SS.会議の前の暇つぶし

 煉獄。天秤がある大広間から渡り廊下を通って向かう別エリア。事務室の二つ隣の「会議室」という名の小さな部屋の前で、クロムは足を止めた。中に入ると、奥の椅子にひとりで座っていたサタンが軽い手招きでクロムを呼んだ。


「お前こっち座れよ。俺の隣な」

「早いですね」

「一応主催だしな。お前より先に来てやろうと思って」


 どんな小さな呼び出しでも二十分前には待ち合わせ場所に着いている律儀な部下を待たせないようにと、サタンは三十分前にはこの席についていた。「第一回リーダー会議」と称されたこの会議は、天国、地獄の上層部の意見交換のためにと急遽サタンがメンバーを集めたものだ。


「しっかし暇だな。お前いつもこんなに早く来て何してんだよ?」

「特に何も。待つのは待たせるより楽です。何も考えなくていいので」

「お前らしいっちゃらしいけどよ」


 常に何かやっていないと気が済まない性分のサタンには、クロムの意見は参考にはならなかった。サタンはしばらく考え、いいことを思いついたとばかりにニヤリと笑う。


賭け事ゲームしようぜ」

「は?」

「誰が一番先にドアを開けるか」


 会議室のドアを指して、サタンは机の上に金貨を積んでいった。積みあがっていく金貨の枚数は三十枚。軽く出せるような金額ではないが、クロムは顔色一つ変えずに同額を積み上げる。


 サタンが賭け事を持ち掛けてくるのはよくある事なので、クロムはいつもそれなりの金貨を持ち歩いているのだ。地獄の端に小さな家が建つほどの金額が、会議室の簡素な長机の上に載った。


「……次から、賭け金減らしません?」

「なんだ。ビビってんのか?」

「まさか。重いので邪魔なんです」

「だってお前の持ち金から金貨一枚取ったって面白くねぇだろ」


 ケルベスが「地獄で二番目に金持ち」と称しているクロムの給料は高い。家も持たず趣味もない彼の貯金は膨大だ。王であるサタンももちろん金には困っていない。そんな二人がある程度緊張感を持って賭け事をするには、やはりそれなりの金貨が必要なのだ。

 

「真面目にやれよ」

「当然です……誰が先にドアを開けるか・・・・・・・、でいいんですね」


 サタンが頷く。天国地獄の上層部八名のうち、地獄勤務のケルベスと天国を守っているローズをのぞいた六名。そこから更に今ここにいるサタンとクロムをのぞいた四名が対象だ。お互いにしばらく考え、やがてサタンが口を開いた。

 

「勝負は公平フェアにいこう。俺だけが知ってる情報だ……実は、ミカエルには会議の開始は午後一時・・・・と伝えてある」


「…………」


 クロムは無言で時計を見た。現在の時刻は二時四十五分。本当の開始時刻は午後三時だ。天使の時間感覚は確かに曖昧だが、そんなに堂々と嘘をついてもいいのだろうか。


「ミカエルは、だいたいいつも二~三時間は遅れるからな。現にまだ来てねぇだろ」

「天使は時間の感覚が薄いですからね」

「悪魔が時間に厳しいだけだ。それに、会議の時間を決めているのもこちらの都合だしな」

「人数が多いですから、時間決めないと集まらないでしょう……当然、合わせてもらっている側ですし、数時間の遅刻は俺も想定内です」


 天使の時間感覚に配慮するため、サタンもクロムもこの後の予定は入れていない。しかし、ミカエルの思う集合時間が二時間前だとしたら、一番最後に到着すると思っていたミカエルが最初に来る可能性も出てきた。


「面白くなってきただろ?」

「そうですね……では、こちらも公平フェアにいきます」


 サタンの挑発めいた視線を、クロムはいつもの無表情で流した。そして、自分だけが知っている情報を公開する。


「シルバーは、少し遅れる・・・・・と言っていました」

「マジか」


 サタンは腕を組んで考えた。これから来る予定なのは、ミカエル、シルバー、ルキウス、ミアの四人。その中で、最も来る時刻が読みやすいのがシルバーだ。彼女は逆に時間に厳しい悪魔に合わせるため、いつもなら確実に五分前にはここに来る。

 

「シルバーの言う少し・・ってどんくらいだよ」

「さあ。少しとしか聞いていないので」

「わかんなくなってきたな」

「面白くなってきたでしょう」


 悩むサタンの隣で、クロムは余裕そうにドアを見ている。彼の中ではもう答えが出ていそうな雰囲気だ。サタンも答えを決めて、頷いた。


「よしっ。じゃあ同時に行くぞ。せーの」

「ミア」「ルキウス」


 綺麗に分かれた。サタンはミアに、クロムはルキウスに賭けた一発勝負。勝った方が金貨六十枚総取りの大勝負だ。


「ミアですか……あいつは悪魔の割にはルーズですが」

「まぁな。だが、あいつが遅れるのはせいぜい五分から十分程度だ」


 ふたりは同時に時計を見た。会議の開始時刻までは残り三分ほど。未だドアを開ける者はいない。


「お前こそ、ルキウスはねぇだろ」

「何故です?」

「あいつの能力を忘れたのか?」


 瞬間移動。ルキウスは基本的に、移動は瞬間移動の能力を使う。地獄の下層から天国の奥地まで一瞬で行ける能力。会議にも当然それで来るだろうと、サタンは確信していた。


「瞬間移動で会議室ここに直接来るとしたら、何時に来ようとあいつはドアを開けねぇ」


 予想するのは、最初にドアを開ける者。最初に部屋に入った者ではない。賭けは自分に軍配があがるだろうと主張したサタンに、クロムはこの勝負が始まってから初めて薄く笑った。滅多にない、勝負をかけるときの表情だ。そしてクロムがこの表情をした時、大抵サタンは負ける。


「甘いですね」

「へぇ? ……言ってみろ」


 面白そうにサタンが口の端を持ち上げる。今の時刻は一分前。規則正しく動く秒針を見ながら、クロムが言った。


「ルキウスは、あれで意外にもプライバシーに配慮する男です。公共の場や許可を得た場ではどこにでも構わず現れますが、内密な話が行われている可能性がある部屋や他人の生活スペース、特にマスターのいることがわかっている部屋なんかには絶対に、瞬間移動でいきなり現れるようなことはしません」


 秒針が頂点に重なる。三時ぴったりに、ドアがコンコンとノックされた。うわ、とサタンの頬が引き攣る。どこにいても見計らったように時間ぴったりに扉の前に現れることができるのは、言うまでもなくひとりだけだ。


「くっそ、お前やるな……入れルキウス」


 ドアの向こうから声が聞こえたわけでも姿が見えたわけでもないが、確信をもってサタンはルキウスの名を呼んだ。まもなくドアが大きく開いて、予想通りの金髪が現れる。


「失礼しま……あれ。今日参加費とか」

「ねぇよんなもん」


 大量の金貨を見て思わず参加費と思ったくらいには、ルキウスも富豪だ。しかし天使は悪魔と違い、あまり金銭を持ち歩く習慣がない。


「良かった。今手持ちがなくて……」


 とりあえず払う必要がないと知ったルキウスがほっと息を吐き、改めて机の上を見た。積みあがった大量の金貨、余裕そうなクロムの表情。対して、サタンの表情は少し苦い。


賭け事ゲームかな? クロムの勝ちだね、おめでとう」

「まぁな」

「くっそ。ルキウスを見誤ったな」

「え、僕ですか!?」

「気にするな……ルキウス。少し頼みたいんだが、今下層の俺の部屋まで行けるか?」

「いいよ。じゃあ部屋の前まで瞬間移動して、僕は待ってるから……」

「いや、直接中の方が助かる。金貨これを置いて来たいだけだ」

「そう? クロムがいいならいいけど、僕も入っちゃうよ?」

「構わん」


 ルキウスは頷いて、大量の金貨とクロムとともに消えた。何もかもクロムの言ったとおりだ。ルキウスは多くの情報を扱うからこそ、踏み込んではいけない境界線も知っている。だから信頼があり、信頼のあるところに更に情報が集まるのだ。


「俺もまだまだだな……」


 一瞬で金貨三十枚を失ったにしては嬉しそうに、サタンは呟いた。クロムはシルバーと仲がいいとばかり思っていたが、意外にルキウスとも信頼関係があるようだとわかったのが今日の大きな収穫である。


 その後、三時三分にクロムとルキウスが戻り、六分にはミアが、十八分にシルバーが、そして三十五分にミカエルがそれぞれドアを開けて、三時四十五分から、概ね二人の予想通りに、天国地獄合同のリーダー会議が始まったのだった。


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天獄を守る翼 夏目 夏妃 @natsumeki86

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