第二話 片堕ち角の鬼

片落ち角の鬼


 俺は都に向かう。

 不安、孤独、生まれながらの理不尽。

 

 角はない、牙もない、強靭な肉体も、獅子をあっと驚かせるほどの巨体もない。溢れる力もなければ、色の変わる眼もない。何もなく、何も残っていない。何もできない。

 それでも、俺がずっと欲しいと思っていたモノ。今まで気づかないフリをしていたずっと欲しかったモノ。それが欲しいと思ってしまった。だから俺は…。


―――都に向かう。


 いや、分かっていたんだ。ずっと分かっていたんだ。俺はみんなとは違う。その中で、それにそれに気づかないようにしていたんだ。


 俺は鬼だ。


 角が欲しい。みんなと同じ角が欲しい。

 牙が欲しい。みんなと同じ牙が欲しい。

 目が欲しい。みんなと同じ目が欲しい。

 力が欲しい。みんなと同じ力が欲しい。


 でも俺は片落ち角の鬼。角が無いことにはそのどれも手に入りはしない…。だからこそ、だからこそみんなを認めさせる力が欲しい。


 周りの妖怪、鬼、里長を認めさせる力が欲しいんだ。


 目的の定まった道の半ば、夏特有のジメジメとしたぬるい風が、俺を導いてくれていた。

 暗く、深い山の中、生き物の気配などない鬼の集落とはうって変わり、少しづつ視界が開け、木の密度が小さくなっていることが伺えた。


「人里に近づいている証だな…」

 

 と、自分を鼓舞するためにそう呟いてみたものの、まだまだ道のりは長いようだ。

 そんな山道を歩いていると、山の斜面に棚が重なるように作られた田んぼがちらほらと見られるようになった。


 器用なことをするもんだと感心している中、とある威勢のいい声が耳に入った。





「こ奴は傲慢にもッ! あの世から出てきた閻羅人えんらにんである!!」


 まるで何かを訴えかけるような、そんな演説のような声が聞こえたのだ。

 人の気配はない。しかし妖怪の気配は数多ある。どうやら人里ではなく、妖怪の集落のようだった。聞いた話では、都までもう少しのところ…。なにかひと悶着ありそうだと己のカンが言っていた。


 みるみるうちに木は少なくなり、山の斜面の中で開けた場所に俺は出た。急な登りと木々で拝めなかった太陽を拝むことができる、と思いきや、その太陽は風で倍速のように流される分厚い雲によって隠されてしまった。


 目の前に映るは、空の青と山の緑のコントラスト。そして木のない開けた山の斜面に沿わせるように、緩やかに古風な藁ぶき屋根の家が並び、その近くを小川が流れている。


 チョロチョロ。

 チョロチョロ。


 小川はそう言って軽石を下流へと運ぶとともに、近くの住人に水を運んでいるのだ。


 噂には聞くが、人間は鉄で支えられた家に住むらしい。そこに身の安全の全てを預けるのだ。妖怪であれば考えられないことだ。

 ただ今眼前に広がっている藁ぶき屋根の家のように、最低限雨風を凌げる一時的なシェルターでよいのだ。妖怪の寿命は長い、人間と違ってローンなんて概念もない。その時々を楽しみ、泣き、怒り、悼み、笑い飛ばして生きる。

 次の世代のためにだとか、老後のための貯金だとか、死後はどうなるかだとか。そんなことはどうでもいいのだ。したいときにしたいことをする。――そして後悔は後でする。


 ちょうど今、自分がそう思っているように――。


 ふと周りを見渡してみると、ここはやはり妖怪の集落のようだった。しかし、自分が追い出された集落とは違い、鬼だけが住んでいるような集落には見えなかった。

 先ほどの威勢のいい声は、どうやらこの集落の広場らしき所から聞こえてくる。そしてその広場には、ワラワラと数多の妖怪どもが群がっている。天狗のような者、化け猫のような者、鳥のような者…。


 そしてその声がはっきりと聞こえた。


「こ奴が閻羅人えんらにんであるということが何を意味するか分かるか?」


 背の高い妖怪だった。まるでぬらりひょんのような瓜型の頭をし、細い目による目線と、力強い身振り手振り、低く野太い声、そして言葉の端々に知恵が垣間見える演説で、周りの妖怪たちに何かを訴えかけていた。


 ひょんと、俺は群衆の中から顔を出す。

 普段は開けているだろう広場の真ん中には、自分と同じくらいの背丈の老人が組み伏せられていた。

 後ろで束ねられている髪は長く、そしてその髪の端は白く染まっている。老いた妖怪だ…。しかし、その姿を見た時、俺の時は止まった気がした。視線は真っ直ぐ、その組み伏せられた老いた妖怪の額を離さなかった。


「…角――」


 老いた妖怪の額からは、脇差のように鋭利な角が二本生えていた。


 ワラワラと集まる群衆。

 口々と言葉を発する群衆。

 我先にと前列に出ようとする群衆。


 それらによって俺の声はかき消されたが…。俺は確かに見た。あの老いた妖怪の額には角がある――。故に…だ。

 胸が蛇の胴に締め付けられるような痛みが走る。


 ぬらりひょんのような頭をした妖怪はその老いた鬼を縛り、空いた両手を叩いて群衆を傾聴させ、演説を続ける。


「さぁ、みなみな共よ。審判の時だ」


 審判の時…?ということは裁判か。胸中で察する。

 あの老いた妖はこの集落で何か悪さを働き、この集落の長であろうあの演説をしている妖怪に捕らえられ。裁判を受けている最中なのだ。


 より一層群衆がザワつくなか、演説は止まらない。


「聞けい! みなの共! 閻羅人えんらにんとは閻魔の使い、地獄の使いだ! 死後の世界の者が我々の現世に何用かッ!」

「………」

「のう閻羅人えんらにんよ、わざわざ我らの集落に入り込み、何を企んでいた?」

「……さぁ、なんじゃったかの」

 

 老いた鬼は「ゴホゴホ」と咳き込む。

 しかし、そんなことはお構いない。


「地獄で我々が裁かれるのなら、ここで我々が貴様を裁くのも道理、そうではないか?そもそも、地獄あの世現世この世は不可侵のはず…。なぜ掟を破った!」


 しかし老いた鬼は何も答えない、ただ目を瞑り、細く長く呼吸をしている


 群衆は口々にヤジを飛ばす。「そうだそうだ!」と腕を振り上げ、唾を飛ばし石を投げ、閻羅人と呼ばれる老いた鬼を痛めつける。


 その群衆の姿を見た裁判官はニヤリと笑み、頃合いかとさらに演説に拍車をかける。大きな身振り手振り、唾をまき散らしながら雄弁に演説する。


「……しかし我々も彼の閻魔のように“鬼”ではない。そしてここは裁判の間。公平に投票で決めようではないか! ここに住み憑く妖怪も、騒ぎで駆け付けた妖怪も、みな投票に参加するがいい」


 そう言い終えた後、なにか確信を得たかのように、その裁判官を務めるこの集落の長はまたニヤリと笑った。もうあれは勝ちを確信している顔だ。どうあれ、あの閻羅人とやらを罰するつもりなのだ。


「さぁ、みなみな共分かたれよ! こ奴を有罪とする者はみなから見て右に寄れ! 無罪だとする者は左に寄るのだ!」


 里長が瓜のような頭を左右に振りながらそう言と、皆ブツブツと言いながら顎に手を当て、有罪とする方に歩き始める。


「掟は掟だからなぁ…」とか、「地獄から出てくる方が悪くないか?」とか、「閻羅人だからなぁ…」とか。


 その声が耳に入ってくるなり、ジンと心臓が跳ねた気がした。気持ち悪い。直感的にそう感じたのだ。なんだ気持ち悪さは…。なんだこの居心地の悪さは…。なんだこの不快感は…。自分の内臓を駆け巡る不の蜷局とぐろに、俺は一種の嫌悪感を覚えた。


 そして、そんなことを知ってか知らずか、勝ちを確信した里長はその細い目で老いた鬼を見下し、こう言った。


「閻羅人なぞに生まれるからだ。大人しく地獄に居ればいいものを…」


 そう吐き捨てた。

 

 分厚い雲に隠れた太陽が姿を現す。


 そして、里長は己の腰に下がっている太刀の鯉口を切る。黒色の鞘から引き抜かれた刀身を掲げ、聴衆に見せる。刀身を天高く掲げることで、太陽の光をたっぷりと染み込ませているのだ。そうすることで、それは対妖怪の道具として最も効果的な武器となる。

 妖怪は暁時に最も力が弱くなり、黄昏時に最も力が強くなるからだ。


 あまり使われていないであろう綺麗な刀身が、太陽の光を妖しく反射させる。普段使いではなく、こういった時にのみ使用している事が伺えた。

 老いた鬼は己の命に興味がないのか、達観した姿勢でそれを受け入れているようだった。手を後ろで縛られ、胡坐をかき、わざとうなじを里長に向け、切りやすいように仕向けていた。


 そして里長は手向けの言葉を紡ぐ。


「―――地獄に生まれたことを、恨むんだな」


―――なんだよそれ。


 気が付けば、俺は里長の目の前に体を出していた。

 邪魔をされたと思ったのか、舌打ちを少し漏らして刀を俺の方に向ける。


 暫しの緊張の間が走ったかと思えば、里長はフと笑う。俺を見てあざ笑うのだ。


「…人間が何用だ。ここは妖怪の里だぞ」


 恥ずかしいとか、そんな感情はもう置いて来たのだ。俺は額を曝け出す。


「俺は……鬼だ!」


 その瞬間耐えられなくなったのか、里長ともどもここの住人が俺を笑う。その細い目で俺を見下し、刀を向けながら嘲う。


「お前が鬼。お前ごときが鬼なものか。なんだその角は、そんなものは角ではない。ただのコブだ」


 妖しく光る刀身の切っ先を俺の額に向け、笑う笑う。


「………」

「何も言えぬか、そりゃそうよ。して、そんな高尚な鬼殿が斯様な里に何用か…」

「その閻魔の使いを離してやれ。地獄に生まれだけで殺されるのは…あまりにも理不尽だ」


 また笑う。


「プッハハハハハ、理不尽なものか。こ奴ばらめは我らを殺す。我らが地獄に落ちれば、耐えがたい苦痛を与えた後、必ず我らを殺すのだぞ。例外はない。お前も殺されるのだ。お前の親がそうなったように。我ら妖怪の宿命とはそういうものよ」

「それでも、現世にいるあの世の者を殺していい道理にはならない。本当に地獄に落ちるぞ、お前」

「ええい黙れ黙れ!角無しの鬼が何をのたまっても変わらん! この閻羅人諸共刀の錆にしてくれるわ!!!」


 その時、初めて老いた鬼の口が動く。


「……!小僧っ!」


 しかし、もう遅かった。その声が届いたときには、目の前の妖怪が振るう刀は、俺の身体を袈裟に切っていた。


 気が付けば、頬に焼けるような感触。太陽がジリジリと焦がした砂の感触を感じた。目を開くと、世界の半分は地面だった。


 胸が痛む。ジンと痛む。


 普通の刀であればこうはならなかっただろう。妖怪の身体は強い。故にすぐに治癒もできただろう。

 しかし、あれは、あの刀は話が違う。妖怪の嫌う太陽の光をたっぷりと染み込ませた刀だ。


 切られた所から痛みが広がっていく。ジンジンと、ジワジワと。まるで傷口に酸を塗り込まれたかのように、局所的な痛みは身体全体に広がる…。


 地面と自分との間には、ドロっとした何かがあった。たぶん、己の血だ。視界の端に、なにやら赤黒い液体が広がっていくのが見える。白い砂に、緑の草に、小石に、砂利に、俺の赤が侵食していく。

 ボーっとする。耳が遠くなっていく。目の前が暗くなっていく。


―――やっぱり、俺ぁ弱ェ。


 何も見えない。

 何も聞こえない。


 これが、俺の最期か…?

 胸の底から憎しみが溢れるのがわかる。


 俺は恵まれない鬼、望まれない鬼。片落ち角の鬼。


 ただ最後にひとつ。望みがあるとするならば。


 何でも手に入るという。


「―――都に…行きたかった」


 怨む、ただ怨む。妖怪らしく。自分の恵まれない生まれを。


 ボーっと暗くなる視界、聞こえづらくなる耳。そこに映るのは、血を振って俺を見下し、嗤うひとりの妖怪。


 そして最期に、聞こえた。


「…半端者の鬼擬きが、儂の手を煩わせおって」




 半端者、村八分、片落ち角…。そして生まれ……。全部自分じゃどうにもならないことだ。


 頭の上から偉そうに物言う里長の顔が鮮明に、そして鮮烈に脳をよぎる。杖で人を指し、唾を飛ばしながら説教をする。どこの鬼の角がどうとか、どこの鬼の目の色がどうとか、どこの鬼の牙がどう、肉体がどう。それに比べてお前がどうとか、生まれがどうとか、親なしがどうとか片落ち角がどうとか地獄がどうとか全部全部全部全部!!

 

―――全部クソ喰らえ。


 はらわたの底の底が熱くなる。そして黒い炎が燃え上がる。その炎は胃まで上がり、喉まで昇り、目の奥が熱くなる。筋肉が硬直する。息が細く長くなる。髪が逆立つ。鼓動がドンドンと跳ね、首の動脈が大きく脈打っている。


 もうあと寸刻であの世だという刹那。


―――俺の世界は黒く染まった。


 熱い、重い、痛い。


 だが―――力は漲っていた。


 重い体を起こし、立ち上がる。

 目の前の敵は、まるで鬼でも見たかのような強張った表情をしていた。


「な、なんだ貴様。なんなんだ貴様!いったいなんだそのはぁぁぁぁ!!!」


 捕らえられていた老いた鬼も、目を見開いて言う。


「…いかん、小僧っ。正気を保て!堕ちるな!堕ちるな!!」


 この里の長の声を聴き、広場にいた妖怪どもはキャーキャーと叫びながら散り散りに逃げてゆく。


 うるさい。全部がうるさいんだ。説教垂れる里長も、何もわかってないのに同調する有象無象も、自分より下の奴はどうとでもコントロールできると思い込んで雄弁そうに演説する奴も…。

 でも今は力が溢れている。何でもできそうな気がする。気分がいい…。俺は、だ。


「お前さん、逃げろ。お前さんでは、この小僧には敵わん」


 老いた鬼がそういうと、ぬらりひょんのような頭をした里長は、身を半分程翻し、そのまま「ひぃ」とだらしない声を上げて逃げる。


「…なんで逃がすんだ? アイツはお前を殺そうとしていたんだぞ」

「助けてくれと頼んだ覚えはない。そんなことよりお前さん…――その角、どうやって手に入れた?」

「………?」


 角? 何のことを言っているのかわからない。俺に角はない。片方の角は生まれつき無く、そのせいでもう片方の角の成長も止まってしまった。故に俺に角はない。

 里では片落ち角と揶揄され、誰にも相手にされなかったんだ。


「どうやら気が付いておらんようじゃの。ならば警告じゃ、ちぃと深呼吸でもして落ち着かんか…。でないと小僧…―――堕ちるぞい」

「…さっきから意味不明なことばっか言いやがって。じじいも俺の事を揶揄うのか」

「そうではない。ただの警告じゃ」

「いいや、そうやって俺の事を揶揄っているんだろ。角無しの鬼だと、嘲って揶揄って馬鹿にして。みんなそうだ。みんなそうだったんだ。俺は孤独だ。だから都に行くんだ。でもその前に、俺のことを馬鹿にしたアイツに復讐したい」

「……こりゃもう手遅れかの」


 老いた鬼は何やらボソボソと呟き、俺の前に立ちはだかった。


「じじい、アンタは同類だ。戦いたくはない。だからどいてくれ」

「ならん! 小僧、あまりこの老いぼれを舐めてくれるな。これでも平安の時から生きとる死にぞこないぞ」

「なら、アンタを押しのけてでも俺は行く」

「ダメじゃ、そこから一寸たりとも堕ちさせはせん」

「さっきから堕ちるとか角がどうとか。どうなっても知らねェからな」


 俺は老いた鬼に警告し、溢れんばかりの力で拳を振り抜いた。

 今まで感じたことのない軽さ、それでいて全体重を乗せた右の拳は、かすかな手ごたえと共に目の前の鬼を振り抜いたのだ。


 しかし、そこには誰もいない。


 そして次の刹那。首にとてつもない衝撃を感じたと共に、俺の視界は暗転した。


 なくなりつつある感覚。真っ暗な視界、何も聞こえない世界。そんな闇に吸い込まれそうになった時。あの老いた鬼の声がかすかに聞こえた。


「小僧、そのまま堕ちるでないぞ。努々ゆめゆめ忘れてくれるな…」



 ※


 

「おい、片落ち角!お前自分の角は何処にやったんだよ?ダハハハハ!」


 小さい頃の記憶だ。昔の、昔の記憶だ。


 俺は額を擦る。しかし、そこには何もない。一本角とか二本角とか、そんな贅沢な話は言ってられない。だって俺には、角が無いんだから…。


 小さい頃から、みんな俺を揶揄う。角が無い、コブしかない。片落ち角、チビ。ついでに親なし。


 みんな俺を馬鹿にする。みんな俺を除け者にする。だって角がないから。みんなと違うから。俺と同じ時期に生まれたみんなはどんどん体が成長していった。筋肉が付き、身体が大きくなり、角が大きくなり、牙も大きくなり、ここぞという場面を経験して目の色を変え、そうして成長していった。


「鬼の角には種類があります…」


 この声は…よく鬼の集落に来ていた若い女の妖怪のものだ。経験豊富で知識もある故、知識を学ぶ機会のなかった集落にそれを持ち込み、度々広場でそれを話してくれていた。


 里の広場、月に一度来るその若い女の妖怪は、各集落を回ってその集落にいる子ども妖怪に学びの機会を与えていた。その時も、広場に小さな鬼ばかりを20ほど集め、大きな本を広げて授業をしてくれていた。


「初めに一本角。これは由緒正しい鬼の家系によくみられる角で、力がとても強く成長します。身体も大きくなりやすく、鬼の中でもトップクラスの力持ちに成長するでしょう。ほとんど勝てない妖怪などいない程に…」

 

 その言葉を聞き、一本角を携えた鬼の子がワーワーと騒ぎ出す。


「次に二本角。一本角ほど力は成長しませんが、それよりも恵まれているのはその妖力です。うまく妖力を使いこなせば一本角にも引けを取りません」


 そういうと、また二本角がワーワーと騒ぎ出す。


「そして、この脇差のように鋭い二本の角。この里にはいませんが、獄卒は大抵この角を持っています。特出した力、妖力はもっていませんが、この角を見かけたら逃げましょう。地獄の使いに襲われてしまいますからね」


 そう脅すと、また鬼の子らはワーワーと騒ぐ。


 俺は気になった。子どもながらに気になったんだ。だから問うた。


「ねぇねぇ、じゃあ俺の角は~?」


 俺は前髪を捲り、その額を曝け出した。


「………」


 女の妖怪は何も言わなかった。


 すると…。


「バァカ、オメェは片落ち角だろうが。一本も二本もねェよ!」

「そうだそうだ! 関係ねェんだから向こう行ってろ!」

「………」


 口々にそういわれ、俺は大人しくその場を後にした。


 女は俺がいない所でも話をつづけていた。


「そして最後に…この角を持った鬼には要注意です―――」


 そんなことを言っていただろうか。俺は背を向けて歩き出していたから、その先は距離的にも聞こえなかった。


 角なし、親なし。


 生まれはどうにもできない。それはバカで幼い俺が俺なりに悟った世界の真理のひとつだった。俺には何もない。そしてその虚無が俺に孤独を生んだ。

 そしてついには村を追い出された。

 孤独と絶望、そんな闇の中、救いの糸が垂れてきた。一筋の希望。それは都の存在だった。


 話に聞くと、都では何でも手に入るらしい。


 ならば、俺がずっとずっと欲しがっているもの。ずっとずっと昔から欲しがっているもの。それが手に入るかもしれない。


 闇の中から見えた一筋の光。俺はそれに縋りつくしかないんだ。


 だから、だから…。俺は都へ行くんだ。


 都へ、都へ…! 都へ……!


―――都へ!



 ※


「うっせェよクソガキ!」


 野太い怒鳴り声。その声で俺は目覚めた。

 そして目覚めると、黄色く濁った天井と白い光を放つ筒が目に入ったのだった。

 

 背中と腰が痛い、いったいどれだけ固いところで寝ていたんだ…。いや、俺はそもそもどうなったんだ。

 そんなことを考えていると、先の野太い声がまた聞こえた。


「都都って。ここがその都だよバカ野郎」

「………都?」


 頭の整理が追い付かない。ここが都なのか。ここがあの都なのか…。

 俺は現状を理解するために、まずは体を起こした。身体中が痛い、重い、そして怠い。


 野太い声のした方を見ると、そこには白髪の混じった無精髭を携えた大男が、なにやらいろいろなものが散らかった床で胡坐をかいて腕を組んでいた。


「おうとも…」

「………」


 すると、大男は言う。


「都都って寝言でぎゃーぎゃー言いやがって、仮眠も出来やしねェ」

「……そんなことより、ここぁどこだ? てかおっさん誰だよ!」

「だからさっきから言ってんじゃねェか。ここは都…。そんで俺ぁ、佐野ってもんだ」


 都? 佐野? 何がどうなって…、あの集落は? あの妖怪は? あの鬼のじじいは? 俺は、なんで都にいるんだ?

 頭がおかしくなりそうだ。いや、頭がおかしくなった結果がこうなのか…。やべェ…何ひとつ理解ができねェ。


 すると、佐野と名乗った男は徐に口を開く。


「おいクソガキ…。オメェ、良い情報とわりぃ情報、どっちから先に聞きたい…?」


 目の前のおっさんはニヤリと笑いながら、俺にそう問いかけてくる。


「じゃ、じゃあ…悪い方から……」

「チッ、後に取っとくタイプか…鬼らしくねェな…」

「いいから言えよ」

「オメェ……今朝の燃えねェゴミに出されてたぞ」





「………は?」





「そして良い方だが…ここは、この場所は……」


 その瞬間、俺の目にはこの佐野と名乗った男の口がまるでスローモーションになっているように見えた。

 わかりきっていた。良い情報なわけがないと…。


 緊張が走る。俺は多分、目を見開き、口を開き、阿呆面でその言葉を聞いていたのだと思う。






―――今日からお前の職場だ…。




「……………はぁ?」




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