第21話酒場の悪魔と最強剣士

 夜も更け、酒を出す店が賑わう時間帯。人間界に降りたミアは、急いで魔のオーラを隠し、黒い翼を消した。以前この国に来たときは仕事だったが、今日は完全なるプライベートだ。行き先はもちろん、あのドラゴン討伐男がいた酒場である。


(カエル……っていったっけ?)


 ミアは名前を覚えるのが苦手だ。以前に一度聞いた男の名前など覚えているはずがなかったが、あの燃えるような赤髪とこちらの正体を怪しんでいる鋭い視線は深く印象に残っていた。名前も、ミアにしては覚えている方だ。三文字中二文字も合っているのだから。


「こんばんはー」


 軽い挨拶とともに酒場の木製の扉を押す。ギィと立て付けの悪い音が鳴り、中の客が一斉にミアの方を向いた。思ったよりも注目を集めてしまった気まずさを愛想笑いで誤魔化していると、すぐに奥に座っていた客が立ちあがってこちらに向かってくる。


「よかった! また来てくれたのか!」

「え? ……あの」

「探してたんだよ。こっちこっち」


 男はカイルと同じ年頃の青年だった。腰から剣を下げているところを見ると、彼と同じような剣士なのだろう。ミアはドラゴンを思い出した。今日この店に来たのは、カイルが討伐したドラゴンの個体を詳しく確認するためなのだ。クロムに聞いた話だと、契約していたドラゴンは額の鱗がエメラルドのような緑色に光ったという。額の鱗の色は個体差が大きく、そのドラゴンによって大きく違うのだ。ミアはそれほどドラゴンについて詳しくはないが、それくらいは悪魔なら誰でも知ってる事だった。


「ここ座って。なんか飲む?」

「えぇと……」

「カイルならすぐ来るからさ」


 カイルという名前だったか、と思い出しながらも強引に椅子に座らされ、目の前に酒の入ったグラスが置かれる。ツンとしたアルコールの匂いから、度数の強い酒だとすぐにわかった。


「これ飲んで待ってなよ」


 下卑た男の笑い声が耳もとで聞こえる。普通の女性ならば不快感をあらわに眉を顰めるか、怯えて身を固くするような状況シチュエーション


 しかし、ミアは笑顔でグラスを持ち上げ、酒を一気に飲み干した。悪魔は酒に強い。そして、ミアはいつも仕掛ける側だ。気取っていくら好かれようと生身の人間相手に魅了の練習はできないし、そもそも人間と恋愛するつもりもない。これは楽しんだ者勝ちだと、珍しく素の自分を解放し、ここぞとばかりに酒を飲む。


「んー、おいしっ! ねぇ、もう一杯いいかな?」

「……あ? あぁ、いいけど……」

「あれ? グラス空だよ? もっと飲まなきゃ! おじさーん、ここにも強ーいやつ持ってきてー!」

「えっ! あ、いや俺は……」

「えー? 一緒に飲めないのー? つまんないなぁ。じゃあ私違う席に……」

「待っ……まてまてっ! 今飲むから、一緒に飲むから」

「やったぁ! ……ねぇ、お腹すいてきちゃったぁ。お肉食べてもいい?」

「はい……どうぞ……」


 

 カイルがその日の仕事を終え、いつもの酒場の扉を開いた時には、ミアは酒場そこの女王と化していた。店で一番度数の高い酒の入ったグラスを掲げ、大口開けて豪快に塊肉を食らうその足元には、屈強な男たちが屍のようならしくない姿で呻いている。


「な……何があったんだよ」

「カイル……やっと、来た……か」

「助けてくれ……おれが、悪かっ……」

「おい! しっかりしろ、大丈夫か!?」


 カイルは顔馴染みの剣士を助け起こそうとしたが、彼はもう手遅れだった。顔が土気色だ。死にはしないと思うが、手を貸して起こしたところでどうにかなるものではない。


「水いるか?」

「や……いい。はきそ……」

「まてまてまて、店長バケツ借りるぞ!」


 返事が返ってくる前に、カイルは隅にあった掃除道具置き場からバケツを運び、男の前に置いた。後でわかったが、店主も何故か空の酒瓶を傍に店の奥で突っ伏して寝ていたのだ。


「さんきゅ……うぇ」

「うっ……むり、おれも……」

「つまんなーい。ねー、もぉ一緒に飲んでくれる人いないのー?」


 一人が吐き、その匂いでもうひとりが吐き。地獄絵図と化した店内で、藤色の髪をさらりと靡かせた美女がひとりだけ、平気な顔で酒を飲み続けている。それは酒豪というレベルではなく、ただただ異様な光景だった。


「……っ、来い!」


 カイルはミアの手を引いて店から連れ出した。今夜の酒を台無しにした落とし前をつけないと気が済まないという気持ちもあったが、酒と吐瀉物の混じった臭いが充満している店内から出たかったのが一番の理由だ。


「何で出ちゃうの? まだ飲んでたのにー」

「お前ほんとに何者だよ!? 普通あんな中で飲めるやついねぇよ!」

「えー、なんで?」

「匂いとか色々やべぇだろーが」

「匂い? 地獄いつもよりちょっと薄めな感じだけど……?」

「いつも? お前の家そんななの!?」


 カイルは驚きに満ちた表情でミアを見た。前回会った時から彼女の姿が忘れられなくて探していたのは事実だが、知れば知るほど彼女は不気味だ。人間ではない何かと言われても、不思議ではないほどに。


「……あ!」


 ミアは両手を胸の前で合わせ、カイルを改めて見た。ここに来た目的を思い出したのだ。もともと酒を飲みに来たのではなかったのだと、今更ながらカイルに尋ねる。

 

「聞きたいことあったんだぁ」

「何だよ」

「ドラゴンの事」

「どんな?」

「額の鱗。何色だった?」

「はぁ?」


 今度は意味がわからない質問だ。ドラゴンを一体しか見たことのないカイルは、鱗の色に個体差があるなど知らない。しかし、宝石のように輝く鱗に特徴があったのはよく覚えている。何かに使えるかもしれないと、素材として持っているくらいだ。


「教えてやってもいいけどよ。その代わり……っ」


 しかしただで教えるのは惜しかった。その答えを何かの取引材料に使えば彼女の秘密のひとつくらいはわかるかもしれない。そんな事を思ったカイルだったが、ミアの思い詰めた表情を見て言葉に詰まった。


 深い紫色の瞳が不安そうに揺れている。先程酒場で大酒を食らっていた女性と同一人物とは思えないほどに、繊細で嫋やかな印象を受ける表情。気づけばカイルは、懐から取り出した小さな皮袋をミアに渡していた。


「……いやいいや。これやるよ」

「これ? なに?」

「開けてみろ」


 ミアは皮袋の紐を解き、逆さにして中身を手のひらに転がした。そして真っ先にその色を確かめ、深く安堵の息を吐く。


 彼女の手の中には、サファイアのような、蒼く光るドラゴンの鱗。


「よかったぁぁー」

「何が!?」

「せんぱいのじゃなかった……」

「先輩? ドラゴンに先輩いんの!? ほんと何者だよ!」


 脱力して座り込んだミアの隣で、カイルが頭を抱える。やはり彼女はドラゴンの化身なのか、それとも違う何かなのか。鱗を眺めながら目に涙を浮かべている彼女を見て、カイルは初めて、ドラゴンを討伐した事を少しだけ後悔した。


「あ……あのさ。悪かったよ」

「?」

「ドラゴン……その。何つーかさ」


 ミアがカイルを不思議そうに見た。うまく言葉にできない苛立ちを紛らわすようにガシガシと頭を掻き、カイルはゆっくりと、考えながら言葉を紡ぐ。


「ドラゴンはデカいし強いし、戦わなきゃたくさんの人が殺られちまう。だから、後悔はしてねぇ……けど、なんかこう……お前のいう通り、もっとやり方があったのかもって……ほんのちょっとだけだけど、思って……」


「うん」


「でも、俺は剣士だし、これからもドラゴンとか強ぇ奴がいたら戦ってみてぇし。脳筋で悪ぃけど……その。俺、これしか出来ねぇから」


「うん」


「だから……その。今度から、戦う前にほんのちょっと考える事にするよ。そしたら、お前は」


「うん?」


「泣かなくてもすむんじゃないか?」


 カイルはミアの隣に座り込む。多数の屍が眠る地獄のような酒場の前で、涼しい風に吹かれながら、武骨な剣士の大きく固い手のひらが、藤色の髪の感触を確かめる。


「……いつもは、何を考えて戦ってるの?」

「あー……急所はどこかな、とか」

「殺す気満々じゃん」

「や、違くて……えぇと。守るために戦う?」

「何で私に聞くの?」

「あんま考えた事ねぇから……でも、そっか」


 カイルはミアの髪から手を離し、腰に下げた自慢の剣を見た。強くなりたい。それは誰かを殺すためか、それとも誰かを守るためか。


「俺は、人間を守りたいんだ」

 

 初めて考えた、強くなることの意味。誓いを新たに剣に手を添えたカイルを見て、ミアは優しく微笑んだ。

 

「……カイルは、天国に行けるかもね」

「天国? どうかな」


 カイルが空を見上げると、少し欠けた月と無数の星が濃紺の夜空に瞬いていた。天国がどんなところなのかは想像がつかない。いつかこの命が尽きたら、この世のどんな場所よりも絶景と言われるその場所を目にする日が来るのだろうか。


「どっちかっつーと、俺には地獄の方が近い気がすっけど」

「地獄は大変だよー。行けるなら天国の方がおすすめだよ。景色きれーだしね」

「……まぁ、そりゃそうだろうけどな」


 まるで死後の世界から来たようなミアの言葉に、カイルは頷き考える。もし彼女の背に白い翼が生えていたら、自分は何としても天国に行きたいと願うだろう。


(ドラゴンか、天使か……やっぱふつーの人間か。わかんねーけど……離したくねーな)


 何がこんなにも惹かれるのか。名前も知らない怪しい女に焦がれる胸の鼓動は、未知なる敵に遭遇した時の高揚感とどこか似ている。


「お前、名前は?」

「ミア」

「ミア……ミアか」


 ようやく聞けた唯一の情報である名前を、カイルは深く胸に刻み込んだ。衝動のままに手を握り、彼女の大きな瞳を覗き込む。魂が吸い込まれそうな蠱惑的な紫色。彼女が欲しいと願うなら、命すら差し出しても惜しくない気がした。


「ミア……俺は、お前にだけは勝てねぇ気がする」

「ふふっ。飲み比べ?」

「だけじゃなくて。なぁ……専属騎士とか欲しくねぇ?」

「何それ」

「だからさ。お前専属の騎士になるって」

「そんなのいらないけど」

「だよなぁ」


 答えはわかってたと項垂うなだれるカイルの隣で、ミアは少し考えた。男からの告白は、挨拶よりも頻度が高い。プロポーズだってたくさん受けた。でも、専属騎士になりたいと言われたのは初めてだ。

 

(ちょっと面白いかも)


 仕事の事も魅了の事も考えず、誰よりも自然体でいられた今日という日。飾らない自分を守りたいという、専属騎士の申し込み。代り映えしない毎日の中に突然現れた刺激に、彼女の心は浮ついた。


「……カイル、まだ飲んでないよね?」

「あぁ……お前まさか」

「飲みなおそっ! れっつごー二次会!」

「マジかよ」


 最強剣士をお供に連れて、魅惑の悪魔は次の戦場さかばへ繰り出した。店の在庫が空になるほど飲み明かし、夜が明ける頃には彼女の姿はどこにもない。


「あーくそっ! また逃げられた!」


 薄く雲のかかった仄暗い空を見上げ、カイルの悔し気な叫び声が響く。その遥か頭上で、人間には見えない黒い翼をばさりと羽ばたかせたミアの口元は笑っていた。


 この日以降ミアは、休みのたびに人間界へと足を運ぶようになる。そしてそのたびカイルとの距離も、だんだんと縮まっていくのだった。

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