第6話 夢

 私の部屋を案内してくれたおじいちゃまと父さまは、二人を呼びに来た執事さんの介入により、ようやく子供同士のような喧嘩を終了した。


「旦那様、若様。ミシュリーヌお嬢様の前で恥ずかしくないのですか? お嬢様に嫌われてもそれはお二人の自業自得ですからね?」


「はっ! ち、違うんだミシュリーヌ! これは親と子のコミュニケーションなんだよ? そうですよね、父上!」


「そ、そうじゃそうじゃ! 伝統あるランベール家に伝わる儀式の一種でな! 喧嘩じゃないから安心しておくれ!」


「………………」


 見え見えの嘘で誤魔化そうとしている父さまとおじいちゃまに、執事さんがとても冷たい眼差しを向けている。


 私に嫌われたのだと思ったのだろう、父さまとおじいちゃまがハラハラしているのが伝わってくる。

 ここは騙されてあげた方が良さそうだと判断した私は、二人に笑顔を向けながら言った。


「お二人はとても仲良しさんなのですね。ミミも混ぜて欲しいです」


 どやっ! というぐらいキラキラした目で二人を見つめる私。いざという時のために、鏡で一番可愛く見える角度を研究した成果が、今試される!


「ぐはっ!! ……娘のっ! 娘の笑顔が眩しい……っ!」


「おお、天使じゃ……! 天使様が光臨なされた……!!」


 効果はてきめんだ!


「……ダメですか……?」


 更にトドメの一撃!


「「……っ!!」」


 顔を押さえてプルプルする二人に、私は内心「フッ、堕ちたな……」と勝利を確信する。


 ──なんておふざけをしながら、私は二人にランベール家のお屋敷を案内して貰う。


「ほらミミ、ここが図書室だよ」


 幾つかの部屋を回った後に案内されたのは図書室で、さすが貴族の本宅なだけあって、その規模は別荘とは比べ物にならないぐらい蔵書数が多かった。


「わぁ……! 本がこんなに沢山!! あ、絵本!!」


「はっはっは。ミシュリーヌのために用意したのじゃよ」


「へぇ、『バリアンテの剣』に『エマールの冒険』! すごーい! たくさんある! どれも面白そうです!」


 この世界のおとぎ話がどんなものなのかずっと興味があったけれど、まだ印刷技術が発展していないので、本──特に絵本はとても高価なものだった。

 だから、母さまにおねだりする訳にはいかなかったので、この先の未来で学院に行ったなら、その時は沢山の絵本を読もうと思っていたのだ。


「おじいちゃま、有難う! とても嬉しいです!」


「そうかそうか。ミシュリーヌがこんなに喜んでくれるとはのう」


 喜ぶ私に、おじいちゃまは「欲しい本があったら買ってやるからの」と約束してくれた。


「わーい! たくさん読みますね!」


「ミシュリーヌは偉いのう。それにしても、ミシュリーヌはもう文字が読めるのか?」


「はい、読めます! 母さまに教えて貰いました!」


「なんと! 教師も付けずにじゃと?!」


「え、アラベルが?」


 ちなみにアラベルとは母さまの名前だ。母さまはここで働いていたので、今は使用人達のところへ挨拶に行っている。


「本当です。わからないところを教えて貰いました!」


「おお! ミシュリーヌは頭が良いのじゃな! おじいちゃまは鼻が高いぞ!!」


「アラベルもかろうじて読めるぐらいなのに……。ミミは偉いなぁ。すごく頑張ったんだね」


 父さまはそう言うと私を抱き上げ、頭を優しく撫でてくれた。父さまのその手の温もりに、私の心がほっと温かくなって、緊張で硬く凝り固まっていた心が、ゆっくり解れていくのを感じる。


「……うん」


 ──本当に、頑張ったのだ。

 原作を知っていたとはいえ、文明レベルが違う知らない世界で、必死に生きて、母さまの命を助けようと頑張ったのだ。

 結局、どういう訳か原作と違う展開になってしまい、ポーション作りは出来なくなってしまった。

 だけど、あの時頑張ったから、今のような展開になったのではないか、と思う。


 ──私はここに来てようやく、今までの苦労が報われたのだと実感できた。


「おや? ミミ、眠いのかい?」


「うん……?」


 ほっとしたからか、父さまに抱っこされて心地良いのか、気が付けば私はウトウトしていたらしい。


「ずっと馬車に乗っておったからのう。疲れが出たんじゃろ。ゆっくり休ませてあげなさい」


 背中を優しくポンポンされたらもう駄目だった。私は父さまの腕の中で深い眠りに滑り落ちていったのだった。





 * * * * * *





 ──母さまが死んだ。


 父さまが迎えに来てくれるのを、母さまはずっと待っていたけれど、どれだけ季節が巡っても、父さまは来てくれなかった。


 母さまは待ちくたびれてしまったのかもしれない。だから心が弱って病気になってしまったのだ。


「──セ、ド……リッ……ク………………さ、い……」


 母さまの最後の言葉は、父さまへの謝罪だった。


 母さまが父さまに何を謝っていたのかはわからなかったけれど、私は自分が一人ぼっちになったことだけはわかった。


 私は母さまの亡骸のそばにずっと居続けた。

 お腹が空いてとても寂しくて、世界にたった一人取り残されたみたいだった。


 母さまが亡くなって何日か経った頃、家にあった食べ物が無くなってしまったので、私は食べ物を探しに外へ出た。


 いつも食材や生活用品を届けてくれる、行商の人が来るのはまだ先だ。


 私は飢えを凌ぐために、森に入って食べられそうな木の実や野イチゴを探すことにした。


 人の手が入っていない森は太陽が登っていても薄暗い。生い茂る木々の枝が絡まり合い光を遮っていて、黒く重苦しい雰囲気が漂っている。


 まるで森全体が私を闇の中に飲み込もうとしているようだ。


 ただ風が通って鳴らす木々の音すら、私を狙う闇の眷属の足音に聞こえてしまう。


 怖くなった私は急いで母さまの元へ帰ろうと走り出す。


 だけどぬかるんだ土が、乱雑に伸びた枝が、私を捕らえようとするかのように走るのを邪魔して、中々前に進まない。


 色んな感情がごちゃまぜになって、恐慌状態に陥った私をあざ笑うかのように、夥しい数の女の甲高い笑い声が、頭の中にガンガンと響く。


 笑い声から逃げようと必死に走っていると、闇の中から無数の黒い手が伸び、追いかけるかのように私の身体を絡め取る。


「いやっ!! いやぁっ!! うあぁ……っ!! いやああああぁあああぁ!!!」







 ──それは、人間が持つ根源的恐怖を閉じ込めた、禁忌の箱が開いたかのようで。

 ありとあらゆる恐怖が少女の心に襲いかかり、蝕んでいく。

 

 ──怖い、寂しい、悲しい、苦しい、重い、痛い、辛い、寒い、煩い、割れる、溢れる、溶ける、失くなる、消える、終わる──……



(……タス、ケ……テ……)



 少女の救いを求める悲痛な声は、闇に飲まれ、誰にも届かない。


 どうして少女が選ばれたのか、それは誰にもわからない。


 しかし七歳の少女にその体験はあまりにも過酷で、無慈悲だった。


 ──そうして、選ばれた少女は<災厄の魔女>として覚醒する。


 魔女は貪欲であり強欲で、この世で気に入ったありとあらゆるものを欲しがるという。

 それは地位や名誉、宝石や金貨、美貌や若さ、真理と叡智、魔力と能力など、多岐に渡る。


 そして<災厄の魔女>、ミシュリーヌが欲したものは──……





 * * * * * *





 ゆっくりと意識が浮上し、私は目を覚ました。


 頭がぼんやりとして、ここが現実なのか、まだ夢の中なのかよくわからない。


 ぼ〜っと白い天井を見ていると、視界の端にストロベリーブロンドの髪が入る。


「……か、あさま……?」


「ミミ、目が覚めたのね、良かったわ。身体は辛くない? 大丈夫?」


 亡くなったはずの母さまが、優しく微笑みながら私の頭を撫でてくれる。

 きっと、私は幸せだった頃の夢を、ずっと見続けているのだ。

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