。



「まぁいいわ。拓哉だってもうお年頃なのだし。恋人を作るくらい普通よね。お姉ちゃんは寛容だから怒らないわ」


「いや思いっきり怒ってたよね!? いきなりボディーブロー入れて、何度も蹴ってきたよね!?」


「拓哉……可哀そうに。怖い目に遭ったのね。お姉ちゃんがなぐさめてあげるわ」


「そうだねっ! 怖い目に遭ったねっ! 主に瑠姫姉に怖い目に遭わされたんだけどねっ!」


「それはきっと並行世界に存在する悪しきお姉ちゃんね。大丈夫よ。たった今、真なるお姉ちゃんが悪しきお姉ちゃんを更生させたから」



「………………そっかー」



 もはや言葉も出ない。

 真顔で冗談のような事をペラペラと喋りまくる瑠姫姉。

 独特なその雰囲気は絶対に崩れず、逆に相手の方が根負けしてしまう。


 ――懐かしい。

 瑠姫姉はやっぱり、瑠姫姉のままで。



「そういう訳だから。拓哉、少ししゃがみなさい」


「分かったよ」



 俺はそんな瑠姫姉に逆らえず、少ししゃがむ。

 そういえばいつの間にか瑠姫姉。少し小さくなったな。

 いや、俺が大きくなったのか。


 でもこうしてしゃがむと俺は瑠姫姉を見上げるような形になって。

 この形になると、つい期待してしまう。


「はい。ぎゅー」



 そんな俺の心すらも瑠姫姉は見透かしていたのか。

 俺の期待通り。

 そしていつの日かと同じように。


 瑠姫姉は俺を抱きしめてきた。



「ふぅ。やっぱり癒されるわねー。拓哉からはお姉ちゃんを癒す感じのフェロモンが漂ってるに違いないわ。今度の研究発表のテーマはこれにしようかしら」


「何を馬鹿な事を言ってるんだよ」


「真面目なんだけどねー。で、拓哉はどう? お姉ちゃんからも弟を癒す感じのフェロモンとか出てるのかしら?」


「知らないよ、そんなの」


「知らないって何よ知らないって。うりうり~~。スンスン犬のように私の匂いを嗅ぎなさい。スンスン……。なにこれいい匂いっ! やっぱり私の弟は癒し系ねっ!!」


「瑠姫姉が犬のようになってるじゃないか……。そろそろ離れてくれよ」



 ああ。

 本当に、離れてほしい。

 そうじゃないと、我慢できなくなるから。


 瑠姫姉は俺の姉として俺を可愛がってくれているだけだ。

 俺の事を異性として愛してるわけじゃない。


 瑠姫姉はどう思うのだろう?

 俺が既に瑠姫姉の事を一人の異性として見ていると知ったら。


 少なくとも受け入れられることはないだろう。

 けれど。


 距離を置かれるようになるかもしれない。

 気持ち悪いような目を向けられるかもしれない。

 そうして……今のこの関係が壊れてしまうかもしれない



 瑠姫姉の匂いを嗅いだら癒されるかって?

 馬鹿。

 いやされるわけ、ないだろ。



 癒されるどころかむしろ、たかぶってしまう。

 瑠姫姉が俺の事をどう思おうが関係ない。

 いますぐこの手の中にある温もりを滅茶苦茶にしてやりたくなる。



 瑠姫姉の匂いを嗅いでいると、嫌でも俺の中の獣がそう訴えてくるのだ。

 当然、そんなことは許されない。

 だから俺は理性でその獣を抑える。



 そうやって俺が努力しているというのに。

 瑠姫姉は俺の事を離さないどころか、いきなり頭をなでてきて。



「ふふっ。ダメよ。今はお姉ちゃんに甘えてなさい」



 こっちは嫌がっているのに。

 瑠姫姉は俺の事を離してくれない。



「はぁ………………」



 ああ、本当に嫌になる。

 ただ頭を撫でられるだけ。


 たったどれだけで少し癒されてしまっている自分が確かにいて。

 もっとこの時間が続けばいいのにと思ってしまっている自分が確かにいて。



 そうして俺は自分の家の玄関先で。

 瑠姫姉に抱きしめられながら、頭を撫でられ続けるのだった。


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