第10話 余震


 一機の新型補助装置の稼働では噴火までは起きなかったが、数千年眠り続けていた大山を目覚めさせるには充分だった。観測ポストが設置され、直ちに噴火する可能性は低いと判断されたが、今後も噴火しないとは言い切れなくなった。

 大山を襲った地震は、永田町も大きく揺らした。

 組織犯罪処罰法の改定に慎重な姿勢を示していた伊達が、大きく法案成立に向けて踏み出したのだ。野党からも条件付きで賛成の意思を示す議員が現れると、反対勢力は苦し紛れに週刊誌で書かれた総理のスキャンダルを国会に突き付けたが、多くの国民はその行動を非難した。

 一方で、補助装置の解析が進む中、カルデラの存在が公になると、世界へもその衝撃は伝播した。

 中国はカルデラを搭載したタイフーン型原子力潜水艦を開発元の北朝鮮へとタダ同然で売り渡し、初めから干渉していないという姿勢を貫いたが、それが国際的な非難を更に大きくさせた。


 総理大臣官邸、内閣官房長官室。國代の前には権藤が立っている。

「北朝鮮はカルデラの解体を決めたそうです」

 大山の地震から四か月後、権藤が掴んだ最新の情報を國代に告げると、國代は大きく息を吐いた。

「そうか。予定していた海上の設備はどうなるかな」

 対カルデラ防衛網として、カルデラからのエネルギー波を反射させる装置を、日本の周辺海上に建設する臨時予算案が一週間前に承認されたばかりだ。

「進めたとして誰も文句は言わんでしょう。北朝鮮がカルデラを解体しても、技術流出がないとは言い切れません。それに、完全な専守防衛の設備ですし、電力源である潮流発電の技術開発という面でも役に立ちます」

 國代の視線は机の上に置かれた週刊誌に向いている。権藤が持ってきた明日発売の週刊誌だ。表紙には毒々しい赤い文字で「カルデラは法案成立の為の陰謀か」と書かれていた。その國代の視線の行き場を見て、権藤はこの四か月で何度も國代に投げかけている質問をぶつけた。

「まだ尻尾は掴めませんか?」

 権藤には答えを聞かなくても分かっている。投げかけた言葉は質問の形をした催促だ。さっさと証拠を揃えろ。何食わぬ顔で同じポストに座り続け、仕事をしているその男を引きずり降ろせ。心の中で強く訴えかけても、やはり返ってくる答えは変わらない。

「まだだ。もう少し待ってくれ」

 聞き飽きた答えだったが、権藤は怒鳴りたくなる気持ちを抑えて國代に頭を下げた。

「一刻も早くお願いします」

「無論、そう努力している」

「では、失礼します」

 権藤が部屋から出ると、國代は週刊誌を手に取った。

「少々痛いが、仕方がないな」

 國代は手にした週刊誌を開くことなくゴミ箱に押し込み、受話器を上げた。

「もしもし、私だ。うむ、そのようだ。だが、今回はその件じゃない。河西は退院したんだったな。ああ、そうか。ならばちょうどいい。場所は君の別荘で良いだろう。再来週の日曜日に河西を連れてきてくれ。君にとっても良い話だ。当然だが誰にも知らせるなよ。では、明日の答弁も予定通り頼む」

 フックを指で押した國代は、続けて別の番号を押した。

「もしもし、官房長官の國代です。日本の生活はどうです? そろそろ慣れてきたでしょう。うむ、そうですか。それは良かった。ところで、近々食事でもどうですか? そうですね。再来週からは私も忙しくなるので、その前にでも。構いませんよ。ええ、では今度の土曜日に。場所はお任せください。またご連絡差し上げます。いいえ、とんでもない。あなたには世話になりましたから。はい、それではまた」

 受話器を置いた國代は、その手で目の前に置かれている「内閣官房長官」と書かれた札をさすった。

「悪いな。私はまだこの場を譲るわけにはいかんのだ」


 土曜日の夜、赤坂。ビルの合間に隠れ、ひっそりと建つ料亭へ國代が顔を出した時には、既に招待した客が國代を待っていた。國代は、客が待つ部屋に入る前に、携帯電話のアラームを一分後にセットした。

「いやあ、お待たせしてしまったようですね。申し訳ない」

「まだ約束の時間の前だ。謝らなくてもいい」

 國代が来ても立ち上がることもなく座ったままで迎えたのは、小笠原仁那だった。男勝りの性格だとあらかじめ聞いていた國代だったが、その動じない態度に思わず笑みを浮かべた。

「本当にカルデラの件では助けられました。改めてお礼をさせてもらいたい」

「たいしたことはしていない。桜庭への恩を返しただけだ。一時的にとはいえ、桜庭には兄を救ってもらった」

「そうですか。そういえば、お兄さんのことは残念でした。お悔やみ申し上げます。無念だったでしょう?」

 わざとらしく神妙な顔をして頭を下げた國代に、小笠原は「ふんっ」と鼻を鳴らした。

 その國代の携帯が鳴って、小笠原は余計に表情を歪めた。

「ちょっと失礼、緊急の電話のようです」

「気にするな。出ろ」

 小笠原の横柄な言葉を気にする様子もなく、國代はその場で電話を受けた。

「はい、國代。悪いが今は大切な客を。何? 河西の通信記録が。そうか、それで? ふむ、八日後の日曜日に軽井沢か。詳しい場所は。美術館の向かい? そこは本宮君の別荘じゃないか? まさか、本宮君が。分かった。このことはまだ伏せておいてくれ。私が何とかする。また後で話そう」

 國代は電話を上着に戻すと何食わぬ顔で徳利を手にした。

「やれやれ、お待たせしました。どうぞ、まずは飲んで下さい」

 小笠原は國代の目尻の下がった顔を凝視した。酒を受けながら、國代が電話で話していた言葉を頭の中で繋げている。八日後の日曜日。軽井沢の美術館の向かい。本宮の別荘。そこに河西が来るのだろうか。本宮という奴が河西を使って兄と、兄の部下を殺したというのか。

「せっかくだが急用だ。失礼する」

 小笠原はそう言って立ち上がると、注がれた酒を一気に飲み干し、店を飛び出した。

「何とも血の気の多い女だ」

 そう呟いた國代は、自分の目の前に置かれた料理をのんびりと食べ始めた。


 二月二十五日、日曜日。本宮の別荘の周りには、まだ十センチ近い雪が残っている。その雪を踏みしめて、ベースボールキャップを目深に被った小笠原が玄関の前に立った。手には一辺が三〇センチ程度の段ボール箱を抱えている。

 小笠原は躊躇なくカメラ付きのインターホンを押した。

 別荘の中では本宮と河西が國代の訪問を待っていた。そこに鳴ったインターホンに、本宮が急いでモニター画面を見たが、そこに映っているのは荷物を持った女だった。

「はい。どちらさん?」

 本宮はインターホン越しに尋ねたが、女からの返答はなく、顔も下を向いたままで身動き一つしていない。

「どちらさんかな?」

 再度本宮が声を出したが、やはり女は答えず、動かない。もう一度本宮が話そうとすると、今度は女がもう一度ボタンを押した。

「ちっ、どうやら壊れているらしい。河西、荷物のようだ。受け取ってきてくれ」

「分かりました」

 本宮に命じられた河西が玄関を開けると、小笠原は段ボール箱の下で構えていた拳銃の引き金を引いた。何が起きたか把握する前に、河西は左足の力を失い膝から崩れた。その河西の顔に空の段ボール箱を投げつけた小笠原が、血を流し始めた脚を踏みつけて別荘の中に侵入すると、河西の呻き声を聞いた本宮が声を上げた。

「何があった?」

「本宮さん! 来ちゃ駄目だ!」

 河西の制止も遅く、顔を出した本宮の額に、まだ熱を帯びている銃口が押し付けられた。

「お前が命じたんだな?」

 今にも引き金を引きそうな小笠原の形相に、本宮は一言も発せられず股を濡らした。

「もう一度聞くぞ。お前が命じた。そうだろう? 河西に指示を出して兄たちを殺し、カルデラを使わせた」

 本宮は歯を鳴らして震えた。

「ち、ち、違う! 私じゃない! 私はただ」

 本宮の情けない姿に苛立った小笠原は、銃把で横っ面を殴りつけた。

「お前のような情けない男に兄の人生は道具にされたのか! 死んで兄に詫びてこい!」

 涙を流し始めた小笠原が引き金を引く寸前、新たな侵入者が現れた。

「仁那、よせ! もう充分だ!」

 現れた桜庭に一瞬顔を向けた小笠原だったが、すぐに視線を本宮に戻した。

「止めるな! こいつらだけは許せん!」

「私と日本政府に任せろ。こんな奴らの為に、これ以上人生を狂わせる必要はない」

 桜庭が小笠原を背中から抱きしめ、銃を握った手を包み込むと、ようやく小笠原はその腕を降ろした。


 二月二十六日、月曜日。官房長官室に公安二十名が詰め寄ると、國代は執務机の上に置いてあったペーパナイフで、自らの喉を切り裂いた。


 内閣官房長官の自殺と内閣危機管理監の逮捕後、内閣総理大臣の辞任を受けて衆議院は解散したが、政権は前与党が議席を伸ばす形で維持した。組織犯罪処罰法の改正法案は成立し、憲法九条改正に向けても加速している。

 本宮は結局不起訴処分になったが、間もなく死亡した。死亡原因は報じられなかったが、出版が予定されていた「本宮白書」は、世に出ることはなかった。

 世界は目まぐるしく変化し続け、いつしか「カルデラ事件」の記憶も薄れていった。

 その中で外調は解体され、国家安全保障会議の下、新組織が設立された。新組織の長には、新内閣で内閣危機管理監のポストに就いた権藤が兼任した。

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