第1話 陰謀の素粒子
三年後の日本。
九州中部で起きた地殻内地震と、阿蘇山の火山活動データが、霞が関某所の小さな会議室のスクリーンに映し出されている。
「人工地震など、陰謀論好きのバカ共を喜ばせるだけの話だと思っていたがな」
白髪が多く混ざった角刈りの男が、三列並んだ一番後ろの席で、机上の資料を万年筆の背中で叩きながら言った。スクリーンの前に立つ白衣を着た男を除く他の五人も、総じて半信半疑といった顔をしている。その様子を見て、白衣の男はゆっくりと首を横に振り、スクリーンに新たな画像を表示させ、発言を続けた。
「それは過去の話です。地震を起こす為のエネルギーを、直接ターゲットの破壊に用いた方が効率的だったから、笑い話で済まされていたのですよ」
「で、そいつが笑い話では済まされなくしたってヤツかな?」
スクリーンには不鮮明な艦船の衛星写真と、それを解析したデータを元に作られたCGが表示された。ベースは旧ソ連のタイフーン型原子力潜水艦。しかし、推定全長は一八五メートルと、オリジナルよりも一〇メートル長くなっている。
「そうです」
少々鼻息荒めに肯定した白衣の男を受けて、角刈りの男は、資料を一枚目へと戻した。
「そいつがこの位置を潜行していたからと言って、少々短絡的ではないのかな? 確固たる証拠があるわけでもないだろう」
白衣の男は、角刈りの男の言葉に合わせて、スクリーンに九州とその沖の東シナ海域の地図を表示させた。
東シナ海の鹿児島と上海の中間あたり、韓国済州島の南。ちょうど日中韓三カ国の境界が交わる地点に、潜水艦のシルエットのマーク。そのマークから赤い点線が伸び、×で示された阿蘇山へと続いている。
「確かに証拠はありません。ですが、証拠を掴まれる可能性が限りなくゼロに近いからこそ、中国はこういう手段に出ているのです。カモフラージュの為に、わざわざマレーシアへ別の潜水艦を寄港させるような真似までして」
思ったような反応が得られず苛立った様子の白衣の男に、別の男が口を開いた。最前列に座っている、頭が綺麗に禿げあがった男だ。
「
それを聞いた白衣の男、矢動丸は、あからさまに大きな溜息を落とした。
「この兵器は地震を誘発させるものではなく、火山活動を活発化させるものであると考えられます。そして、今回の阿蘇山の噴火に対しては、我々の中でも二つの意見に分かれました」
「自然の噴火だと主張する者もいる、ということかな?」
「違います。人工的に噴火させたという認識は一致しています。問題はその狙いです」
矢動丸はそう言ってパソコンのキーをひとつ叩いた。すると、阿蘇山で止まっていた点線がそのまま真っすぐ伸び始め、伊豆半島の付け根で止まった。
「ひとつは富士山を狙ったものの、阿蘇山のマグマ溜まりが予想よりも浅い位置に広がっていた為、そこでエネルギーが消費されてしまったという意見。もうひとつは、今回の噴火は単なる実験だったという意見。またはその両方だということも考えられますが」
狙いが富士山にあったかもしれないという言葉を聞いて、五人の男達は僅かに表情を厳しくさせた。
「両方……とはどういうことだ?」
「阿蘇山にエネルギーが吸収される事態を予測しておきながら富士山を狙い、阿蘇山が噴火したらしたで構わない。そう考えて、とりあえずやってみたのではないか。そういうことです」
「とりあえずで噴火させられたんじゃ堪らんな。だが話は分かった。うちの連中には関連する情報に注視するように言っておこう」
角刈りの男はそう言うと立ち上がった。
「権藤君はこの話、信じるというのか?」
隣に座っていた男がそう言うと、権藤と呼ばれた角刈りの男が資料を会議室内のシュレッダーに入れて首だけをその男に向けた。
「ガセネタならその方が良い。万が一真実なら」
権藤はその先の言葉を口にすることなく、会議室を出た。
掘り込み式のガレージの中。ランニングマシンの上で一時間以上足を回転させ続けていた沢渡が、ようやくその回転を緩めて、呼吸を整えながらマシンの上をゆっくりと歩いた。呼吸と鼓動が落ち着くと、マシンを降りて洗車用のホースから出した水を頭に浴びた。
「生活パターンを変えるのは良いが、こんな時間に走るかね」
外では下弦の月が南中しようとしている。換気の為に少し開けていたシャッター横のドアから、権藤が遠慮することもなくガレージに入って言った。
「こんな時間に人のガレージを覗きに来るのもどうかと思いますけどね。メールならちゃんと確認しましたよ。わざわざこんな山奥まで来られなくても」
沢渡は頭に向けていたホースを口元に移し、水を含んで口の中をすすいだ。
「何かあったんですか?」
沢渡がタオルで顔を拭き終えるのを待って、権藤はその質問に答えた。
「可能性の話だと言っていた例の件だがな、証拠がひとつ見つかった」
「何ですか、その証拠って?」
「スーパーカミオカンデは知っているな」
「ええ、名前くらいは」
スーパーカミオカンデは、宇宙を構成する素粒子のひとつであるニュートリノを観測する為に作られた施設だ。沢渡はその施設の名も、ニュートリノも名前を聞いたことがある程度で、それが一体何なのかは理解していない。そして、それは権藤も同様だった。
「聞いた話だけを伝える。質問はするなよ、私にも理屈は分からん」
権藤はそう前置きして言葉を続けた。
「例の噴火があった時、その直前に上海方向からニュートリノの束が東の空に向かって走っているのが観測された。平常時のニュートリノは太陽から飛来する物がほとんどのようだが、明らかにこの時間の太陽の位置とは大きくズレていたそうだ。当初は他の天体からの物という可能性も考えられたそうだが、それにしては検出された量が多かったらしい」
「じゃあ、そのニュートリノを使って阿蘇山を噴火させたと?」
「いや、そうじゃない。ニュートリノは副産物だとのことだ。ニュートリノそのものが兵器になっているわけじゃない」
慣れない言葉に沢渡は頭を掻いた。その様子を見て権藤も苦笑している。
「とにかく、人為的な力が働いていたのは間違いない。そこでだ、ひとつ思い出したんだが」
権藤はそう言いつつ、背広の胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「この男、当然覚えているだろう。三年前の
権藤が沢渡に見せた写真は、確かに三年前に沢渡がゴムボートへ捨てた男だったが、あの時の表情とはまるで違う人懐っこい笑顔を浮かべていた。
「この人からの情報にも真実味が出てきた。そういうことですか?」
自分が手を汚して殺した男の写真を見ても表情ひとつ変わらぬ沢渡に、権藤は耳の後ろを人差し指で掻いた。
「勝手なことを言っているのは重々承知しているが、こいつが居なくなった今となっては、あれ以上詳しい情報が得られない。何とか他から情報を集めて欲しい」
「それは、情報を持っている人間を捜す段階から始めろって意味ですか?」
沢渡は嫌な表情を隠さずに権藤に確認した。だが、その答えは返ってくる前から容易に想像できていた。
「すまんな。それがこの国の悪いところだ」
「潜水艦相手ってだけでも俺向きの仕事じゃないってのに」
沢渡はそう言いながらも手のひらを上に向けて右手を差し出した。その手の上に権藤が航空券を挟んでいるパスポートを置いた。
「三〇歳の造船技師で、今回が初めての海外だということにしてある。頼んだぞ」
沢渡はパスポートを捲り、自分の写真を確認すると口をへの字に曲げた。
「この写真、クマが酷いから撮り直すつもりだったのに」
小言を言いながらもパスポートを受け取った沢渡の肩を軽く叩いて、権藤は沢渡のガレージを去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます