第10話 友田循環器科内科
時は十年前に
太と洋がハウステンボスで、二人して遊び、別れた夜である
太はホテルローレライに宿泊の為に向かった。洋は自殺するために、佐世保に向かったのである。彼は、タクシーで西海橋まで行く予定であった。時間的には十分で着く距離であった。まだ、十八時前であった。
外は、
決行は夜中の十二時過ぎに設定していたのだった。それまで、六時間以上の時間があった。
洋は、この世の最後の、残り時間の消費方法を、綿密に考えていなかった。
タクシーを拾う前に、コンビニに寄って、ウイスキーのポケット瓶を二瓶買った。つまみとして、竹輪とピーナツとスルメイカを買ったのである。
買う時の年齢制限も難なくクリア出来た。彼が中学、高校生の時に寮から自宅に帰った時に、養父の池田民雄が良く飲んでいたのを見ていたのだった。
養父の民雄はウイスキ-がすきであった。民雄は洋が帰って来ると、よく二人で、近くにある小川に魚を釣りに行ったのだった。たいして、獲物は掛からなかったが、ふたりで堤防に並んで腰かけて、釣り糸を垂らして話をした。
野球のこと、サッカ-のこと、夏休みの家族旅行等について、話し合った。また、
「もし、洋がラサ-ル学園で学ぶことが嫌になるような事があったら、無理せずに、いつでもやめてもいいから」とも言っていた。
養母の八重子があまりにも、洋の将来に期待を掛けすぎていたので、そのことで、洋が潰されないように心配していたのかも知れなかった。そして、話しながら、川面の糸を見ながら、チビリ、チビリとウイスキ-を飲んでいた。その時のウイスキ-の、あの独特な香りが急に思い出されて、自分も死ぬ前に飲んでみたかったのである。
かれは通りにあったバス停のベンチに腰かけて、ウイスキ-を飲みはじゅめた。周りには誰も居なかった。
なにせ、酒を飲むのは生まれてから初めてであったのである。ましてやウイスキ-である。アルコ-ル度は四十度であった。
かれは、最初の一口で
「うっ」となったが飲み下したのだった。液体が喉を通る時には、火傷した様にヒリヒリしたのである。そして、胃の中に到達したのが自覚できた。胃が焼ける様であった。
決して美味しくは感じなかった。でも、死ぬ前に、一度飲んでみたかったのである。
酔った勢いで、橋の上から四十メ-トル下の海へ飛び込もうと考えたのだった。洋は一時間かけて、ポケット瓶、二瓶を空にした。
そして、通りかかったタクシ-に手を上げて
「西海橋までお願いします!」と乗り込んだのだった。
タクシ-は十分後に西海橋の傍の無料駐車場に着いた。
「お客さん。着きましたよ」運転手が声を掛けたが返事がない。不審に思って、後部座席の方を振り返ってみたら、横になって寝込んでいたのだった。
運転手の山崎さんは
「まったく!」と腹立たし気に一旦、車から出て
「お客さん、着きましたよ」と洋を揺り動かして起こそうとした。揺り動かされた
山崎さんはびっくりして、目を見張った。
「嘘だろう。勘弁してよ!」と呟いた。彼は洋が死んでると思ったのである。
直ちに車に乗り込んで、咄嗟に思いついたクリニックへ向かったのだった。この日は振り替え祭日であった。クリニックは当番医しかやっていなかった。彼は携帯で電話した。すると、幸運にも、そこは当番医だったのである。彼が向かったのは、彼自身が罹っている友田循環器科内科であった。途中、携帯で連絡して、向かっている事を知らせた。友田先生はまだ、クリニックに残っていた。山崎さんは、制限速度をオーバ-して走った。それで十五分で着くことができた。
友田医師と看護師の浜田さんがクリニックの玄関で待っていてくれた。
着くと同時に二人は駆け寄ってきた。友田医師は洋の状態を一目診て、脈拍を取り、胸に聴診器を当てながら、後部座席を見回して言った
「山崎さん。大丈夫ですよ!多分、急性アルコール中毒でしょう」と。
「えっ、生きているんですね!」と安心して、ほっと溜息をついた。
友田医師は
「浜田さん。ストレッチャーを持ってきて」と指示した。
ストレッチャーに洋を載せて、先生と浜田さんは院内に運んだ。
洋はベッドに移され、生理食塩液の点滴を施されたのである。岩崎運転手は後部座席を整理して、仕事に戻った。
後部座席には、空になったウイスキ-のポケット瓶が二本入った、コンビニのビニール袋が残っていたのである。
洋は点滴をされながら、バル-ンカテ-テルを尿道に導入して、体内のアルコ-ルを排泄されたのである。
翌日には意識も回復した。
友田医師は、洋が転んで、頭部に異状等がないかをMRIでの検査もしたが問題はなかった。
洋が担ぎ込まれて四日目の木曜日であった。
毎週木曜日には、友田循環器科内科に、
今の院長の友田先生は二代目であった。そして、週に一度、木曜日に、先代の友田雄介先生が、応援兼、息子の仕事の確認チエックに来るのであった。
この日は息子の雄一先生も緊張する日であった。大先生の居る木曜日は、大先生に診てもらおうと、多くの患者さんが来院するために、患者さんの数が特に多かった。
大先生の友田雄介医師は、東大の医学部を卒業後、東大病院の血液内科で二十年以上活躍した医師であった。アメリカ、フランス、ドイツにも留学して、論文も数多く発表していた。言わば日本の医学界のスーパ-ドクタ-であったのである。
その雄介先生が、突然、病院を辞めて、地元の長崎に帰ってきたのである。
「開業医こそが医者の本分である」と云うのが先生の持論であった。
象牙の塔を嫌い、一介の町医者に転じたのだった。東大病院の院長に推されていたエリ-ト医師の大転換であった。彼の教えを受けた医師達も多くいた。そして、彼らの殆どが、今や、血液学会の重鎮に成長していたのだった。
友田雄介先生の突然の退職に日本の医学界は驚愕したのだった。
彼は佐世保にクリニックを開業した。地元の住民たちは、雄介先生を良く知っている者も多くいた。東京の有名な先生が開いたクリニックと云うことで、患者さんも連日多かった。
「雄介」、「ゆうちゃん」とか、「ゆう坊」と気安く呼ぶ患者さんも沢山いたのだった。息子の雄一医師は九州大学を卒業して、九大病院の内科の医局に二年間居てから、佐世保に帰り、クリニックを継いだのだった。
そのような訳なので、地元では住民から最も親しまれているクリニックであった。
午前中の診療が終わって、親子の医師は食事しながら雑談をしていた。
大先生が雄一院長に訊ねた。
「雄一、ところで、何か変わった事はなかったかい?」
「特にありませんが、祭日の月曜日の夕方に、急性アルコール中毒の若い患者さんが一人担ぎ込まれました」と洋のことを話したのである。
「また、大学生の一気飲みじゃないのか?」
苦い顔で訊き返した。
以前、長崎大学の学生が集団で酒を煽って、運ばれて来た事があったのだった。ボート部の新入生たちであった。その時は二人の学生を三日間、入院させたのである。コンパで騒いで、一気飲みをやった結果であった。
「それが、どうも違う様なのです」
「救急車で運ばれて来たのかい?」
「いや、それが山崎さんのお客さんだったのですよ」
「山崎さんて、あのタクシ-運転手のかい?」
「そうです。なんでもハウステンボスの近くから西海橋まで乗せたらしいのです。そして、着いてから、声を掛けたら返事がなかったので、後部座席を見たら、仰向けに寝転んでいたらしいのです」
雄一院長は、あの日の経緯を大先生に伝えたのである。
「アルコ-ルを抜いて、意識も回復したので、翌日、頭のMRIも撮って調べました。何も異常はないので、退院してもいいよと言っているのですが、もう少し、入院させてくれと言っているのです。困りました」
雄一院長は当惑顔で報告したのである。
「ふ-うん。精神的には落ち着いているのかい?」
「そこなのですよ!何かありそうな気もするのですよね」
雄一院長も同じ様に感じていたのだった。
大先生は
「雄一。午後からその若者に僕が会ってみるよ」と言い出したのだった。
「そうですか。じゃあ、お父さんお願いします」
雄一院長は午後の診療のために診察室に戻った。彼は苦笑いを浮かべて、また、父親のおせっかいが始まったと思っていた。
大先生は、基本的には午前中だけの診療で、午後は自宅に帰っていたのである。
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