第7話 反射と吸収
上海の夜は早い。十時を過ぎ、上海の街は眠りに就き始める。柏木がこの日の昼食に行こうとしていた北京ダックの店も、一時間前に閉店していた。
そんな中、ホテルをチェックアウトした沢渡、柏木、権藤の三人は、総領事館の領事室で栗栖と向かい合っていた。栗栖は目を閉じ、眉間に皺を寄せている。三人は静かに栗栖の目が開くのを待った。
目を閉じて五分後、栗栖の眉間の皺が一際深くなる。そして栗栖は目を開けると、パソコンに繋がっているイヤホンを耳からゆっくり外して、ノイズで僅かに波形が揺れるモニターに視線を落とした。
「あなた達は日本へ帰った方が良さそうです」
栗栖の発言は、三人にとって意外なものではなかった。沢渡と柏木は総領事館の前で襲撃され、小笠原仁那の店舗では一人の男が殺害されていた。明らかに外調が上海でのトラブルの中心に居る。平和を望む領事の栗栖が、トラブルの元を追い出したいと考えるのは当然だ。
だが、栗栖が帰国を進言した理由が、三人の想像していた理由とは違ったと、続けられた言葉で気付かされた。
「三日後にダイセンという山で何か企んでいるようです。阿蘇の六人をそのまま向かわせて攻撃すると。攻撃とは一体どういうことでしょう?」
カルデラを知らない栗栖は、自分が発した言葉に疑問符を付けて権藤を見た。
「全てをお話しすることはできませんが、火山活動を活発化させる装置の存在が確認されています。ダイセンとは、鳥取県の大山でしょうね。それで、音声から他に何か分かりませんか? 撃たれた男が何者か。なぜ撃たれたのか」
丁寧な口ぶりだが、栗栖にそれ以上の質問を許さない権藤が、逆に質問をぶつけた。栗栖は仕方なくその質問に答えた。
「撃たれた人物が誰かは分かりません。ですが、男が女の兄の死を告げると、女が『お前が兄を殺したのだろう』と言って、直後に銃声が鳴った」
「兄を殺した、と?」
権藤だけではなく、他の二人も驚きに目を見開いている。小笠原徹にコンタクトを取ろうとした矢先だ。その様子を見た栗栖が、もう一度イヤホンを付け、初めから音声を再生しながらキーボードを叩いた。再生が終わると、入力したテキストを印刷して、音声ファイルの入ったUSBメモリーと共に権藤へ渡した。
「途中聞き取れない部分もありますが、これで勘弁して下さい。それと、あれもお返ししておきます」
栗栖は金庫を開け、小笠原仁那から受け取ったカルデラの資料も権藤に渡した。その瞳は哀しみに沈んでいる。
「やはり、中国政府が関わっていると思われますか?」
栗栖が立ち上がった権藤の足元に視線をやって聞いた。
「現段階ではそう睨んで動いています」
栗栖は権藤の答えに嘆息しただけで口を噤んだ。栗栖に聞かせた音声ファイルは、銃声までだ。小笠原が最後に日本語で放った言葉はカットしてある。
「大変お世話になりました。領事が言われた通り、私共は明日にでも帰国します」
栗栖からの返事は無かったが、権藤達三人は栗栖に頭を下げ、総領事館を後にした。
総領事館を出てすぐに鳴った沢渡の携帯は、受けずとも重要なものだと知れた。沢渡は通話をスピーカーで受け、ボリュームを上げた。
「総理、スピーカーです」
「そこに権藤君がいるな? 何が起こっている?」
伊達の語気はやや荒かった。報告を受けていなかったことが気に入らなかったようだ。
「権藤です。そちらは総理だけですか?」
伊達も馬鹿ではない。権藤のその言葉で事情が複雑であると悟った。落ち着かせる為に吐いた伊達の息がスピーカーから漏れる。
「そうだ。今は地元のホテルにいる。何があったのか説明しろ」
「電話では少々。私がここに居ることは、他に誰が知っています?」
「北京に
「そうですね、それもこの電話では。明日そちらに伺います。そういえば、地元のホテルにいらっしゃると」
「ああ。明日と明後日、ここでロシアの大統領と会談があるからな」
「総理の地元」
「境港だ。ここへは福岡か大阪から電車に乗り継ぐのが楽だろう。どうした? 不都合でもあるか? こちらの予定は動かせんぞ」
応答のない権藤に、伊達は再び苛立っている様子だ。
「すみません、総理。その後の予定は?」
「明後日以降のか?」
「はい」
「十九日の会談が終わり次第、翌日にかけて大山の国民宿舎に立ち寄る。公務ではないが、十七年間続けているライフワークだ。鳥取県西部地震で被災した支援者の、だが、何か問題でもあるのか?」
明らかに権藤達の息を呑む気配に、伊達は声のトーンを抑えた。
「カルデラです。二十日に大山をターゲットにすると」
今度は伊達の方が黙り込んでいる。
「総理?」
「ああ、聞こえている。関空にヘリか小型機を用意させよう。できるだけ早く帰ってこい」
「分かりました。では大阪への便が手配できたらすぐに連絡します。それから、このことは内密に。ご家族を含めてどなたにも話されませんように」
「國代や本宮にもか?」
「もちろんです」
右腕である内閣官房長官と内閣危機管理官に対しても口止めされ、伊達は隠しもせず大きな溜息を吐いた。
「総理、お願いがあるのですが」
「なんだ?」
「産総研の矢動丸君に連絡を取って頂きたい」
「あの学者さんか。この電話に連絡するように伝えよう」
「よろしくお願い致します。総理、くれぐれも」
「分かっている。君達も気を付けたまえ」
電話では冷静な口調で話していた権藤も、通話を終える頃には唇が渇ききっていた。
「大山って、火山だったんですか」
電話を切った直後、沢渡はそう呟いたが、それに柏木が首を横に振った。その手には自身のスマートフォンが握られている。大山の名前が出て、ネットで調べていたらしい。
「火山活動でできた山だけど、今は火山としての扱いは受けていないみたい。中国地方に観測点を設けている活火山は二箇所しかないの。
「だからこその実験とも考えられる」
その沢渡の言葉に権藤も頷いた。
「御嶽山の例もある。もし大山の火山活動を再開させることができたとしたら、後は時を待つだけになるだろうな」
長野と岐阜の県境にある御嶽山は、一九七〇年代までは当時の言葉で「死火山」と広く認識されていた。しかし、近年では火山活動が活発化し、二〇一四年の噴火では大きな被害を出した。
当時の報道映像を思い出したのか、柏木の表情が曇った。
「私達、どうすればいいの?」
柏木の呟いた問いに、沢渡はもちろん、権藤も返す言葉は何もなかった。無言のまま乗り込んだ
「もしもし」
登録のない番号からの着信に、沢渡は名乗らずに出た。
「あ、えーっと、産総研の矢動丸ですが。総理から連絡をと言われて」
「少々お待ちください。チーフ、産総研の」
着信があった時点で矢動丸からの電話だと確信していた権藤は、沢渡に電話を差し出される前に手のひらを沢渡の前に広げていた。
「権藤だ。今日は悪かったな」
「本当ですよ。それよりご用件は?」
「ああ、昼間に君が言いかけていた件だが、例の補助装置が手に入るかもしれない」
「そうですか」
「随分そっけない反応だな」
予想外に冷めた矢動丸の反応に、権藤は苦笑した。
「手に入るかもしれない、でしょう? 実際に手に入れて頂かないと私の仕事はありませんから」
「そうだな、その通りだ。では、手に入れたとして、どうやってカルデラを無効化できる?」
「カルデラが量子ビームを応用したものと仮定して、いや、ほぼこれはニュートリノの計測量を見ても間違いないと」
「ちょっと待て。細かい原理を話されても理解できん。要点だけでいい。分かりやすくな」
「分かりやすく、ですか? そうですね、反射、透過、吸収という言葉は分かりますよね?」
「ああ、そのくらいは」
「カルデラから放射されたエネルギーは、自然界で安定している物質を透過します。ですが、補助装置によって性質に何かしらの変化を与えられると、エネルギーが吸収される。吸収されたエネルギーが、火山活動のエネルギーに変換されて放射されるという仕組みです」
矢動丸がそこまで一息で話して、間を置いた。
「そこまではよろしいですか?」
「ああ、続けてくれ」
「吸収される前に反射させるんですよ。カルデラから放射されたエネルギーを。そこでデータも拾えれば安保理に訴えることもできます。その為には、補助装置を実際にこの目で見て、どうやってエネルギーを吸収させているのか確かめなくては。吸収させる方法が分かれば、反射させる方法も必ず分かりますから」
「なるほど。それでは何としても手に入れなくてはならんな。かもしれないと言ったが、準備だけはしておいてくれ。総理からもそういう指示が出ると思うが」
「指示、ですか。今晩ってことはないですよね? もう日付が変わりましたよ」
矢動丸に言われて権藤は腕時計に視線を落とした。日本時間のままにしていた時刻は、確かに午前零時を回っていた。
「そうか、もうこんな時間か。疲れが身体中に出てきたわけだ」
権藤は長い一日を思い返して嬉しささえ感じていた。一線を退いてからは最も忙しい一日だったかもしれない。だが、明日はもっと忙しくなるだろうと、気を引き締めた。
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