第4話 洋の決断
博多駅のくうてんにある
「くうてん」とはJR博多駅の九階にあるシティダイニングである。そこのレストラン&カフェゾーンには飲食店街があった。その中の北京・四川料理の店である。
このくうてんは博多駅の名所のひとつである。そこには鉄板焼き、牛タン炭焼き、串揚げ、とんかつ、うなぎ屋、天ぷら屋、すき焼きしゃぶしゃぶ、イタリア料理、抹茶カフェ、フランス料理、寿司屋、パスタ、ハンバ-グステ-キ、そば屋、かしわ屋、海鮮御膳、点心料理、バ-などがひしめいていた。
ふたりは店の一番奥のテーブルに向かい合って座っていた。
「相談って何?」と太は洋に訊ねた。
「うん、それはホテルへ帰ってからゆっくり話そう」と餃子を頬張りながら洋は応えた。彼は博多駅前の筑紫口にあるホテルセントラルを予約していたのである。
食事を終えたふたりはホテルに向かった。部屋は五階の505号室であった。ツインルームである。今日は兄弟二人で宿泊する予定であった。
二人とも入浴を済ませた後、洋は話し始めたのである。
「うん。これは俺の提案なんだが、太が乗ってくれないと成り立たない仮説なんだよ!」そう言って洋は太の顔をじっと見つめていた。
太は期待と不安が入り混じった気持ちで頷いたのである。洋は話を続けた。
養父母が離婚した事、養母の八重子は実家の福岡市の冷泉町に戻る事、自分が、これからは一人で生きていかなければならない事、養母の八重子からは二百万円貰って、後は自分でやっていって欲しいと言われたこと等をすべてうちあけたのである。
「じゃあ、洋。お前は大学の方はどうするのか。やめるのか?」
「いや、やめない!」
「そうだよな。昔から目標だった医学部だもんな。奨学金を利用するのか?」
「それも利用する。そして、あとは俺が考えた仮説を試してみたいのだよ」
「仮説?それって何!」太は洋の顔を見直した。
「うん。太だけに告白するよ」洋は俯いて呟いた。
「俺、だれにも言ってないんだけど、実はもう、永くないんだ!」太は笑って
「洋!いい加減にしろよ!俺を担ぐのは」と太は本気で怒って叫んだ。
洋は真面目な顔で言い放ったのである。その表情は真剣であった。顔面蒼白だった。
「本当なんだよ。残念だけど」と泣き出したのである。
洋は東大を受験する三日前に発熱があって、めまいもしたので、ラサ-ル学園の近くにあるクリニックを受信した。単なる風邪だろうと思い、軽い気持ちだった。でも、念のためにと云って血液検査をクリニックの先生が実施してくれたのである。そして、早めに血液の専門医のいる病院を受診するように言われたのだった。
彼は受験が終わったら、鹿児島大学病院を受診する予定であった。そして、体調は良くなかったが、東京まで行って、東大を受験したのである。受験試験が終わって、鹿児島に帰ってすぐに、鹿児島大学病院を受診したのである。そして、そこで、急性白血病と診断されたのである。
病状は進行していて既に各臓器に
治療法としては骨髄移植、化学療法、放射線治療等がある。しかし、多臓器に浸潤があるので、極めて厳しい状態であったのである。彼はこの事実を誰にも相談しなかった。
家庭内はごたごたしているし、これ以上嫌な事を養母に伝えたくなかったのである。放っておくと余命はながくて一年と宣告されたのであった。母の育代の時と同じ様な展開であった。
洋自身は、今後、あらゆる治療を施しても、完治は望めないと判断したのである。だが、東大には合格したのだった。彼は考え抜いた。そして、一つの仮説を含む結論を出したのである。その事を今、太に相談しているのであった。
「太。気合を入れて聞いてくれ!」洋は真剣そのものであった。
「俺たちは一卵性の三つ子だ。身内の者たちでも良く名前を間違える。良く三人を取り違える。本当に良く似ているのだ!しかも俺とお前は血液型もA型で同じだ」
他人は三つ子が揃っているところを見る機会は少ないのであるが、たまたま三人揃っているのを見た者はびっくりするのであった。互いに鏡を見ているようであった。
本人たちは手足の小さなシミや、目尻の
血液型は平がO型で、太と洋はA型であった。小学生の時、みんなでディズニ-ランドに行った時がそうであった。宿泊したホテルのスタッフたちが、驚愕して三人を見つめていたのだった。
「まあ、三つ子ちゃん。本当に良く似ているわねえ!」と目を見張っていたのだった。飛行機の機内でも新幹線の車内でもそうであった。そして、それは今でも変わらなかった。洋は話を続けた。
「太。俺は自ら命を絶つ。どうせ、一年以内には死ぬ運命なんだからな!」と今は平常心に戻って、落ち着いた表情でしゃべり出したのである。
「ちっ、ちょっと待て!洋、お前何を言い出すんだ」
「いや、俺は本気だ。そこで、お前に頼みたいのだが…」と話しを先に進めたのである。
「ここからが、大事なところなのだ!」
洋の頼みと云うのは洋と太が入れ替わると云う事だったのである。
洋は太として自殺する。
太は洋として大学(東大)に通って、ちゃんと医学部に進んで、医者になれと言うのであった。
太にとっては、まさに驚愕の依頼であった。しかし、可能性はゼロでは無いようにも太には思えたのだった。洋は続けた。
「おまえは昔から医者になりたがっていたじゃないか」
確かにそうであった。母の育代のような高齢出産でも、安心して出産できるような産婦人科医療について、三つ子三人で話し合った事があった。多胎児の出産も安心して、生める医療の開発についても議論したこともあった。
太は家庭の事情で大学進学は断念したが、福岡高校でも常に学年で五番以内には入っていた成績優秀な生徒であったのだった。進学指導でも強く進学を勧められたのであった。受験していれば東大合格も夢ではなかったのである。しかし、諦めるしかなかったのである。
「お前は仕事の事で悩んで、自殺したことにして、遺書を書け!俺がそれを使って死ぬから」
洋は真剣であった。太は考えた。そして悩んだ。その夜はふたりは疲れ切って寝たのであった。
それから六日後の四月三十日に太と洋は長崎のハウステンボスでふたりで遊んだ。この日は昭和の日の振り替え休日で、二人とも休みであった。そして、お互いの持ち物を入れ替えたのである。
太は洋の東京大学の学生証を受け取り、学生マンションの鍵も受け取った。
洋は太の交通局の職員証、運転免許証、野中家の家の鍵を受け取ったのである。
太は前日に、遺書を書いて置いてきた。中学生の時に建て増して造ってもらった自室にある、昔からずっと使ってきた自分の机の引き出しの中である。
二人は夕方の六時に別れた。太はハウステンボスから一キロ程離れた場所にある、ホテル・ローレライに一泊して、明日、東京に行く予定である。
一方、 洋は佐世保に向かった。この時点で互いの携帯も交換したのである。
翌日の五月一日(火曜日)の朝十時であった。
福岡市の交通局から野中家へ電話が入った。妙子が電話に出た。
「はい。野中でございます」
「野中さんのお宅ですか?私は福岡市の交通局の田中と申します」
「お世話になっております」妙子は電話を持って頭を下げた。
「今日、太さんはどうかなさったのですか?」
「はっ、どういうことでしょうか?太は仕事に出ているはずですが?」
「実はまだ、出勤していないのですよ」と田中さん。
「昨日は長崎に旅行に行っていました。今日は事務所へは直接出勤すると電話で家の方に連絡があったのですが?」
「長崎には何か特別な用事があったのですか?」
「いえ、特に聞いてはいません。時々、急に思い立って出かける事があるものですから」田中さんは交通局の運転課の課長であった。彼の話によると今朝、
妙子は太の部屋を見に行った。特別に変わってはいなかった。彼女は太の携帯に掛けてみた。すると、『お掛けになった電話番号にはお繋ぎできません…』との音声が流れて来るだけだった。
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