第22話テレパシーより会話と観察

「ミカエルさま……うわぁあ」

「シルバー! 待ってたよ」

「信じらんないっ、こんなになる?」


 白亜の城の最奥。白の部屋の白い扉に手を翳し、開口一番シルバーは叫んだ。マスターのデスクが書類やファイルで埋まっている。困り果てたような声がファイルの山の向こう側から聞こえてくるが、シルバーからは何も見えなかった。


「これ全部未処理じゃないでしょ? 何でこんなに出してんのよ!?」

「ちょっと気になる事があって過去のやつ探してたら、なんかこんなになっちゃって……これどこの棚だったっけ?」

「これってどれよ、全っ然見えないわよ」


 シルバーは書類の山を崩さないように慎重に回り込んだ。横目であちこちの棚からファイルがごっそりと抜けているのを確認する。色々見ているうちに戻す場所がわからなくなったようだ。


「仕方ないわね。あたしが戻すから、ミカエルさまはさっさと仕事して」

「ありがとうシルバー。いつか天国あげるからね」

「要らないわよ!」


 ミカエルの手からファイルを奪うと、きらきらした金の瞳がシルバーを見た。続いてその口から放たれたとんでもない言葉に思わず強く否定する。心底遠慮したい。


「天国はミカエル様がいてこそ天国なのよ。馬鹿みたいな事言ってないでちゃんと仕事して」

「シルバーって私に対して凄く冷たいよね」

「こんな山を二度と作らないって約束してくれたら、いくらでも優しくしてあげるわよ」


 シルバーはファイルを元の棚に戻した。すぐにミカエルのデスクに戻り、書類の山を少しずつ崩していく。未処理と処理済みとファイル済みが何故か混ざり合って山になっているのを一つずつ確認して分けていく地道な作業だ。

 

 一方でミカエルは、シルバーから渡された未処理の書類を確認して署名していく。暫く無言で作業した後、ミカエルはぽつりと口にした。


「……最近サタンとよく話すんだけどさ」

「何よ?」

「天国にはシルバーがいるし、地獄にはクロムがいるだろう?」

「……まぁ、そうね。いるわね」

「勿論ローズもルキウスも、その他の皆にも心から感謝しているしいつも大切に思っている。でも、中でもやっぱりシルバーは特別だ。サタンがクロムを特別信頼しているようにね」


 シルバーは書類整理の手を止めないまま、ミカエルの言葉の真意を考えていた。確かに今日の散らかり具合はいつにも増して酷いとはいえ、ファイルを棚に戻すのを手伝ったくらいでそんなに感謝されるとは、彼は余程疲れているらしい。疲労回復をかけてあげようかとミカエルをちらりと見ると、その瞳は慈愛に満ちてシルバーを真っ直ぐに映していた。


「私はシルバーになら天国を全部明け渡しても構わないと思っているよ」

「要らないっつってんのよ」


 書類整理のお礼にしては大袈裟すぎる言葉にシルバーの頬が引き攣る。激務で少々メンタルがやられているのかもしれない。疲労は後で回復をかけるとして、まずは優しい言葉の一つでもかけてあげた方がいいかもしれないと、いつかのクロムとの会話を思い返した。


「……そういえば、クロムともよく話すんだけど」

「何をだい?」

「もしもよ、万が一何かがあった時は……私たちがしっかり天国と地獄を守らないとねって」

「そっか。ありがとう」


 ミカエルは心から嬉しそうに微笑んだ。しかしシルバーは内心で勝手に脚色した事をクロムに詫びる。万が一の時は自分達が盾となってでもミカエルとサタンを守ろうと誓い合った事を、まさか本人の前で口には出来ない。心優しい二人のマスターがそれを決して喜ばない事を、シルバーもクロムもよくわかっていた。


「それ聞いたらサタンも喜ぶだろうね。クロムの……」

「俺が何か?」

「うわっ、びっくりしたぁ」

「ちょっと!今羽動かさないで!!」


 話の途中で突然白い扉が開き、今まさに話に出てきた長身の悪魔が顔を出した。動揺のあまりミカエルの背中の羽が全開に広がり書類が舞う。軽く声をかけたつもりが思いの外大混乱を引き起こしてしまったようだと、クロムは眉を寄せてミカエルのデスクへ向かった。


「……失礼。そんなに驚かれるとは思わず。報告書を提出しに来ただけなのですが」

「あぁ。ありがとう。読ませてもらうよ」


 ミカエルは急いで翼を畳み、クロムの差し出した紙にざっと目を通した。祭りの夜の事件について詳細に書かれたそれは、後半は何故かバゲットサンドのレシピで埋まっている。


「……料理大会でも開いたのかな?」

「あんた何書いたのよ?」

「できるだけ詳細に書けとサタン様が」

「なるほど。確かに美味しそうだ。……あと、調理室にはシルバーを入れないように通達を出そう」

「それがいいかと」

「ちょっと、ほんとに何書いたのよ!?」

「事実だけだ」

 

 ミカエルは報告書の後ろの方に付け足された過保護な文面に目を通していた。調理に適性の無いシルバーを事故から守りたい意思を控えめに主張しながらも、その巧みな言葉選びには彼女を貶める意図は微塵も感じない。ミカエルの口元から、抑えきれずに笑い声が零れた。


「どうしました」

「いや……随分と熱烈だと思ってね」

「事実の報告だけですが」

「事実は小説よりも面白いものだよ。うちの大事な次期マスター候補だが、君なら幸せにしてくれそうだ」

「……事実だけ書いたのよね?」

「そのつもりだったが」


 揃って首を傾げる二人に微笑まし気な視線を向けて、ミカエルは再び最初のページからしっかりと目を通した。


「今回は、いつもより激しめの口論だったようだね。君たちがいてくれて助かったよ」


 この程度の争いはたまに起こる。日頃から両者の間に溜まっている目に見えない不満が、少しのきっかけで爆発することがあるのだ。とはいえ大抵は口喧嘩程度で終わる小さなもので、争いというほどではない。


「現場に最初に到着したのはケルベスだったようだが」

「奴は火に油を注ぐ名人です」

「運が悪かったわよね。ルシファーも、怖い思いをしたみたい」


 溜息をついたクロムに、シルバーが頷く。ケルベスとルシファー、天使と悪魔の仲をより良くしたいと願う割に、彼らは危うい。


「二人ともやる気はあるんだけど、張り切るほど空回りしちゃうのよね。見かけたら私たちもサポートしていきましょ。えーと、このファイルは……」

「ここだろ」


 大きなファイルを抱えたシルバーと本棚の空白を交互に見ていたクロムが壁を指す。シルバーが頷き、ファイルを戻し終えた時には、もうクロムは次のファイルを抱えていた。

 

「これもここか?」

「そうね。年度順に並べて……」

「ん。 ……少し分かりづらいな、ラベル色分けして貼り直すか」

「書いてくれるの!? じゃとりあえずファイルだけそっちに置くわね」

「了解。お前は書類な」


 そのまま当然のように手伝い始めたクロムと、一切遠慮の無いシルバー。てきぱきと役割分担を終え作業に向かう二人に無駄はなく、どちらも無理はしていないように見える。基本的に呼吸が合うのだろうなと、ミカエルは微笑ましげにそれを眺めていた。


「本当に二人は仲が良いよね」

「まぁね。でもそれだけよ……あんたの彼女って三百年くらい前が最後?」

「そういう話もするのかい?」

「たまにね」

 

 机の上の書類を順調にファイルに綴じながら、シルバーはクロムの恋愛遍歴を思い出した。彼は自分からはほとんどそんな話はしないが、こちらが話し出すとつられて経験談を口にすることもあるのだ。しかしクロムはそれには答えず、代わりにシルバーの過去の恋愛を口にした。クロムの記憶力は機械のように正確である。


「お前は百十七年前にあったな。短かったが」

「続かないのはお互い様でしょ。あたしより覚えてんのがムカつくわね」

「まさかあれを忘れたのか? ストーカー化して医療棟まで追いかけてくるってしばらく最下層で寝泊ま……」

「思い出させないでよ」


 シルバーは頭を抱えた。ミカエルが、初耳なんですけど、と言わんばかりにこちらを見ている。今思えばだいぶおかしな話だが、当時は本気で、ストーカーから逃げ回らないといけない天国よりも地獄の最下層の方が落ち着くと思っていたのだ。地獄で一夜明かそうなどと正気でない事を思ったのは、後にも先にもあの時だけである。


「思ったよりも、シルバーは地獄にお世話になっているようだね」

「非常事態だったのよ……あ、そのデータはこっちのファイルなの」

「そういう分類か。ならラベルはここから色を変えて……サタン様も楽しそうだったしたまにはいいだろ」

「あんな事もう二度とないわ。ちょっとミスっただけよ……あ。そのオレンジにしてくれる? 目立つし。このファイルよく使うのよね」

「了解。ならペンも太い方がいいか? 統一感を重視するなら……」

「わかりやすい方がいいわ。ミカエル様の本棚に統一感なんて求めちゃダメよ」

「それもそうだな」

「…………」


 さりげなく悪口を言われた気がするミカエルだが、事実なので反論出来ず無言でシルバーとクロムを見た。そうしている間にもふたりの手元は一切止まる事なく動き続け、お互いの動きを確認しながらスムーズに作業が進んでいく。みるみるうちに減っていく山積みの書類を眺めながら、ミカエルは感嘆の息を漏らした。

 

「……君たちを見ていると、種族の違いなんて些細な事のように感じるよ」

「実際些細な事でしょ。分かり合えないのは種族のせいじゃなくて、単純に話し合いが足りないからよ」

「やはりテレパシーなんて存在しないな」

「テレパシー? あんたにしては乙女な発想じゃない。そんなもの無いけど」

「だからと言ったんだ」


 クロムはオレンジ色のラベルをファイルの背に貼りつけながら、納得したように頷いた。思い出していたのは、少し前にケルベスとミアと交わした会話だ。シルバーは少しだけ首を傾げていたが、やがてはっと思い出したように机の引き出しを開け、そこから出した木の箱をクロムに手渡した。


「忘れてたわ。これ」

「何だ?」

「サタンさまからの特注品よ。ローズから」

「サタン様が? 珍しいな」


 クロムは片手でやっと持てるくらいの長方形の木箱を眺めた。悪魔である自分が触れても気にならないほどだが、確かに聖なるオーラを感じる。


「聖なる木の小物入れかい? よほど大事なものがあるのかな」


 ミカエルが横からのぞき込んで言った。すぐにものが腐ってしまう地獄でも、この聖なる小物入れの中に入れれば永久保存が可能だ。聖なるオーラに守られた天国では、腐敗の概念がないといってもいいほどものが腐らない。


「何を入れるのかしらね?」

「さぁ? 何も聞いてないな」


 ふたりも揃って首を傾げた。そこからしばらく仕事をしながら予想大会が開催されたが、サタンの考えなど誰にも分からない。


「ミカエルさまはどう思う?」

「サタンの大事なものかい? うーん、わからないな……もうすぐ生産終了するお気に入りのペンの替芯とか?」

「あれ気に入ってたみたいだものね。あんたはどう?」

「この前買い占めてた限定品の金平糖。お前は?」

「そうねぇ……昔の彼女の絵姿とか」

「だったら確かに面白いな」


 三人の予想はどれも魔王の宝物とは思えないようなものだ。しかしサタンは金銀財宝を好むようなタイプでは無い。おそらく彼の宝物は、他の者には価値がないと思うようなものだろうと、その方向性は一致していた。


「今度正解聞いてみてよ。そういえば、随分手伝ってもらっちゃったけど時間は大丈夫?」

「今日は心配ない。折角だからもう少し片付けてから帰って……シル、これ解読できるか?」

「解読?……あーこれ、ミカエルさま書いたんでしょ」

「あぁ。古代語じゃないのか」

「私の字って古代語に見えるレベルなのかい!?」

「たまによ、たまに」


 書類一枚渡しに来ただけのクロムは、結局日が暮れるまで書類整理を手伝って去って行った。仲良き事は美しき、天国も地獄も安泰だと、後にマスター二人は語り合う。

 

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