第20話和解のバゲットサンド
「何をやっているんだ」
「どうしたの?」
死にそうな顔で串焼きを飲み込む天使の奇妙な集会が開かれていると報告を受けて来たクロムとシルバーは、怪訝な表情で辺りを見回した。確かに天使は皆、串を一本ずつ持っている。その串に肉がついていないところを見ると、食べた後のようだ。心なしか天使たちの顔色が悪くも見える。
「一体何があったのよ?」
「肉を食べさせられたんです!」
「強要されたんです! 嫌だって言ったのに」
「言ってねーだろうが」
ケルベスは両手を腰に当てて反論した。天使たちは嫌だとは言っていない。ケルベスの圧が怖くて言えなかっただけだが、確かに自ら食べたのだ。
「そんなに嫌だって知ってたら、俺だって食わせたりしなかったさ」
「聞こうともしなかったじゃないですか!」
「落ち着け。最初から説明しろ」
ケルベスがクロムに事情を話している横で、シルバーはルシファーに近づいた。小動物のような小さな身体が震えている。何か怖い思いをしたようだ。
「ほら、もう大丈夫よ。どうしたの?」
「シルバーさん。私……地獄に住むけど、天国を離れたいわけじゃないの」
「そうね」
栗色の髪に、あたたかく大きな手が乗せられる。ルシファーは心から安心したように目を閉じた。地獄に住むことを決めた。しかし、悪魔になりたいわけではない。あくまで自宅の場所が地獄だというだけで、天国から出ていくという意識すらなかった。そんな中途半端な自分だから、天使にも悪魔にも受け入れられないのだろうか。
「どっちにも居場所があればなんて、贅沢なこと思ってるからバチが当たったのかな」
「好きにすればいいのよ。どこにいたってあんたはあんたよ」
シルバーはポンポンとルシファーの頭を撫で、手を振りながらクロムの元へ向かった。入れ替わりにやってきたケルベスがルシファーの肩を抱く。
「あとは任せて良いそうだ。地獄に帰ろう、ルシファー」
「……そうね」
地獄に帰る。新しい生活に胸弾むはずの言葉が、今はとても寂しく聞こえる。自分の居場所はもう、地獄になってしまったのか。ルシファーは寂しさに痛む心に蓋をして、愛しい黒い翼とともに、彼のいるべき地獄へと「帰る」のであった。
「で? 何であんたまで肉持ってんのよ。お腹すいたの?」
シルバーは、串焼きを片手に天使たちと話しているクロムを見た。肉屋の店主も一緒に輪になって、何やら真面目な話し合いをしている。
「食事は祭りで済ませた。お前も意見を出せ」
「何について?」
「肉」
クロムはシルバーの隣に歩いて来て、串焼きを指差した。いかにも肉の塊といったそれは、天使の苦手なものだ。
「これは食えないんだろう」
「そうねぇ。進んで食べたくはないわね」
シルバーは遠慮せず正直に言った。天使は血の匂いに敏感だ。彼女は医療に携わる者として他の天使よりも耐性はあるものの、やはり生臭さと鉄臭さに拒否反応が出てしまう。
「駄目なのは血の匂いか?」
「え? そうねぇ……他にもあるけど、一番はそれね」
「なるほど……?」
もともと肉食中心であるクロムには、肉が苦手な者の心境などはわからない。串焼きの匂いを嗅いで不思議そうにしているクロムを天使たちは警戒心に満ちた表情で見ていたが、シルバーには彼が妥協点を探っているのだとすぐにわかった。
「で、何をすればいいのかしら?」
面白そうにクロムの顔をのぞきこむシルバーから串焼きを持った手を離すように遠ざけながら、クロムは言った。
「どうすれば少しはマシになるか考えろ」
「マシに……ねぇ」
シルバーは口元に手を当てて考えた。つまり、天使にも受け入れられやすい肉料理の考案がしたいのだろう。そう言えば良いのに、彼は肝心な時ほど言葉が足りない。
「ちょっと待ってて!」
シルバーは白い翼を広げ、片付け途中の屋台を回った。やがて戻ってきた彼女の隣には、バゲットを売っていた白い髭の料理人が野菜やパン、香草の入った籠を持って立っている。料理人とそのまま話をはじめたシルバーの様子とその籠の中身を見て、クロムは肉屋の店主を呼び出した。
「おい。これに合うように調理するぞ。肉はできるだけ薄く、赤身が残らないようにしっかり焼け」
「主張の強い野菜は控えて、香りのあまり強くないものを使えばいいのかしら……この葉っぱとかいいんじゃない?」
やがて肉屋の店主が肉を薄く切り、鉄板で焼き始めた。料理人も近くの屋台を借りて簡単な調理をはじめる。バゲットを真ん中から半分に切って、野菜と肉を挟もうというのだ。特に、新商品開発に余念がない天国の料理人は生き生きとしていた。
「あたしも手伝うわよ。これどうやって切れば……」
「シッ……シルバー様! 危ないですから」
生まれて初めて包丁を持ったシルバー。両手でしっかりと柄を握る姿は、これから誰かを刺しに行くと言われても納得するほどの危うさだ。動揺した料理人の声に素早く反応したクロムが、シルバーの後ろから手を添えてやんわりと彼女を調理場から引き離した。
「
「そうね……わかったわ」
最大限言葉を選んだクロムの対応に納得してあっさり引き下がるシルバーを見て、料理人はクロムに頭を下げる。
「(クロム様、ありがとうございます)」
「(二度と触らせるな)」
「(承知しております)」
本人に配慮して小声で交わされた指示に、料理人は深く頷く。これでシルバーが包丁を握ることは二度とないだろうと、クロムはひとまず安堵の表情を浮かべた。当の本人は、今度は調理台に並べられた調味料の数々を興味津々に眺めている。毎日城の食堂で運ばれてきた料理を食べるだけのシルバーは、普段調理風景を見ることがない。楽しそうだし危険がないなら好きにすればいいかと、クロムはひとまず放置した。
「あの。ソースは」
「どうかしらね? まずお肉を挟めてから……あ! これを合わせたらどう?」
「シルバー様……あの、使えなくはないのですが……」
「任せろと言ったのが聞こえなかったのか? センスがないやつは黙って見てろ」
「失礼ねっ!」
右手に果実酢、左手にジャムの瓶を持ったシルバーに、放置している場合ではなかったとクロムは今度こそ直球で突っ込んだ。
「どっちも同じフルーツじゃないの」
「試すなら一人でやれ。あとでな」
「シルバー様! 肉はこの薄さでどうでしょうか」
「うん。だいぶ良いじゃない! それならちょっとお肉多めでも大丈夫よ。あとは仕上げね」
「この野菜ならうちの肉にもよく合います」
「本当ですか! ならそれでいきましょう」
「決まったか? ならそれと……これを一緒に」
「良いですね。クロム様さすがです!」
「美味しくなりますよ!」
「無駄にセンスいいのがなんかムカつくわね……」
天使がふたりに悪魔がふたりの仲良しクッキング。仲良くなれとも、喧嘩するなとも言われていない。ただお互いを思いやり気遣いながら、ひとつのものをつくりあげていく姿を見ていると、翼の色などに拘っているのが馬鹿らしく感じてくる。
「なんか、楽しそうだな……」
ぽつりと言ったひとりの天使に、周囲の誰もが頷いた。
「あんたたちも来なさいよ」
シルバーに手招きされて、様子を見ていた天使たちはおそるおそる肉屋の屋台に近づいた。後ろに置いてある生肉の匂いが気になり鼻を押さえる者がいたのにクロムが気が付き、場所を野菜の並ぶ天使の屋台の前に変える。シルバーが試作したばかりのバゲットサンドを天使たちの前に差し出した。バゲットからはみ出さんばかりに挟まっている肉に、天使たちの顔が歪む。
「食べなくてもいいわよ。ねぇ、お肉の嫌なとこ随分消えたと思わない?」
「意見が欲しいだけだ。もう少し野菜を足した方が食べやすいか?」
クロムも少し離れた場所から呼びかける。その絶妙な距離感に、天使たちの表情が緩んだ。おそるおそるだが勇気を出して、天使のひとりがバゲットサンドに手を伸ばす。血の匂いも生臭さも抑えられて、野菜の瑞々しさも歯応えもしっかり感じることが出来た。
「……臭くない」
「え? あ、ほんとだ」
「どう? 食べれるかは別としても、不快には思わないでしょ?」
「はい! これなら」
天使たちは頷いた。少しずつ切り分けて、自分の意志で口にする者もいたが、今度は誰も吐かなかった。やはり肉は受け付けないと嫌がる者もいたが、それ以上文句は言わなかったし、またその者に対しても、誰も食べる事を強要したりはしなかった。
やがて天使たちがバゲッドサンドを完食した頃。クロムは肉屋の店主に、シルバーは天使たちを呼んで、それぞれに言い聞かせる。
「お前もわかったと思うが、生の肉塊は天使には厳しい。今後は下処理してから来るように」
「わかりました。気を付けます」
「お肉を楽しみにしてる死者がいるのは本当なのよ。天使にも配慮してもらえるから、あんたたちも多少の匂いくらいは我慢なさいな」
「えぇ。これくらいなら許容できます」
天使と肉屋は、バゲットサンドで和解した。握手を交わす両者を見守って、クロムとシルバーはそれぞれの仕事へと戻っていくのだった。
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