第零話 もしこの作戦が失敗したのなら 


 何処かの誰かが言った。


―――『このは新鮮が枯渇し、陳腐が飽和している。何処で何をしても、それが諸行無常であり、移ろい流れゆくものである限り終着駅は退屈。伊能忠敬はどんな気持ちで日本を測量したのか。コロンブスはどんな気持ちで大西洋を横断したのか。ヴァスコ・ダ・ガマは、マルコ・ポーロは…。このに探検あれど、はない』


 何処かの誰かが言った。

「任せた」と。


 だから応えた。

おう」と。


  *


「だからお前はざこざこのざぁこなんだぞ!」


 そんな声が、闇にも等しく暗い路地から漏れて聞こえてくる。 


 今宵は生憎の土砂降り。

 まさに神の怒りを体現したような雨や雷が、京都の夜空から降り注ぐ。雨は一段と激しく、その雨雫はバチバチという音を立ててアスファルトに叩きつけられる。


 神は並々ならぬ怒りを覚えたようだ。


―――ビカリッ!


 具現化された神の雷は、空を切り裂いて地に落ちる。一体、神は何に対してこんなにも怒っているのだろうか…。

 夜の街には誰もいない。ただ点滅するネオンが、誰かの残りの寿命を嘲笑っているようで憎たらしい。


 雨降る夜、静かな京都の通り――。


 物寂しげに佇む街灯、瀕死の電球、錆びた標識、犬の小便の跡が付いた電柱、荒れた道路。結局なんの和もらなかったこの時代。この新しい時代に、また、誰かの心も平和ではなかった。

 新たな時代には、新たな事件が起こるものだ。


 黒いジャケットを羽織ったひとりの大男が、白髪交じりの無造作に伸ばされた山賊のような髭を弄りながら、路地裏で携帯電話と揉めている。遠くからでも、その携帯電話のスピーカーから、なにやらキーキーといった、まるで幼女が駄々をこねているような声が聞こえるのだ。


「今しがた非公式ではあるがコチラに通報が入った。街で天狗数体が神通力ちからを使ったらしい。我々の出番だぞ、佐野」

「こんな雨の夜にか?俺ぁやだね」

「何を言っているんだ佐野、だからお前はざこざこなんだぞ」

「ボス、さっきからそのざこざこってのァはなんだ?」

「しらないのか?人間の若者の間で流行っているんだぞ」

「………」


 佐野の鼻筋から雨粒が零れ落ちた。


 佐野と呼ばれる大男は、たぶんそれは間違っている、と思いつつも、無視して話を進めた。


「なんで俺たちなんだ?もっと別の部隊があるはずだ」

「ええいうるさい! ざこざこのざぁ~こめ! いいから私の言うことを聞け! 天狗の内一体が御池おいけ通りで目撃されている。ボコボコにしてやれ、いいな?」

「………」

「い・い・な?」


 いいな?という言葉に、佐野はとんでもない殺気と圧を感じた。


「……あいあいボス」

「では、この任務を“天狗ボコボコ作戦”と呼ぶことにする。任せたぞ、佐野」


 その言葉を最後に、電話はプツっと言って切れてしまった。佐野は咥えていたタバコの最後のひと吸いを細く長く肺に入れて、それをため息と共に吐き出し、外れた通りから大通りへと向かう。

 路地を出た時点で、煌びやかな京都の町の雨と夜景が目に入る。妖怪が最も多いこの都では、人間だけの街では見られないような文化が開花し、独自の発展を成し遂げていた。


 すこし見やれば、羽の生えた妖怪でも袖と翼を通せるように、背中や腰のあたりに穴が開いている服が売られ。それがショーウィンドウに並べられてライトアップされている。かたや、道路を挟んで対岸の店を見ると、鬼のように巨大で強靭な肉体を持つ妖怪が使っても安心できるように、耐久性に優れた道具やサイズの大きいシューズなども販売されている。ロゴには大きく『パワー』と見えた。

 他にも怨霊や幽霊の類が、覗きや悪戯いたずらをしないために、一部の建築には塩が練り込まれていたりする。


 人間と妖怪。それぞれ文化も違えば見た目、能力も違う。寿命も違うし価値観も違う。


―――故に、事件が起こるのだ。


 妖怪と人間が共存するが故に生まれる。いや、共存できてしまっているが故に生まれる新しい文化や価値観が存在するように。また、妖怪が人間社会に参入することで生まれる新しい問題も存在するのだ。


 この日本には、新たな手口での銀行強盗や拉致、妖怪特有の能力を利用した未曾有の犯罪が多発している。そして、そんな問題や事件には国家が新しく設立した、国家公安委員会管轄の新たなが対応する。この機関は既存の警察とはまた別の機関として立ち上がり、中には元警察官、元軍人、霊媒師や陰陽師、武士の家系、妖怪に詳しい学者、僧や巫女、が所属している。

 そして、彼らは―――対妖怪のプロフェッショナルだ。


 現に、前職をクビになった佐野は、4年前にボスに拾われ、それからは京都の街で妖怪に関する事件を解決している。

 ボスに拾われてからというもの、散々な目にあい、散々な任務を熟してきたが、それはまた別のお話――。


 佐野は報告のあった場所へと向かう。

 そして向かう途中、怪しい者がいないかと目を凝らす。報告によれば、さほど大きな事件ではないようだ。例えば大きな爆発があったり、大規模な虐殺が行われたり…。現状を鑑みても、目的地方面から誰かが泣き叫びながら走ってきたりもしていない。


 事件の詳細では、数体の天狗が人の街で神通力ちからを使ったとのことだったが。どんな能力をどこで誰に向かって使ったのかも知らない。

 ただ、妖怪に関する新しい法律が施行されてからは、妖怪が人の街で能力を使うことは御法度だ。

 

「ようデカいにいちゃん、一杯いかが?」


 陽気な妖怪が佐野の前に立つ。

 背は低いが、金魚鉢のようなものを頭から被っている。佐野は道理でとは思ったが、その鉢の下には、生臭い魚の面があった。よく見るとまるで宇宙服だ。頭には金魚鉢、背中には、ろ過装置と水に一定濃度の酸素を入れる機械を背負っている。極めつけには、地上でも人や地上の妖怪と変わらず生活できるように、ヒレに義足を接続できるアタッチメントもついている。


 佐野は面倒くさそうに目線の下にいる宇宙服を睨みながら、いつも思っていることを問うた。


「…お前さん、なぜそこまでして都に来る?」


 わざわざ海や川から出てきて、わざわざ安くもない特別なスーツを買い。わざわざ地上で不便な暮らしをする…。

 佐野は、なぜそんな面倒くさいことをしてまでこの京都に来るのかと問うたのだ。


 すると、金魚鉢のなかにいる魚面うおづらはポケっとした顔で、さも当たり前かのように語った。


「なぜってそりゃ…。―――都じゃ


 雨はいっそう強くなる。京都の煌びやかな夜の街を、雨の雫で満たしていく。


 大きな通りの真ん中には、ライトをつけた車が行ったり来たり。そしてその上空には、「雨だ雨だ」と空を迷惑そうに見上げながら、すっ飛ばしていく翼をもつ妖怪たち。赤く光る提灯が、先の先の先の通りまで均一に並べられ、雨と風に揺られている。提灯と提灯の間には、みなが思い思いののぼり旗を揚げている。行きかう人と妖怪は肩を組み、屋台や出店で飲み交わすのだ。

 頬が鬼灯の如く赤く染まった人間が、まだもう一杯と酒をあおり、全く平気な顔をした鬼がそれをさらに煽る。かと思えば、また別の場所では、佐野の目の前にいる全くの同じ魚面の種族が、屋台の魚介ラーメンに文句をつけている。「同類を食うなとか」「可哀そうだ」ではなく……。「まずいから無料にしろ」と見え透いたケチをつけているのだ。


 佐野はその風景を見てため息をついた。


「…なんでも手に入る、ねぇ」

「で、一杯いかがっすか?」

「いや、今は遠慮しておこう。――任務中だ」


 それを聞いた魚面は、どこか察したような顔をしてまた別の道行く人に声を掛けに行く。


 *

 

 夜の黒と同化するように、一対の漆黒の翼を携えた一匹の妖。一本歯の下駄は砂利や泥を掬い上げて本人の服に付く。しかし、当の天狗はそんなことは気にしてはいられない様子だった。


 大事そうに黒い小箱を抱え、夜の闇に融け込む。しかし、それに立ちはだかる大きな大きな影がもうひとつ。


「とまれ、そこの天狗」


 大通りから外れ、はじめの目撃証言とは少し離れた、人の影一つない寂れた通り。そこに野太い声が響き、“天狗”と呼ばれた影は驚いたようにして止まった。


 そして制止を強制した大きな影は続ける。


 野太い声の持ち主だった。こんなシケった夜にはジャズやブルースでも聞きながら、ウイスキーを片手に葉巻を吹かしていそうだと思うくらいには…。そう、ダンディな声だったのだ。


「あー、お前には黙秘権がある。お前の供述は法廷で不利な証拠として……。あ、こらぁは違うやつだったか……」

「………」

「その手に持っている黒い箱をこちらに蹴れ、両手をこちらに見せて腹這いになるんだ………。いや、これも違うやつか…。」

「…人間、お前はいったい何を…?」

「…クソ、対妖怪のマニュアルなんて読んでねェぞ畜生…」


 佐野は小さく舌打ちを零しながら独り言をのたまっている。


 天狗と呼ばれた者は呆れた様子で、まさに開いた口が塞がらない状態であった。


 大きくもない通りの街灯の僅かな明かりで“天狗”と呼ばれた者の姿が仄かに露になる。特徴的な一本歯の下駄、身長は160程でそこまで大きくはない。そして背中に携えた大きな一対の黒い翼。しかし、長い鼻や赤い肌は見当たらない。古書などに見られる天狗の赤い肌や長い鼻は、たまたま酒に酔った鼻の大きい天狗を、当時の人たちが誇張して描いたもので、顔だけに注目すれば何ら人とは変わりない。


 ダンディな声の持ち主は頭をポリポリと掻く。


「と、とにかく」


 影は小さく咳を払った。


「妖怪が人の街で力を使うことは御法度だ、身柄を拘束させてもらう」


 天狗は開いた口をそのままに、言葉を紡いだ。


「残念だが人の者よ、我は断固として従うことはできない」 

「そうか、そりゃ残念だ」

「………?」


 天狗はその男の言葉を聞いて訝しんだ。まるでコチラが元から不利な立場かのような態度だ。


「いやなに、コッチの話だ」


 男は雑に着こなしたジャケットの袖をまくる。まくられた袖の生地は、その腕の太さに悲鳴を上げているようだった。ハンカチが飛び出す胸のポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃになったソフトケースのタバコを取り出す。手慣れた様子でタバコに火を付け、天狗を睨みつける。


「つい100年ほど前までは、神通力を使ったところで罪に問われることは無かったのだがな…」

「バぁカ、いつもまでも寝ぼけてんじゃあねぇ。時代っつうのァ変わるんだよ。人も変わる。社会も変わる。それに合わせて世界も変わる。その逆も然り。だがおめェら妖共があまりにも傍若無人だったもんでな、つい数年前には、お前たち妖怪に関する法律も変わっちまった、そんで……」

「………」

「俺の仕事も増えちまったってワケだ…」


 男はタバコをピンと指で弾いて捨てる。雨の所為で、タバコを吸う事は叶わなかったようだ。


「つまり、我らは相容れないということであるな」

「お前次第ではあるがな」

「それは無理な話だ」

「なら俺ぁお前を殴るしかない」


 佐野は天狗を嘲笑するかのようにそう言った。そして同時に天狗は、どうやら口では何も解決しないようだ、と察した。


「すまぬが人の者よ、我は手は抜けぬぞ」

「奇遇だな。同じことを言おうとしていた」


 天狗は、人のその言葉を聞いて鼻でフと笑う。所詮は人の力…。妖怪を如何にできようか…。

 男はみすぼらしくも肩を濡らし、ファイティングポーズをとる。


 そして、次の刹那。それは一瞬の出来事だった。


 天狗は翼を広げ、まるで地面を滑るかのようにして一気に距離を縮めた。凄まじいスピードだった。物音ひとつと立たない絶技。


 曰く、天狗は風を味方につける。


 曰く、天狗は天気を味方につける。


 世には天狗に関するこんな逸話がある、彼の天の狗は、水飢餓に襲われた村々を雲を切り裂くが如く速さで駆け、そして大嵐を従えて回ったと。


 天狗は速い。目もいい。神通力を扱う事ができ、空を飛ぶことも可能である。さらに長寿故の経験、知識。妖怪故の力、そして再生力。


 人が妖怪に勝っている要素など―――ひとつもない。


 天狗は奇妙な黒い小箱を持っているが故、手は抜けないとは言ったものの片方の手は塞がれたまま。しかし、そんなことでは埋まらないはずの、絶対的で理不尽な種族間の壁という物が存在する。


 


「……ッ!?」


 男の拳は天狗の顔面を捉えた。


 天狗は感じたのだった。まるで鉄の塊が、大砲が如く瞬間的な爆発力で以って自分の頭蓋骨を崩壊させるのを。





 …故に、今倒れているのは天狗自身であった。


 久々の血の味、舌で口内を探ってみると、歯も数本無くなっている感覚がした。頭もクラクラして今にも意識が飛びそうだった。数年前に死んだ天狗の祖父が手を振っている。


 なぜか男は立っていて自分は倒れている。天狗は今の状況を理解することが出来なかった。


 だが次の瞬間。天がビカリと光る。神の雷だった。

 雷は空を割き、雨粒を邪魔だと言わんばかりに押しのけながら、佐野の元へと落ちた。


―――ドシャァァン!!


 初めに、閃光が佐野の視力を奪う。次に耳を劈く破裂音。目の前が真っ白になり、光の残層が瞼の裏に浮いている。そして次に感じたのが衝撃だった。


 言葉にしようのない苦痛が佐野を襲う。ビリビリとかビカビカとか、そういう幼稚な言葉では形容できない、脳天からつま先までの縦一直線に12.7ミリ口径ライフルの狙撃を受けたような衝撃だった。


 そんなことを知ってか知らずか、佐野の意識のが失われている間に上空から新たな影が落ちてくる。


 落ちてきた影は、倒れている天狗の肩を支えながら逃走を図る。


「今の内に行くんだ」

「忝い」


 瞬く間の閃光と衝撃。しかし男は立っている。息もある。鼓動もある。しかし、雑に着ていたジャケットは黒く焦げて大半が無くなっていた。男はタバコで吸えなかった分の黒煙を口から吐き出す。


 そして男は舌を打った。もう天狗はいない。大方、どこかに潜んでいた仲間に逃がしてもらったのだろう。


「チッ、2対1たぁ漢らしくねぇ…。タバコも携帯もおじゃんだ」


 佐野は油断などしていなかった。天狗は力も強い、空も飛べる、極めつけには神通力も扱える。油断などしているはずがなかった。だが…


「ダァ畜生、圧倒的に人手が足りん!」


 そもそも、妖怪相手に人がひとりで戦うには限界がある。


 そして男は、とあることを閃く。


 男は天啓を受けた信者のような気持ちになった。何もかも気にすることなく考えに耽り、ブツブツと念仏を唱えるが如く独り言に勤しんだ。


「毒を以て毒を制す…。妖共には、妖共を…コレだ」


 ああでもないこうでもないと、独り深夜の京都でブツブツと念仏の様に独り言を唱える男は、雨が止み、そして早朝になり、人が本職の警察に通報するまで居たそうな。


 佐野は、こうして妖怪を“勧誘”するということを思いつくのだった。


*


 まるで赤子が耳元で泣き叫んでいるような、もしくは金属が擦りあっているような甲高い音が聞こえる。堪らず、佐野は緑の受話器を耳から離した。


「なんだとっ!もう一度言ってみろ!」

「…失敗だ」

「………なに?」

「作戦失敗だ。“天狗ボコボコ作戦”は失敗に終わった」

「はぁぁぁぁ!?!?!?」


 天狗の神通力の一種である雷をもろに受けた佐野は、そんなに大切ではない携帯と大切なタバコを失った。仕方なくその巨体を公衆電話に押し込め、筋肉でギチギチの空間の中、ボスと呼ばれる人物に電話をしていたのだ。

 佐野は破れたズボンから、無事だった十円をできるだけ集め、その十円玉を公衆電話の本体に高く積み上げていた。


 本人は受話器と耳の距離をいつも以上に離しながら、片手で十円玉を弄び、詳しい状況を説明していた。


「まさか、あんなに堂々と神通力ちからを使うとはな…」

「…言い訳は聞きたくない。お前の力不足だぞ、このざこざこめ」

「………」


 佐野は自分の力不足を認め、反省しつつも、話を先に進める。


「ところであの天狗共はなんだったんだ…?」

「私にもわからん、依頼主も………不明だ」

「…そうか、奴ら何やら黒い箱を大事そうに抱えていた。なにかわかるか?」

「黒い箱…?いやわからんな。とにかくだ、話しておきたいことがある、事務所に戻れ」

「あいあい」


 早朝、人々が活動を始める時間帯。太陽もその全貌を地上に曝け出している。太陽の光で反射するショーウィンドウのガラス。そこには、事務所に向かう途中の佐野の姿が映る。


 2メートルを優に超える全長。そしてこの男、縦にだけでなく横にもでかい。今にも皮膚から飛び出してしまいそうな筋肉は、日ごろからのハードでタフな仕事と前職で得たものだった。無造作に伸ばされた髪は、邪魔にならないように全て後ろでまとめられている。


「ひでぇ面だな…」


 仕事の後、それも雷に打たれるリスクがあり、幼女の声をしたモンスターに飼われながら、妖怪と人間との間を取り持つ面倒で素晴らしい仕事だ。そんな仕事を終えた後の面。


 髭も手入れはされていない。最近は重力に逆らえない皺と、後退する頭皮とも闘っている。年齢41歳の、所謂“オヤジ”だ。

 

 そんなマッチョオヤジこと佐野は、自分の頬をビンタし、喝を入れて事務所に戻ったのだった。


「ボス、今戻った」


 今にも外れてしまいそうな木のドアは腐っている。それ開けると、まずは冷房の効いていないムンとした空気と、ゴミの放つ異臭が佐野を襲う。だが佐野は特に何も言うことはない。これが当たり前だからだ。


「遅いぞ佐野!」


 声の主は書類の山から顔を出した。その甲高い声の通りの見た目だった。幼女…。金髪のツインテールを振り回しながら佐野に突撃してくる。佐野と並べばその身長差は甚だ明らかになる。佐野が2メートルを超えているのに対し、ボスと呼ばれる幼女はその半分程。見た目だけで見ればカワイイ小学生なのだが…。しかし中身は人間ではない。


 すこし大きめのTシャツに『ボス』と変な字体で印刷されたものをだらしなく着こなしている。体格は佐野とは真反対であり、その華奢な体は、佐野がその気になれば割り箸のように折れてしまうだろう。身長も小さく、ひとりでキョロキョロとしていると、間違いなく小学生が迷子になっているのだと勘違いする。しかし、しかしその中身は人間ではない。


 もちろん、顔は幼い見た目通り、すべてのパーツが真ん中にキュッと寄っており、その小顔とも相まってまるで人形が出てきてしまったのではないかと疑うほどだ。ただ、佐野はつり上がった目を少し威圧的だと感じる。しかし、しかし、しかし中身は人間ではない!


 ボスは鋭い目つきで佐野を睨む。


 佐野もこのボスが何者であるか、実はよく知らないのである。名前も、出自も、何の妖怪かも…。佐野が知っていることといえば、自分が雇われたこと、人間ではないこと、そしてその舐めたような性格だけだった。


 ボスは徐に口を開いた。


「座れ佐野。話し合いだ」

「座れと言われてもなぁ…」


 佐野は周りを見渡すが、このたったの六畳しかない事務所には、ボスの机、ボスのパソコン、ボスのオフィスチェア、ボスの電話。その他仕事に必要なコピー機などが汚く置かれているだけだった。そのすべてがボス専用で唯一無二のものだった。


「…いいから座れ」


 佐野は仕方なく、この京都市内では破格の家賃3万の事務所の床に腰を落ち着ける。


 狭い事務所、散らかった機械、書類、ゴミ、カップ麺類。ボスが脱ぎ捨てた衣類等。まさにごみ屋敷。唯一綺麗なのは、ボスの事務椅子の後ろに飾られた額縁である。額縁の中には、『奇奇怪怪』という四字熟語が達筆な墨で活き活きと書かれている。因みに意味はボスも知らない。ここを事務所として国に提供された時から書いてあるものだ。


「いったいどこに座ればいいのだ」と心で突っ込む佐野ではあったが、敢えて口には出さない。


 ボスは自分専用の椅子に腰かけ、足を組んで佐野を見下す。その小さな短パンからはむっちりとした太ももが垣間見えるが、もはや41歳は何も言うまい。


「この際、“天狗ボコボコ作戦”失敗の件は不問としよう」

「………」

「私たちはこれまで、2で数多の死線を乗り切ってきた。そうだろう?」

「…そうだな」

「例えばッ!この前の“河童の川流れ作戦”なんてどうだ?」

「思い出したくもないな」

「それに、“僕のために毎日味噌汁を作ってくれないか作戦”なんてのもあったな」

「……二度と聞きたくねェな」


 ボスは饒舌に、これまでの作戦を語りだす。因みに、作戦名を考えるのはボスの仕事だ。あまりにも話が脱線しそうだったので、佐野が舵を元に戻す。


「…その辺でいいだろう。本題に入ってくれ」

「…ム、そうだな」


 ボスが黙ると、京都の街の音が事務所に入ってくる。車の走る音、妖と人の会話、天狗が風を切り、飛び去って行く音。神妙な空気だった。


「佐野、お前も薄々気が付いていたんじゃないか?」

「……あぁ」




「「人手不足だ」」

「………」


 逆に今まで気が付かなかったのかと佐野は呆れる。


 ボスは基本的には事務所ここから動かない、いつも京都の総本部庁から舞い込んでくる面倒くさい任務を佐野に言い渡し、現場で働いてきてもらう。

 仕事の内容として、妖怪と人間との間の事件を解決する、というのは言うまでもない。しかしここ最近、妖怪が人の街で事件を起こすというケースが増加し、またその内容もエスカレートしているのだ。


 昨晩、本来であれば佐野は非番。非番でも働くのは仕方がない。しかし舞い込んでくるのは面倒くさい仕事ばかりだ。

 万引き、ひったくり、食い逃げ、暴行、能力の使用、飛行禁止区域での飛行、鴨川で人間に悪戯する河童…。


 佐野は「はぁ」とため息が出る。


「タメ息か佐野? ため息は寿命が縮むんだぞ」

「…それをいうなら、『幸せが逃げる』だ」

「プハハ!確かに最近は幸せ事が全くないな!」

「うるせェ……最近は事件も増えてる。そんで上から回ってくるのはクソったれな仕事ばかりだ…」

「まぁ、そういうな佐野」

「百歩譲って普通の事件ならまだいい。だが、人間同士の殴り合いは警察に通報しろッてんだ」

「この機関ができてからまだ日も浅い。皆も困惑しているんだろう」


 その通りだ。この機関は妖怪新法なるものが改正されてから新たに発足した警察機関である。今までは、警察の中に『対妖怪専門課』というものが存在していたが、妖怪の種類、能力も多岐にわたる。何が言いたいかというと、その課だけでは対応が間に合わなかったのだ。

 そこで、新たに国家公安委員会管轄の新たな警察機関『百怪一味ひゃっかいちみ』を発足すると同時に、元警察、元軍隊、挙句の果てには妖怪そのものにすら募集をかけて今に至るというのだ。因みに、『百怪一味ひゃっかいちみ』という名前の由来は、これまで警察は警察、軍人は軍人、妖怪は妖怪というように独立していたのが、ひとつの目標を持ってひとつのチームとして協力することを前提に、それまでの経歴が文字通り百怪にも及ぶ対妖怪のプロフェッショナル集団であることからそう名付けられている。


 構成員は元警官、元軍人、巫女、陰陽師、宗教関係者、弁護士と多岐にわたる。そして挙句の果てには妖怪ですら一員となり、事件を起こす妖怪に対して武力で以って無力化を図ろうというのが『百怪一味ひゃっかいちみ』の主な仕事内容である。


 そんな『百怪一味』の末端の末端、さらにその末端、さらにさらにその末端の末端にいるボス、そしてその部下である佐野が所属しているこの京都市内の事務所は…。 


 ハッキリ言おう―――国家がやりたがらないような黒い仕事や誰もやりたがらない面倒くさいお零れだけが回ってくるのだ!!


 なにがどうしてそうなっているのか、昨晩のような面倒くさい追跡任務、話の通じない妖怪との対話、なぜか妖怪の関係していない警察が対応すべき事案、妖怪立てこもりで事件で家族を探して連れてくる任務。数がいないからなのか、ボスが本部から嫌われているのか、はたまた佐野がどこかで恨みを買っているのか、裏で黒い何かが動いているのか…。

 理由は分からないが、基本的には嫌がらせといっても差し支えないほど面倒くさい仕事しか回ってこないのである。


 しかも薄給!週休1日!福利厚生なし!設備不十分!人手不足!命を失う危険在り!災害手当なし!国も黙認!メディアも口封じ済み!


 一体だれがこんな組織に入隊したいというのだ!


 そして、だからこそ、人が足りないのだ。


「…人手のことは俺も前から思っていた。体がいくつあっても足りやしねェ」

「そうなれば作戦会議だ佐野、名付けて“ちょっとお兄さん、こんな職業って興味あります? 作戦”だッ!」

「………」

「なんだ、不満か?」

「アンタの作戦名に納得しことは一度もない」

「ならばお前が決めてみよ、このざこざこめ」

「………よし、“ちょっとお兄さん、こんな職業って興味あります?作戦”でいこう」

「わかればよいのだ」


 ボスはえっへんと言わんばかりに、両手を腰に当てて胸を張る。胸は無いが、胸を張るのだ――。

 

 佐野とボスは、どのような者を勧誘するべきか、緻密に条件を出し合っていく。性別、能力、年、種族、性格など。


「まず、力持ちは必要だろう」

「おい! これ以上筋肉だるまを増やしてどうする!ただでさえこの部屋は六畳しかないのだぞ!頭の回るクール系なんてどうだ、それもイケメンの」

「そりゃアンタの願望じゃねェか。それなら俺だってこう、ボインのだな……」

「やめろ気色の悪い、これだから男は……」


 初めの1時間は、こうして喧嘩から始まったのであった。

 そして議論も煮詰まってきた頃。


「いいか、条件を再確認するぞ」

「あぁ」

「まずは力持ちだ」

「……まぁ、甘んじて受け入れようではないか」

「そして頭の回る奴」

「“イケメン”のな…」

「………」

「佐野、最後は何だったか?」

「器用な奴だ、手先が器用で痒い所に手が届く奴」

「飽くまで能力重視、か…。よし、それで行くぞ」

「これらの条件に当てはまっていれば、種族、性別、年は不問とする。これでいいな?」


 佐野とボスは互いに有益な条件を出し合い、勧誘する対象を明細化した。そういうと、ボスは髪を揺らしながら元気よく立ち上がる。窓から差し込む日光をたんと浴びながら、両手を腰に添えて佐野を見下しながら、こう言ったのだ。


「あぁ、それでよい!じゃあ頑張って来いよ!」


―――ドンッ!


 と腐りかけのドアが閉まり、中から鍵を閉める音がガチャリと聞こえる。佐野は今年41歳のオヤジにして泣いた。泣きながら街を徘徊したのだった。

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