第三話 旧都京都


片落ち角の鬼


 いったいどういう状況だ…。ついさっきまでは山の中にいたはずだ…。


 悪い夢を見ていたような気がするし、心地いい夢を見ていたような気もする。

 身体が怠い、そして重い。


 今頭に思い浮かぶ一番新しい記憶は、青い宝石を透かしたような空、ものすごい勢いで天高く昇る入道雲、微風で揺れる木の葉と夏草。横を見遣れば、妖怪が人間を真似て作った不格好な田んぼ。稲にはピンク色の卵が張り付き、葉の先には線の細い薄い青色のトンボが止まっていた。木々ではセミが恋歌を響かせ、野良犬が砂利道を横切る。


 そんな田舎道を抜けた先…。


「俺は妖怪の集落で……」


 今目の前にある景色とさっきまでの景色との乖離がひどい。


 一体何があった。俺はどうなった。あのじじいは。てか此処どこだ。

 真っ白な部屋、あたりには紙や見たこともないゴミが散乱している。


「チッ…いいから落ち着け」


 目の前の髭面のおっさんは低く、それでいて野太い声で言った。そしてそう言った後、面倒くさそうに胸ポケットに手を伸ばし、白色の真ん中の上に水色の見える箱から煙草を取り出した。タバコを徐に口に咥え、同じくポケットから取り出した鉄のライターからカンと心地いい金属音が鳴り、火のついた煙草を吸い始めた。

 煙草を咥えながら、空になったその柔らかい箱をクシャっと握りつぶし、このくすんで色あせた部屋の角にあるごみ箱へと投げ捨てる。

 

 …だが、狙いは外れたようだった。


 おっさんは初めのひと吸いを細く長く肺に入れて話し出した。


「いいかもう一度言う。オメェは今日からここで働く。いいな?」

「……は?」

「バァカなんべんも言わせんじゃねェ」


 皺の寄った細い目で俺を睨み、そう言う。

 ただでさえ状況が掴めないのに、さらに混乱させるようなことを言うのだ。


「おっさん、ここ何処だよ……?」


 自分でも驚くほどだった。やっと出たまともな言葉は、ひどく掠れたその一言だった。


「だから言ってんだろ? お前が寝言で散々行きたがってただ。旧都京都。日本で最も妖怪が多い都市。それでいて、初めて人間と妖怪が共存した街でもある。ったく…クソったれな街だぜ」

「…都? ここが…都なのか?」

「だからそうだって言ってんだろうが。なんべんもなんべんも言わせんじゃねェよ…」


 おっさんは立ち上がると、煙草を咥えながら移動する。


 6畳ほどしかない部屋には、なにやら机と椅子がひとつづつ。机の上には見たこともない箱と板、そのほかには散らばった紙類が見えた。床はジメジメとした畳、台所らしき所には、噂で聞いた井戸に行かなくとも水の出る銀の蛇口が見られたが、それは汚れた皿に埋もれていた。玄関らしきところは腐りかけの木のドア。特に目立った物は他に無いが、如何せん酷い臭いを放つゴミが部屋中に散乱している。

 灰皿に山積みになった煙草、腐った食べかす、カビ臭い服。そしてそんな服の中には、汚らしく脱ぎ散らかされた鮮やかな色をした下着もある。おっさんのではないだろうが…まさか?


 何が書いてあるかわからないが、難しそうな漢字が書かれている額縁の下の窓。おっさんはゴミを掻き分けてそこまで移動すると、その窓を開けた―――。


「ほれ…これが都だ」


―――――っ?!


 俺は息を呑んだ。


 気が付かなかったのか、窓の外には暗い空が広がり、大きな大きなまんまるい月が見えた。でもそんなことはどうでもいい。

 俺は立ち上がり、その景色に吸い込まれた。怠くて重い身体の事なんて気にせず、まるで赤ん坊が初めて歩くかのようにヨチヨチと窓の外へと吸い込まれたのだ。


「………これが…都?」

「おうよ」


 地上から十数メートルの位置、そこから俺はこの京の街を見下ろした。

 

 まず目に入ったのは大きな大きな一本の通りだった。田舎の砂利道なんて比じゃない。いや、比べるのも烏滸がましいと思うほど大きな、それでいて煌びやかな一本の通り。

 その通りの真ん中には、なにやら鈍い音を響かせ、機械の馬が前方を照らしながら秩序良く通り抜けていく。そしてその上空には天狗が忙しなく飛び交い、翼を大きく広げてその煌びやかな街を見下ろす。

 

 通りの端は赤と白の提灯と派手なのぼり旗で彩られ、夏の夜風が涼しげにそれらを揺らす。そしてそれが、この通りの先の先、そのまた先の先、己の目では見えないほど先まで続いてるのだ。

 道行く妖怪は人間と肩を組み、飲み交わし、笑い、笑い、笑う。


 気前の良さそうな人間が、立派な角を携えた鬼にお酌し、鬼はそれを豪快に飲み干す。背中に大きな黒い翼を携えた鴉妖怪が、同じく黒い翼をもつ天狗と屋台で談笑している。お酒の勢いではっちゃけて転ぶ河童と、それを笑いながら茶化す人間。文字通り首を長くして待つ首ながに「ごめんごめん、待った?」と駆け寄る人間。見れば見るだけの人間と妖怪がいた。

 

 綺麗だった。鮮やかだった。煌びやかだった。


 たぶん、俺の目は宝石の如く輝いていたと思う。

 それほど綺麗な街だった。本当に、ここにいるだけで――


―――なんでも手に入りそうな程に…。


 だが、おっさんはそんな俺のことなんて知ったこっちゃないとばかりに窓を閉める。


「あぁ…」


 俺の口からは、まるで子どもがおもちゃとかお菓子を取り上げられた時のような、そんな情けない声が出た。


「おいクソガキ、オメェいくつだ?」

「俺はガキじゃねェ」

「だからいくつだって聞いてんだ」

「………今年で15だ」


 すると、おっさんは煙草を咥えながら笑った。


「ダハハハハ! ほら見ろ。ガキじゃねェか」

「うるせェよ! そんなことより俺の質問に答えろ! 俺は…俺は何で都にいるんだ?」


 おっさんは窓辺からさっき居たところまで戻り、煙草を灰皿に押し付けて消した。


「それもさっき説明したろ? オメェは、燃えないゴミに、出されてたんだよ」

「んなこたぁ俺だって聞いた。なんでそうなってんだって聞いてんだ!」

「そんなもんコッチが聞きてェよ。いったいどうなったら燃えないゴミに出されんだ?え?」

「………」


 俺は何も言えないかった。何も言えないというか、何も知らないというか、何かを答えるにはあまりにも知らな過ぎた。状況も、都の事も、このおっさんの事も。

 だが、身体の怠さと重さは消え失せ、今では少し苛立ちが勝っていた。それはおっさんの態度に対する怒りでもあり、何も知らない自分に向けた怒りでもあった。


 何も言えないまま数秒が経った時、玄関らしきところのドアが勢いよく開けられた。あの腐りかけの木のドアだった。


 まさにドンッ!!という音が鳴った。木のドアは勢いよく壁にぶつかり、魔女の笑い声のような音と共に揺れながら元の場所に戻ろうとする。しかし、木のドアが戻る前に、ひとりの妖怪が入ってきた。


「佐野、あのざこざこの調子はどうだ?」

「あぁボス。今目覚めた」

「なに、本当かっ?!」


 そう言うやいなや、幼女のような体躯をした妖怪は俺の方に寄ってきた。左右に分けて結ばれた金髪の髪は、俺のくすんだそれとは違う、もっと無垢な金色だった。そしてその髪の長さは一尺ほどで、小さな体の肩の下の方まで下げられている。小さな体つき、金色の髪、少々つり上がった目。

 下には短パンと上には簡素な布のようなものを着ている。何やら文字が書いてあるが、俺には読めない。


 不思議な物を興味深そうに見るボスと呼ばれている妖怪。一瞬、人間にも見えるが違う。妖怪には妖怪が分かる。身体から溢れる妖力をそう簡単に隠せはしない。


「おい、調子はどうだ? ざこざこ」

「ざ…ざこざこ?」

「気にするな、ボスの口癖だ」

「お前、どこか痛むところはあるか? 名前は? 此処がどこかわかるか?」

「……ボス、いっぺんに聞きすぎだ」

「すまんすまん、久々に鬼なんて見たものだからな」

「鬼…コイツがか?」

「佐野! 3日前にも話したよな! コイツは同類だと」


 佐野と呼ばれた男は、ばつが悪そうに頭を搔いた。


「すまん、全然聞いてなかった」

「はぁ、これだからざこざこどもは……」

「…なぁ、お前らいったいなんなんだ? 俺、なんでここにいるんだよ」

「おい佐野、説明してやらなかったのか?」

「説明した」

「わたしはここのボス。この髭面のおっさんは佐野、元なんだったか?」

「今その話はいい、ところで、お前の名前は?角なし」

「……俺は角なしじゃねェ。鬼鬼鬼キキキってんだ。鬼が3つで鬼鬼鬼キキキ……」


 正直、この名前は嫌いだ。今まで何度も馬鹿にされてきた。俺の知らない誰かが俺に残した名前。

 何を血迷えば同じ文字をみっつも繰り返すような名前を付けるのだろうか。この名前のせいで、里では散々な思いをしてきた。


「鬼がみっつで鬼鬼鬼キキキか…。良い名前だな。強そうで」


 ボスと名乗った幼女の妖怪は、あっけらかんとそう言って見せた。

 そしてその瞬間は、俺は頭が麻痺したような感覚になり、真っ白になった。


「…本当にそう思ってんのか?」

「ざぁこ。わたしが嘘を吐くように見えるか? しかしキキキとは呼びにくいな…これから長い付き合いになる」

「……は?」

「………そうだ、鬼がみっつなんだろ? 三ツ鬼みつきなんてどうだ? お前は今日から 三ツ鬼みつきだ。よろしくな!」

「ちょ、まてまて。長い付き合いになる? みつき? なに言ってんだ?」


 ボスと呼ばれる妖怪が来てから、さらに話がややこしくなる。未だに重要なことは何もわかっていない。

 わかっていることと言えば、俺はなぜか都にいるということと、何やら変な二人組と汚いゴミまみれの部屋で変な会話をしているということだけだ。

 頭がおかしくなりそうだ、というか。既におかしくなっていると錯覚してしまう。その奇妙な感覚は、俺に怒りを覚えさせるほどだった。


 いや、これは夢なんだ。悪夢なんだ。


 俺は多分、あの妖怪の里で死んだ。ぬらりひょんのような頭をした長身の妖怪に切られて死んだのだ。そうだ、絶対ににそうだ。暁をたっぷりと染み込ませた刀で胸を両断されたのを覚えている。

 そして何かの手違いでこのような変な地獄に来ている。何かの拷問か、何かの罰か…。


「おい佐野、固まってしまったぞ。本当に説明したんだろうな?」

「俺ぁちゃんと説明したぞ」


 未だに変な二人組の会話が耳に入って来る。

 自分の頬を思いっきりつねってみる。


「……いてぇ」


 ってことは悪夢じゃねェ。じゃあ地獄か…。でもこんな悪趣味な地獄があり得るのか?


「おい聞け三ツ鬼!」


 高い声が鼓膜に響き、俺は思考の世界から引き戻される。


「お前は今日からここの一員だ。わかったか?」

「………」


 一体何を分かれというだろうか。


「いいか? 私たちは妖怪と人間との事件を専門的に取り扱う仕事をしている。最近できた国の機関で、名を『百怪一味ひゃっかいちみ』という」

「………」

「元は警察の管轄だったんだがな…いろいろあって現在は分離中だ」


 ボスと呼ばれた金髪の幼女妖怪は腰に手を当て、腐りかけで異臭を放つ畳に座る俺を見下しながら、なにやら訳の分からない説明を始めた。


「ここは都で妖怪が最も多い都市だ。人間と妖怪が共に暮らしている。それは聞いたか?」

「あ、あぁ……一応」

「だが、妖怪と人間は違う。種族も違えば寿命も違う。価値観も違えば見た目も違う。信仰するもの、卑下するもの、好きなもの嫌いなもの。そういった違いからいざこざは生まれる。わかるな?」

「…おう」

「だから事件が起こる。これまで、妖怪が妖怪の社会で問題を起こせばその内部で裁かれていた。人間も同じだ。だが妖怪と人間がともに暮らす社会、そこで問題が起こればいったい誰がどんな権利でどういう風に裁く?」

「………さぁ?」

「話の分からないざこざこだな! そこで我ら『百怪一味ひゃっかいちみ』の出番というわけだ。それくらい自分で頭を働かせろ。このざぁぁぁこ!!」


 ダメだ、話を聞いてるだけでだんだんイライラしてくる。


「しかしここのところ、都の治安は悪くなる一方だ。妖怪の能力を活かした新たな犯罪をはじめ、様々な犯罪が横行している…。妖怪が人間を傷つけ、人間が妖怪を傷つける。そんな単純な構図だったらもっと楽だったのだが…」

「違うのか…?」

「最近では、悪い妖怪と悪い人間が手を組み、善良な妖怪と人間をターゲットにするケースが多くなっている。警察だけでは手に負えない。だから我々の出番というわけだ」

「お、おう…」

「人間を傷つける妖怪や、妖怪がらみで罪を犯す人間がいれば即座に無力化! 然るべき課に送検してもらい勾留! そして罪状に応じて起訴し裁判という流れだ」

「ソ、ソウケン…? キソ?何言ってんだお前?」

 

 田舎では聞きなれない言葉の羅列が脳を巡る。まるで外国語だ…。

 幼女は何かを考えるかのように一呼吸置き、さらに続ける。


「だが、妖怪と人間の数は年々増え、犯罪の件数も増加傾向にある。故に……我が隊は深刻な人手不足に悩まされているという訳だ。何が言いたいかわかるか?」

「………いや?」

「ほんっとうに話の分からんざこざこだな! 踏みつけてやる!」

「…や、やめろっ!」


 素足を上げ、俺を踏みつけようとする。


「はぁ、スカウトだよスカウト…。我が隊はお前が欲しい。言ってる意味分かるか?」

「……な、なんで俺なんだよ?」


 暫しの沈黙が流れる。


「………運命?」

「嘘つけ!」

「う、嘘じゃないぞ!ちゃんと感じてる、心の底から感じているぞ! 運命をな!」

「なにが運命だ! お前の目は適当なこと言って騙そうとしてる目だ!」

「う、カンのいい奴め……。ただのかっぺではないなこのぉ!」


 目の前の幼女は、なにやら意味不明な身振り手振りをしながら必死になっている。

 その間、佐野と呼ばれているおっさんは身近なゴミを漁り、中途半端に空いている煙草のソフトケースを見つけ出していた。


 目線の先にあるのは腐りかけの畳。


 何が嘘で何が本当かもわからない。ここがこの世かあの世かもわからない。

 気が付けば、とてつもない怒りが湧いていた。


「…ふざけるなよ。俺ぁ、こんなことをするために都に来たかった訳じゃねェ!こんなくだらねェ茶番をするために都に来たわけじゃねェぞ!」


 すると、おっさんはスカした顔で煙草の煙を吐き、ここぞとばかりにニヤリと突っ込む。


「まぁ、オメェが都に来たわけじゃねェけどな」

「…うっせェ!!」


 立ち上がり、先ほどこのボスと呼ばれる妖怪が入ってきたドアの方に向かう。俺は捨て台詞のように言った。


「……付き合ってられるか」


 そして色褪せたノブを回して部屋を出ようとしたとき。背中に低く野太い声が響いた。


「オメェは大きな勘違いをしている。さっきも言ったが、オメェはここで働くことになっている」


 俺は身を半分ほど翻し、半目で髭面のおっさんを見遣る。


「…しらねェよ。そんなもん」

「だから言ってんだ。オメェは勘違いをしていると…」


 勘違い…?なんだっていうんだ。


「ボスはスカウトと言ったが、厳密にいえばそれは違う。これは脅しだ…」


 おっさんの鋭い眼光と俺の目線が交わる。僅かに殺気を乗せられたおっさんの目線、プンとかおる煙の臭い。先ほどのおちゃらけた雰囲気は何処にもない。


「……脅しだと?」

「これは俺のカンだが…、オメェさては帰る家がないだろ? 何か不幸事があったか、そこに居られなくなったか、それかか…」 

「……っ?!」

「ホレ図星だ」

「…だったらなんだっていうんだよ」

「俺たちが拾ってやろうって言ってんだ。都が目的なんだろ? いいじゃねェか。オメェはここの一員として働く。オメェは都に居られる……」

「余計な世話――」


 そう言った瞬間、まるで俺の返答を予想していたかのように、おっさんは食い気味に話す。 


「言い方を変えてやる」

「………」

「捨てられてたゴミをどう使おうが、それは拾った奴の勝手だ」

「…ゴミだと?」

「あぁそうだ。オメェは何等かの理由で里を追い出された。そして事情があって燃えないゴミに出されていた…オメェは覚えてねェようだがな」

 

 そして、目の前のおっさんはまるで切り札を繰り出すかのように、ニンマリと不気味な笑みを浮かべながら紙を取り出し、それを俺に見せた。

 内容はよくわからないが、右上には俺の写真が載っており、その下記には文字がびっしりと詰まっていた。

 だが、何か俺にとって都合の悪いものを見せつけられているというのは理解できたのだ。


「…なんだよそれ?」

「もう既にお前は、公式的にこの部隊に入隊したことになっている。寝ている間に指紋、網膜、尿、便、骨格、血液、性器、全部記録した。どういうことかわかるか?」


 俺は戦慄した。


「これはひとつの例だが…この前、隊の秘密を洩らそうとした構成員が告発された。奴は国も黙認しているで拷問を受けている。それだけじゃない、行った悪事以上の苦痛を与えられ、地上、いや太陽すら拝むことなく殺される」

「………」

「まぁそこまではないにしろ。公式に公務員となった奴が逃げだしたら…いったいどうなるだろうな? まずはすぐさま『百怪一味』の全支部に連絡が行く、そこから警察や地方の自警団にも連絡が行く。都から地方、北から南、重要な場所から末端まで、お前の特徴をもとに全国に指名手配が発布され、お前の居場所はなくなる」

「鬼だな…お前ら」

「鬼はテメェだろばぁぁぁぁぁか! ハナから詰んだよクソガキ」


 だが、俺はこの話は全くのブラフだと確信している。さっき幼女の妖怪は忙しいと言っていた。人手不足だとも言っていた。なのに、たったの俺ひとり、たったの鬼一匹を追い回す余裕はないはずだ。

 すると、佐野はまたニヤリと笑った。


「今オメェ、『そんなことできるはずがねェ』って思っただろ」

「………」

「ホレ見ろまた図星だ。オメェには気の毒だが、俺ぁやるぜ。この際だからハッキリ言うが、俺たちは嫌われ者だ。なんたっておっさんと幼女妖怪一匹…都にある支部の中でも序列は一番下。権力もなければ回って来る金もねェ。回ってくるのは、誰もやりたらねェ仕事か、黒い仕事だ。例えば、逃げた構成員を始末しろ…とかな。俺ぁやるぜ、明日の食うためにお前をどこまでも追いかけて国に突き出す」

「……っ?!」


 さっきまであったニンマリがおっさんの口から消えると共に、ものすごい殺気を乗せた目線で俺を睨みつける。俺はまるでカエルが蛇に睨まれたかのようにして身動きが取れなくなった。

 額と背中に滲む気持ちの悪い脂汗。本当にヤられる。直感的にそう感じてしまった。


 俺が一体何をしたんだ、こんな目に合うようなことをしたのか? 里を追い出され、同類を助けようかと思えば妖怪に切られ、目覚めたと思えば今度は訳の分からない集団に入れられそうになり、逃げようとすれば殺すと脅されている。


 本当に散々だ。


「さぁ、選べ。俺たちとして国に突き出されるか。ここで働き、お前の居たいというこの都に居るか。どっちかだ…」


 なぁ、俺ぁこんなことをするために都に来たのか…。何かが欲しくて都に来たんだろ…? 自分でもわからねェけど、ずっとずっと欲しかったモノ。

 片落ち角と揶揄され、孤独になり、ついには里を追い出された俺がずっと欲しかったモノ。


 やっと手に入れたその手掛かり、それは山道であった奇妙な奴の言っていた都だった。


―――俺は、こんなところで足止めを食らっている場合じゃない。

 

 欲しいモノを手に入れる。そしてあの集落の鬼たちに見せつけてやるんだ。「俺は手に入れたぞ」ってな…。この何でも手に入る都で…。俺は欲しいモノを手に入れる。


 なんたってここは…都なんだから。何でも欲しものが手に入る都なんだから。


 あの景色を見た瞬間にすべてを察した。妖怪も人間も、その垣根無く手を取り肩を組み、酒を交わす。

 最新の文化、食べたこともない物、見たこともない技術、触れたこともない奴ら…。この都でなら…。この日本の中心地でなら。


―――俺は手に入れられる気がする…。


 だから、だからこそ…。


「俺はこんなところで足止め喰らってる場合じゃねェんだ」

「ほう、何か目的があると?」

「あぁ、都はんだろ?」


 俺がそう言うと、佐野はため息と一緒に白い煙を吐いた。残念な奴でも見るような目線を俺に遣り口を開いた。


「かっぺが…。都じゃなんでも手に入る? バぁカ! 此処じゃ何にも手に入んねェよ。あるのは毎日お祭り騒ぎのバカな連中とクソったれな犯罪だけだ。都? 日本の中心地? 笑わせんなってんだ」

「…なんだと?」


 信じられない。頭が真っ白になる。

 確かに噂話程度だった。人から聞いた信憑性のかけらもない話だった。騙されているという自覚もあった。でも…まさかこんな……。


「参考程度に聞いといてやるがオメェ、何が欲しくて都に来た?」


 俺は、正直に全部答えた。


「…力だ。俺は角なし鬼だ。角が無けりゃ力もねェ、牙もねェ、身体もデカくならねェし目の色も変わらねェ。そんな鬼は里に居られない…。だから、ここで力を手に入れて、里のみんなを見返してやりたい!」

「……なるほどなぁ」

「………?」

「甘ェよ、砂糖よりも甘ェ。ついでにオメェ、バカだろ?」

「なんだと?」

「生まれつき角がねェ。だから牙もなければ力もねェ…。だから何でも手に入ると噂の都で力を手に入れて里に復讐だァ? オメェ、バカにも程があんだろ?」


 佐野は続けた。


「そんなもんはなぁ、自分でどうにかするモンだ。角が無けりゃ、角が無くても強い自分に鍛えりゃいい。牙がなけりゃ、牙以外の武器を見つけて研げばいい。なぜハナから眉唾物の噂に頼る? オメェは甘ェ。角が無い、牙が無い、力がない。だから俺は弱くて可哀そうだから仕方が無いって公表してるもんだ」

「お、おい佐野…言いすぎだぞ」


 違う。違う違う違う!!

 そんなに簡単な話じゃないんだ。人間みてェに鍛えりゃ何とかなる話じゃないんだ!


 そもそもなんで何も知らねェおっさんにそんなこと言われなきゃいけないんだ!


 今日からここで働く? 百怪一味ひゃっかいちみ? それこそコッチの知らねェ話だ。付き合ってられるか!

 挙句の果てにはよくわからない怪しい幼女に勧誘され、よくわからない怪しい髭面のおっさんに謂れのない説教をくらっている。


 訳の分からない状況で訳の分からない奴らにわけ訳の分からない話をされる…。俺はこんなことをするために都に来たわけじゃないんだ。

 一発だ、一発でいい。一発でいいからこのおっさんを殴ってやりたい。


 俺は、そう思った。


 これまで散々バカにされて散々遊ばれて散々な目にあって散々な説教を受けたんだ。一発くらい…。


 俺の中に黒い炎が燃え上がる。

 胃の中に、まるでコールタールのようなドロドロとしたモノが沸き上がるのがわかる。

 俺は鋭い眼で目の前のおっさんを見据えた。


「何もわかってねェ癖に!!」

「………っ?!」


 俺は全てをぶつけるつもりで拳を振り抜いた。


 左足で踏み込む。腰を捻じる。右半身が前に出ると同時に、そのすべての体重を乗せた右手をおっさんの顎に向けて放った。


 ゴッ!!と、鈍い音が鳴る。


 おっさんの口から火の消えた煙草がポトっと落ちた。確かな感触、そして顎の骨が手の骨に当たった微かな痛み。手ごたえはあった。


―――しかし。


「いいパンチじゃねェか…。だが足りねェ…何もかもが足りねェ……」

「……っ?!」


 次の瞬間、俺の身体は壁に打ち付けられていた。衝撃、鈍痛、空白。


 俺は、妖怪は愚か人間にも負けるのか…? 拳は届かないのか…? 俺はそんなに弱ェのか…? 情けねェ。情けねェよぉ…。


 涙が溢れそうになる。だが我慢する。泣いてはだめだ。だって俺は鬼だから。


「さもすべてを込めたようなパンチだったが…その実何も足りてねェ。思いも、経験も、力も」

「…そうかよ。好きに言いやがれ……」

「なら好き放題言ってやる。お前は弱ェ。一番弱ェ」

「…おい佐野」

「ボス、黙っててくれ。俺ぁ漢としてコイツに言わなきゃならねェ」


 佐野はそのまま続けた。


「角がねェ牙がねェはお前の言い訳だ。それらしい言葉並べて弱い自分を正当化していただけだ。そうやって自分を守ってたんだ…鬼らしくもねェ」

「………っ?!」

「なぁそうだろ? 本当は自分でも気づいてたんだろ? ってな」


 そうだ。おっさんの言うとおりだ。バカな自分でも唯一悟っていた真理があるだろう?


―――世界にはどうしようもないことがたくさんあるって。


 角が無い、牙が無い、力がない、身体も大きくない、色の変わる目もない。

 みんなと違う。みんなと違うから仕方が無い。仕方が無いから俺は不幸だ。不幸だから俺は悪くねェって。そうやって言い訳並べて逃げてきたんだ。


 それでも、逃げて逃げて逃げて逃げた先にあった希望が、この都だったんだ…。

 でも、結局俺が都に求めていたものは間違っていた。間違っていたんだ。角が欲しい、牙が欲しい。みんなと同じになってみんなを見返してやりたいって…。それは間違っていたんだ。

 そんなもので手に入れた力は、結局は自分で手に入れた力じゃねェんだから…。


 ならば―――。


「俺は欲しい! 角もいらねェ…。牙もいらねェ。俺は鬼だ! 角なしの鬼だ! 鬼らしく我儘に、鬼らしく傲慢に。もう孤独だから、角が無いから、牙が無いからって言い訳したくねェ…。純粋に自分の力だけで強くなりてェ…。だって俺は……」


―――鬼だ!!


「良く吠えたクソガキ!!その言葉が聞きたかったんだ。今この瞬間、お前はクソ雑魚から雑魚に進化した!」


 さらに佐野は続ける。


「そして、そんな力を求める雑魚におあつらえ向きの仕事がある。健全な妖怪や人間を傷つけのさばっている悪党どもをぶっ倒す仕事だ…どうだ?」

「………」


 本当にいいのだろうか。都では何も手に入らない。でも俺は純粋な力が欲しい。角や牙に頼らなくても、里のみんなを見返せるほどの力が…。


 ボスと呼ばれた幼女妖怪が俺の前に立つ。

 そのボスに、窓から入った月明りが差し、まるで光芒のように纏っていた。ボスは手を俺に差し出す。


「三ツ鬼! わたしの手を取れ!! 今日からお前は私の部隊家族だ!」

 

 俺は…俺は……。


―――その手を取った。


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