第5話  太は偽洋に

 太は東京行きの新幹線『のぞみ』の車内にいた。のぞみ36号である。東京駅には19:15に着く予定であった。彼は、今は池田洋いけだひろしである。

 にせ洋は東京駅から本郷三丁目のマンションまでの道順を再確認していた。一応、洋から説明は受けていたが、東京に住むのは初めてなので不安であった。東京駅の二番ホ-ムから丸の内線の池袋行に乗れば十分で着くことを再確認したのであった。

 偽洋は本物の洋の計画に加担したことには悔いは無かった。洋の遺志を成功させる事に自分の生涯を掛ける決心をしたのだった。改めて、洋からもらった携帯電話、学生証、部屋の鍵、運転免許証を確認した。

 計画では洋は偽太になって佐世保の西海橋から投身自殺をしたことになっていた。

 決行は昨夜の夜中の計画であった。洋は慎重な奴であった。二度現場を検証したのである。そして、決行可能なポイントを設定していたのである。

 過去の西海橋からの自殺者は三万人以上であった。助けられて一命を取り留めた者もいたが、死亡者も多かった。遺体の破損が酷くて、身元の不明者も多い。渦潮の流れが深く、速ければ、遺体は上がってこなかった。最大渦潮は直径10メ-トルを超えると云われていた。洋は遺体が発見されない事を願っていた。

 一週間経過したが、新聞、テレビ等のマスコミでの西海橋からの自殺者の事件の報道は皆無であった。


偽洋はマンションから学校へ通い始めた。必須科目、選択科目を合わせた152単位を取得する必要があった。偽洋は学習する事は好きだったので苦痛では無かった。

 新しい知識を身に付けることが楽しかった。ラサ-ル学園から十五人、医学部進学組が来ていたが、誰も偽洋だとは気が付いていなかった。彼等は気軽に洋に声を掛けてくる。その者たちに調子を合わせれば良かった。本物の洋がおしゃべりで無かったのも幸いした。友人付き合いも、あまり深くは無かったのだろう。親友は居なかったようであった。偽洋は何とか学生生活が出来そうであった。


 博多の野中家は大騒ぎであった。祖母の妙子は二日目も三日目も太が帰宅しないので半狂乱の状態であった。平にも連絡してみたが知らないと言われるし、洋の養母の八重子も一緒になって太の行方を探したのである。

 偽洋(太)に養母の池田八重子(この後、旧姓の野中八重子に戻る)から、彼が引き継いだ携帯電話に着信があった。

「はい。洋です」

「ああ、洋、ちゃんと生活出来ている?」

「うん。大丈夫。問題ないよ」

「そう、安心した。ところで、太ちゃんから何か連絡は無かった?」と訊いて来たのである。

「いや、別に何もないけど。太がどうかしたの?」と内心ドキドキしながら応じたのであった。

「実はねえ、交通局に出勤していないらしいのよ」

「へえ-。どうしたのだろうね」ととぼけたのである。

「あんたに何か連絡があったら私に知らせてね」

「うん。分かった」

「じゃあ、身体に気を付けて頑張りなさいよ」

「うん、分った。お母さんも元気でね」

 養母の八重子も太とは気付かなかったようである。洋と会話したと信じ切っている。

 声の質もトーンも喋り方からも違和感があるようには感じられなかった証拠である。

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