第8話    田尻 平

 福岡の野中家では、太が出て行ってから一か月が過ぎた六月に、警察に行方不明者届を出したのである。ただ、失踪宣告書が残されているとの理由で、積極的には捜索して貰えない状況であった。基本的には、家族が努力して探すしかなかったのである。

 事件、事故に遭遇したとの事実もなかったからである。

 平が久しぶりに野中家を訪れた。医療機器メーカ-の展示会が、福岡市の天神で開催されるので、上司の係長と先輩と平の三人が派遣されたのだった。フェアは明日と明後日の二日間であった。彼等は天神のアパホテルに宿泊していたのである。

「やあ、平、久しぶり」八重子は平に微笑みかけた。

「ああ、叔母さん。ご無沙汰しております」と元気な声が帰って来た。

「もう、すっかり営業マンになったねえ」

 八重子は平を見回した。

「いやあ、まだまだ、これからです」と平は照れていた。

「今日は突然にどうしたの?」

「明日から、天神で商品の展示会があるのですよ。じいちゃん、ばあちゃんは元気にしているかねえ。随分しばらく会ってないけど」

 そう言って彼は家の中を覗き込んだ。

「うん。何とかね。でも、二人とも弱ったよ」

「ところで、洋は元気?」

 平は話題を変えた。八重子は心配顔で

「うん。時々、電話で連絡を取っているよ」

彼奴あいつの事だ。しっかり勉強してるだろうな」

 平は少し、羨ましそうに呟いた。

「実は、洋がこの前、テレビのクイズ番組に出演したのよ!」

「えっ、そうなんだ!なんて番組?」

 平は勢い込んで訊き返した。

「ええーと、ミリオなんとか。ほら真野もんたが司会している番組よ。なんていったかな?」

「えっ、まさかミリオネアマインドじゃないだろうね!」

「そう、それよ!」

「えっ、ほんと。俺も何度か見たことあるよ。全問正解したら一千万円貰えるクイズだよね」

「そうなのよ。洋は途中でやめちゃってねえ。でも、二百五十万円の賞金は貰ったみたいなの!」

「へえ、凄いなあ!」平は叫んだ。

「私は入学式依頼、洋には会ってないのよ。東京まで行くのにもお金が掛かるしねえ」

 八重子は悔しそうに呟いた。そして、続けた。

「学費なんかも送ってないのよ。洋は自分で何とかやっているから心配ないと言うけどねえ」と悲しそうにしていた。

 でも、これが自分の体内で、十か月以上育てて、自分のおなかを痛めて生んだ実子であったなら、どんな事をしてでも会いに行ったであろう。やはり、甥っ子と実子では、こんなところでも、自分では気付かない血の濃さの違いが出るのではないのだろうか。それが動物の本能であろう。いくら溺愛していても八重子の気持ちと行動は、そこまでは到達しなかったのである。

 でも、偽洋にとっては、その方が好都合であった。いくら上手に演技しても、永年、生活を共にした八重子に、洋でないことを見破られるリスクは充分あった。

「大丈夫だよ。あいつは賢いから」

 平は八重子を励ました。そして、祖父の光明と祖母の妙子に会ってから天神のホテルに戻った。

 平の入社した医療機器メーカ-の本社は大阪にある。彼は現在、熊本支店に勤務している。今回の出張は福岡支店の応援であった。とにかく、前年の実績を上回る成績を上げることが至上命令であったのである。

 平にとっても負けられない任務であった。野球部の時の根性で頑張ったのである。でも、結果は、何とか前年をクリア出来たと云ったところであった。今年は新規開院のクリニックが少なかったのが一因でもあった。ただ、前年割れしなくて、全員一息ついたのである。

  

 平は熊本に帰っていた。その日の仕事が終わって、アパ-トで入浴後、ビールを飲みながらコンビニ弁当を食べていた。テレビではバライティ番組をやっていた。それを観ていて思い出したのである。そして、急に思いいついたのだった。

「そうだ。洋に電話してみよう」

 彼は洋の携帯電話に掛けた。五回コール音がなって、偽洋が出た。

「もしもし、池田です」

「あっ、洋。平だけど!」

「やあ、平、久し振り」元気のない返事だった。

「よう、お前クイズ番組に出たんだって?」

「うん。二百五十万円貰ったよ」

「凄いなあ。よかったな!どうだ、医者になれそうか?」

「うん。何とか頑張ってみるよ」

「俺に出来ることがあったら言ってくれ!応援するよ」

「うん、ありがとう」

 平は今迄の洋にしては少し元気がないなと感じた。きっと、疲れているのだろうと思ったのである。そのうち、また電話してみようと考えたのであった。

 偽洋は、今日はバイトの無い日だったので、部屋で英語の勉強をしていた。もう少ししたら、前期の試験が始まる。しかし平からの電話には一瞬戸惑った。彼に、自分が太だと感ずづかれないかと不安であった。

 外見の容姿では過去に良く間違えられた三人ではあったが、声質や声音こわね、しゃべりのスピ-ド等には自信はなかった。三人で比較したことも無い。だから、極力、言葉数を少なくした。こちらからは、なるべく話さずに、相手に喋らせて応じることにしたのだった。

 ただ、幸いだったのが、洋は中学生の時から、寮に入っていたので、八重子と一緒に居る事が普通の家庭より少なかったことである。そう考えれば、平との関係はもっと少なかったことになる。

 生まれてから、三つ子兄弟が三人揃って過ごした時間は、過去にディズニ-ランドに遊びに行ったときと、母の育代の葬儀と命日の時のお寺参りの時くらいであった。       まず、気付くことはないだろうとは考えていた。葬儀の時だって、互いに一緒につるんでいる家族が居たから相手が判ったのであって、仮に、ポツンと単独できたならば、互いに自分以外のふたりの兄弟のどちらだろうと迷ったかも知れないくらいに瓜二つなのであった。

 実は太自身が一度、平と洋を間違ったこともあったくらいだった。常に身近にいない事が、偽物と気付かせない最大のポイントである。それは、互いに疎遠となることで強化される。

 ただ、声だけの情報は十二分にも神経質に注意する必要はあると思っていた。


 偽洋は医学科に進学して、その後、医師国家試験に合格した。そして、東大病院の心臓血管外科の医局に入局したのである。いわば、日本のトップクラスの医師の集団の一員となったのである。

 これからが、偽洋にとっての本番だった。彼もその覚悟であった。

 ここまで来るまでには、いろいろあった。彼は現在二十六歳である。東京に住み始めて八年目になる。今年の誕生日(6月30日)で満二十七歳だった。

 本物の洋の消息は、そのまま不明であった。彼は洋は確実に死んでると信じていた。

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