都ノ鬼

@GOJI_GOJI

プロロロロロローグ


―――この世界は、妖怪と人間が共存している世界だ。


 野球中継。その実況の声が居酒屋のテレビから流れる。カウンター席に腰掛けた中年の人間は既に顔が赤い。


 大将のこだわりで、炭で皮を焦がした絶妙な塩加減の枝豆を口に放り込み、氷の如く冷えたグラスに注がれた背徳を喉に流し込む。


 喉が「幸せだ!」と踊る反面、呼吸を忘れてそれを流し込むせいで苦しくもある。しかしそれが――絶好の金曜日、そして絶好のシチュエーションなのだ。


 そう言わんばかりに、腰かける客は首を捻りながら唸るのだ。


「ちっ」


 しかし、その客の口から零れるのはビールで潤った舌から放たれる小太鼓打ちだった。その所以は、テレビで流れている野球中継にある。凡そ、贔屓にしている球団が負けているのだろう。


 大通りを外れた路地裏、ジメジメとしたところ。本当に、犬がしょんべんをひっかける程度の所に、有り合わせのようにある居酒屋。道が狭い故に、まともにのぼり旗も出せない。中はカウンター席がL字を模っており、大将はその中で調理をしている。あとはテーブル席が片手で収まるほど…。カウンター席にはテレビが備え付けられており、人や、人ならざる者がそれを片目に腹を満たしている。


 カウンター席に腰かける営業マンらしき小太りの男性。贔屓球団のチャンスの場面ではいつも大はしゃぎし、周りの客にその感動をおすそ分けしている。だが一方、そのチャンスの場面で選手がゴロやフライを打ち上げると、「ちっ」と舌を打って同じく周りの客とともに愚痴を零す。


 野球について詳しくはない大将ではあったが、毎週金曜日になるとやって来るその常連の客に声をかけた。


「今日もあきまへんか?」


 中年の人間は、目線はテレビから離さずに大将の声に答えた。


「ぜんぜんですわ」


 大将はその言葉に「そうでっか」と返すと。また厨房に向き直る。


 同じくカウンター席に座るカラス人間もまた、その黒いくちばしを器用に使って飯をつつきながら、その営業マンらしき人と愚痴を零す。すると、その隣に座っている人面樹が、根のような触手を水の入ったコップに伸ばしながら頷き、その隣に座っている半透明の幽霊がケタケタと笑いながら机を叩く。まぁ、透けてはいるが…。


―――大阪電空ブルーバーズ 


 地元で愛され続ける球団。この地域で他の球団の名前は出せない。なぜなら名前を出した瞬間、周囲を囲まれ電空のグッズを押し付けられるからだ。もし断れば……。ともかく、それほど愛されている球団なのだ。


 もちろん、地域で愛される球団が故に、この居酒屋で中継されている野球を皆食い入るように見ている。それは、人間も、も。周囲をよく見渡してみれば、何やら悍ましい角を頭に拵えた者や、背中に翼を携えている者、目がひとつしかない者までいる。


 贔屓球団チャンスの場面。実況は視聴者に情報が伝わるよう、いたって冷静に言葉を紡ぐ。


「さぁ9回裏チャンス。奈良ディアーズが6点、大阪電空ブルーバーズは4点。ここで一発が出れば電空ブルーバーズのサヨナラ逆転勝ちとなります。ワンナウト、ランナーは1塁、2塁。バッターは3番松井、フルカウントです」


 テレビの中、マウンド上には奈良ディアーズの絶対的守護神が立っている。人間の藤。高身長かつオーバースローの高い位置から繰り出される剛速球は158キロを記録し、コントロールも良い。カウントをとれるキレのあるスライダーに、タイミングをずらしゴロも狙えるチェンジアップを持っている。まさに守護神だった。今シーズン防御率は0.73。大阪電空を応援する居酒屋のみなも諦めムード。


 実況の声が響く。バッテリーの相談が終わったのか、実況はもう一度今の状況を整理する。


「バッターボックスには3番人間の松井。ワンナウト。カウントはスリーツー。そしてランナーは1、2塁。電空にとってはチャンスの場面です」


 球場には電空のチャンステーマが響く。マウンドに立つ藤は、滴る汗を拭い、キャッチャーの出すサインに頷く。キャッチャーが構えるのは松井のインハイ。素行が悪く、常に喧嘩腰で有名な藤にとって一番得意なコース。


 藤はランナーがいるにも関わらず、大きく振りかぶってボールを放った。力強いストレートは全く垂れない。一種の芸術性を帯びた綺麗なバックスピン。そして藤の殺気を乗せたインハイの球。松井は文字通り手も足も出なかった。高く、威力の落ちないボールの下をバットが空振る。


「あちゃ~」と居酒屋の皆は口々に文句を垂れる。そしてその声に交じるかのように実況の声が聞こえた。


「おっとこれは空振り。松井のバットが空を切りツーアウト!電空が誇る3番でも藤の球は捉えられないのか!」


 すると解説も話し出す。


「今のはイイ球だね。こういう場面でストレートのパワーで押していける選手はねぇ、なかなかいないですよ」


「そうですよねぇ」


 ウグイス嬢が次のバッターの名前を呼ぶ。


「4番ファースト、鬼、豪」


 その瞬間、球場を包む雰囲気がガラっと変わる。バッターボックスに入ったのは、去年に6球団競合した末に電空が獲得したドラフト1位指名の選手。鬼の豪。2メートル近くある筋肉の塊だ。目の中は黒く赤く殺気立っている。守備に難があり、空振りの多い選手だが、当たれば長距離は必至。


 豪はふぅを息を吐き、ニヤリと笑った。上顎から下顎にかけて生える牙が特徴的だ。だがしかし、そんなことよりももっと特徴的なのは、その芸術的な一本角とドス黒い色をしたそのまなこである。曰く、鬼はここぞという時、文字通り目の色を変えて戦うのだそうだ。


 球場はお祭りムード。チャンスの場面で打席が回ってきた4番。


「さぁ、4番、鬼の豪に打席が回ってきました。ここで勝負を決めるのか。それとも敗北か…。勝負の結果はどうなるのでしょうか!」

「そうですねぇ。ここで一発。豪の事ですから狙っていると思いますよ。しかし相手は守護神の藤、どうなるかわかりません」

「そうですか、勝負の行方は一体どうなるのでしょうか…」


 実況、解説共に声が高揚している。この先の勝負に目が離せない。


 マウンド上、藤が見ているのはキャッチャーのミットだけだった。キャッチャーが構えるのは先ほどと同じインハイのストレート。鬼を相手するにはあまりも傲慢なコース。両者共に殺気が滲み出ている。


 鬼は禍々しい光芒を纏い、その眼光に凄まじいプレッシャーを乗せて藤を睨みつける。球場にいるファンは豪から黒いオーラがメラメラと湧き出ていると、そう錯覚するほど、ただの野球とは思えない歪なオーラを纏っていた。相対するは人間である藤。


―――やることは変わらない。最高の球を最高のコースに投げ込む。


 鬼の豪は小さく呟く。


「勝負じゃボケ藤ぃ」


 それに答えるように藤も呟く。


「勝負…」


 藤は振りかぶり、球を放つ。先ほどよりも威力の増したストレート。藤もボールをリリースした瞬間に感じたのだ。その最高の感触を、ボールの縫い目が指にガッチリと掛かり、まるで指先だけにしか神経が通ってないようなその感覚を。


 しかし。


――カツンッ!!


 と、豪のバットが藤の球を真芯で捉える。打球は何秒間滞空しただろうか。その滞空時間は藤にとっては残りの寿命の様にも感じ、打球の感触を見た瞬間、後ろを振り返らなくてもこれはと確信した。


 まだボールはスタンドには入っていない。しかし、藤は負けを確信し、チームメイトよりも一足先にマウンドに膝を落とした。センターには天狗の天野。もう打球を追いかけることを諦めている。


 球場の盛り上がりはまさに震源地であった。


「入ったぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!痛烈!!一閃!!鬼の強靭なパワーから繰り出させるフルスイングで描かれたアーチは、まるで地元大阪を祝福する虹!電空ブルーバーズは豪のスリーランホームランによってサヨナラ逆転勝利ィィィ!」


 テレビの中の盛り上がりと共に、この居酒屋もまた大盛り上がりだった。顔を赤くした中年の人間は、豪の豪快な一発に思わず立ち上がり、拍手を送った。


「やっぱりや、やっぱりやると思おとったんや!」


 常連の客がそう言うと、周りで野球中継を観戦していたすべての種族が、口々に肯定する。そして最後には皆でグラスを掲げながら『飛び立て電空ブルーバーズ』を合唱する。この時ばかりは、人も、人ならざる者も皆家族。種族も違う、目の色も違う、獣のような輩もいれば、怨霊の類もいる。だが、この瞬間だけは総てひとつになるのだ。


―――この世界は、妖怪と人間が共存している世界だ。


 だが、人間と妖怪が共存しているからこそ、起こる事件や事故もある。人は人の社会で裁かれ、妖怪は妖怪の社会で裁かれる。なら人と妖怪の問題は一体誰が解決するのか。これは、半端者と罵られたワケアリの二妖と一人が、妖怪と人間との間の事件を専門に扱う機関。怪しい、もとい妖しい組織に入り、共に一人前を目指し奮闘する物語。

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