第7話 記念日
「……母さま、母さま……っ」
私は母さまに向かって手を伸ばす。もう一度母さまに会えたのが嬉しくて、夢でもいいから抱きしめて欲しかった。
「ふふ、ミミは甘えん坊ね」
母さまの優しい声と、温かく柔らかい身体に抱きしめられた心地良さを感じながら、私はぼんやりと随分リアルで都合がいい夢だな、と思う。
夢なら覚めないでと願いながら母さまに抱きついていると、部屋の外からドタバタと音が聞こえてきた。
「ミミが起きるでしょう!! 静かにして下さい!!」
「人のせいにするな!! ワシは騒いでおらん!! ミシュリーヌの様子を見に来ただけじゃ!!」
「ミミの部屋に忍び込もうだなんて輩は何人たりとも許しませんよ!!」
「この家の当主はワシじゃ!! お前の許しなどいらんわぁ!!」
父さまとおじいちゃまの言い争う声に、あれ? と思う。
一体どこまでが夢でどこからが現実なのだろう……?
「ミミ、ちょっと待っててね」
母さまは私からそっと離れると、優しく私を寝かせてジュベを掛けてくれた。
そして部屋の扉まで行くと、扉を大きく開け放ち、父さまとおじいちゃまに向けて大声で怒鳴る。
「お二人とも!! いい加減にして下さい!!」
「「ぎゃっ!!」」
初めて聞いた母さまの怒鳴り声に、私の意識がはっきりと覚醒する。
──っ?! あれ?! まさか、夢じゃない……?
「ご、ごめんよアラベル! 私はミミが心配で……」
「す、すまん! ワシはただミシュリーヌの寝顔が見たくてのぅ……」
母さまの気迫に、父さまとおじいちゃまが必死に謝っている。だけど、母さまは怯える二人に滾々とお説教をしている。
(あれ? 母さまはここの使用人だったんだよね……?)
父さまはともかく、おじいちゃままで大人しくお説教をされていて驚いた。
私はベッドから降りて、三人のところへ向かう。すると、私の姿を見た父さまとおじいちゃまの顔が満面の笑みを浮かべた。
「ミミ! 起きたんだね! 具合はどうだい? お腹が空いただろう? 父さまと一緒に夕食を食べよう!」
「ミシュリーヌが好きな食べ物は何かのう? 好きなものを用意させるからな、何でも言って良いのじゃよ?」
私は震える手で母さまのドレスの裾をぎゅっと握り、大人たちの顔色を窺う。
「あらあら、ミミを驚かせちゃったわね。大丈夫よミミ。ちょっと困った大人たちに言い聞かせていただけなのよ」
母さまはいつものような慈悲深い微笑みを浮かべると、安心させるように頭を撫でてくれた。その感触に、母さまを亡くした夢を見たばかりの私の目から、涙がポロポロと零れ落ちる。
「ミ、ミミ! どうしたんだい?! どこか痛むのかい?」
「医者じゃ! 王都中の医者を呼べ!! ミシュリーヌに悪いところがないか徹底的に調べるんじゃ!!」
私が泣いている姿を見た父さまとおじいちゃまがひどく慌てている。
「お静かに!! ミミ、どうしたの? 母さまに教えてくれる?」
再び二人を黙らせた母さまが、優しく私に問い掛ける。
「……怖い、夢を見たの……。でも、どっちが夢か、わからないの……」
どう説明すれば伝わるだろうと、必死に考えるけれど、さっき見た夢の恐怖が未だに残っているのか、身体の震えが止まらない。
「ミミ、大丈夫だよ」
父さまの柔らかい声がしたと思ったら、ふわりと身体が浮いて、再び抱っこされていることに気付く。
「これからは父さまがミミを守ってあげるからね。もう怖くないよ。こう見えて父さまは強いんだぞ!」
「ワシもまだまだ現役じゃぞ! 王国の守護神として名を馳せたワシの実力をミシュリーヌに見せてやろう!」
「ミミに汚いものを見せないで下さい」
「何を抜かすか!! ワシの華麗な剣技に王国中の令嬢がトキメいておったわ!!」
意外なことに、ランベール家は騎士の家系だった。
爵位こそ伯爵だけれど、それは下手に権力争いに巻き込まれないようにするための手段の一つで、侯爵への陞爵の打診があっても全て断っているらしい。
道理で伯爵位にしては屋敷が立派だと思った。きっと権力も侯爵位並みなのだろう。
私は父さまにぎゅっと抱きついた。
そして父さまの身体から伝わる体温と、トクントクンと聞こえる生命の音に、この世界が現実なのだと実感する。
「父さま、大好き」
私の口からごく自然に、ポロリと言葉が零れ落ちる。
「……っ?! ミミ……っ!!」
私の言葉をしっかりと聞いた父さまは、感極まった顔をしたかと思うと、目をうるうるさせる。今にも泣き出してしまいそうだ。
「嬉しい! 嬉しいよミミ!! 初めて大好きと言ってくれたね! 今日は大好き記念日にしよう!!」
「ミシュリーヌ! ワシは? ワシのことは? どうじゃ? ん?」
父さまの顔を押しのける勢いで、おじいちゃまがグイグイ聞いてくる。その目は期待に満ちてキラキラとしている。
「おじいちゃまも大好き!」
「むっはー!!」
当然、私はおじいちゃまにも大好きだと伝える。
今日が初対面のはずなのに、それでもおじいちゃまは初めて会った時から私のことを大切にしてくれた。そんな人を嫌いになれる訳がない。
「今日は大好き記念日じゃ!! ご馳走を用意して祝うのじゃ!!」
初めて父さまとおじいちゃまの意見が一致した瞬間だった。
* * * * * *
豪華な夕食が終わり、お風呂に入ってあとは寝るだけになったけれど、お昼に寝てしまった私の頭は冴えさえで、全然眠れる気がしなかった。
それにまたあの夢を見るかもしれないと思うと、とても怖くて眠れる気がしない。
原作でミシュリーヌが<災厄の魔女>になるシーンを見た時は「あ、闇堕ちしたんだな」ぐらいにしか思っていなかった。だけど、アレはそんな簡単なものじゃない。
話の都合上、本当の悪役が必要だったとは思うけれど、そもそも魔女になる前のミシュリーヌはただ母親を亡くした可哀想な子供というだけで、何も悪いことなんてしていないのだ。
原作を読んで、キャラクターのことを理解したつもりだった。だけど実際経験すると、読者としてサラッと流した出来事も、キャラクターにとって一つ一つが命懸けなのだと心と身体で理解した。
──今私が生きているこの世界は、創作でも何でも無く、現実の世界なのだ。
設定と登場人物が同じなだけで、これからの行動によっていくらでも話は変化する。既に父さまが生きている状況なのだから、今後の展開を知っているという有利性は失われた。
それでも、まだ私には処刑回避の手段が残されている。
それは一言でいうと、”悪いことをしない”だ。
それすら守っていれば、処刑されること無く幸せな人生が送れるはず。
絶対に魅了を使わず、ベアトリスを陥れず、平和に穏やかに過ごせば良いのだ。
”火のない所に煙は立たない”とはよく言った言葉だと思う。
これからは欲を出さず謙虚に、静かに余生を送ろう。
五歳の子供の目標にしては、随分夢がないけれど。
でも欲を言えばちょっとだけ、推しカプを近くで眺めたい。それだけでいいから許して欲しいと、私はまだ見ぬ神様に祈る。
そうして、これからの方針が決まり安堵した私は、柔らかいベッドの中でゴロゴロする。少しは眠くなるかと思ったけれど、未だに睡魔は訪れない。
私が庭園でも散歩しようかな、と思っていると、誰かがドアをノックする音がした。
「ミミ、入るよ」
父さまの声がした後、扉が開いて、父さまと母さまが一緒に部屋に入ってきた。
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