第19話祭りの夜の小さな騒動
日も傾きかけた夕方。祭りを終えて店じまいをしようとしていた肉屋で、ほんの小さな争いが起こった。
「どうしたんだ」
煉獄勤務を終えて今は若い小柄な青年の格好をしているケルベスが、まず連絡を受けて飛んできた。
彼はまず肉屋の店主に事情を聞いた。地獄で肉屋を経営している悪魔だ。生前肉が好きだった死者たちが天国でも肉が食べられるようにと、時折天国での出店も行っている。彼はケルベスに、憤慨した様子で訴えかけた。
「ケルベス様! 聞いてください、天使たちが急に、出店を取りやめろって言ってきたんですよ!」
「天使たちが?」
ケルベスは振り返って、今度は遠巻きに様子を見ている天使たちを見た。皆肉屋の店主を睨むように見ている。
「天使は菜食だって知ってるはずですよね?」
「でも祭りには死者たちも悪魔も来るだろ」
「これは天使の祭りですよ」
「でも天使だけの祭りじゃない。出店の規約も全て見たが、種族の規定は無かったはずだ」
天使たちの余所者を見るような厳しい視線と出ていけと言わんばかりの言葉にも、店主は全て言い返した。ケルベスは腕を組んで考える。店主は正しいし、出店はここ数十年毎年していることだ。
「そんな事で喧嘩してんのか」
「そんな事ではありません! こっちは何年も我慢してきたんですから」
「良いじゃねぇか。肉は美味いぞ、なぁルシファー」
「え? えぇ……そうね……」
自信満々に頷くケルベスの横で、ルシファーは狼狽えた。地獄への転居を見据え、二人で肉を食べることが最近は多い。しかし、彼女は正直無理していた。焼いても生臭い血の匂いが取れないような気がして、どうしても好きにはなれないのだ。
「何だ? もしかして無理してたんじゃ……」
「そっ、そんな事ないわよっ! えぇ、全然」
「目が泳いでるぞ」
「違うわ。ほんとよ」
ルシファーは肉の屋台へと向かい、余った串焼きを手にして豪快に齧りついた。嫌な臭いはする。血の味もする。正直苦手だが、彼女は少しもそれを表情には出さなかった。
「ほら。あなたたちも食べてみたら?」
ニッコリ笑顔で串焼きを差し出するルシファーを、天使たちは引き攣った顔で見る。拒否しようとしたが、ケルベスが背後で腕を組んで見ているせいで表立った拒否はできなかった。
「(何で俺たちがこんな事……)」
「(だって、ケルベス様見てるし)」
「(この天使誰だよ)」
「(ルシファーさんじゃね? ほら、婚約したって噂の)」
「(は? マジで!? 何で悪魔のリーダーと。てかどんな出会いだよ)」
「(いや俺に聞かれても……)」
「何だ。食えないのか?」
ケルベスが圧をかける。天使たちはおそるおそる肉を口にした。血の味が広がっているようで気持ちが悪い。吐きそうに口を押さえる天使もいた。
「(やばい、気持ち悪い)」
「(頑張れ。噛まずに飲み込むんだ)」
「(このサイズ丸呑みとかどんな拷問だよ)」
「(何でこんな……
天使たちは小声で励まし合いながら、どうにか肉を飲み込んだ。全員の串から肉が消えたのを確認して、ケルベスは満足そうに頷く。
「な。意外といけるだろ?」
どれだけ無理して食べたかも知らないで無神経なリーダーだ。そんなことを思って天使たちは顔を見合わせた。
悪魔の肉食は実際は雑食に近く、添え物として野菜も食べる事がある。対して天使の肉嫌いはより深刻だ。体質的に食べられないわけではない、とだけ知っているケルベスは、天使の肉に対する拒否反応を完全に甘く見ていたのだった。
「……無理です」
やがて耐えられなくなったのか、天使のひとりが肉を吐き出した。それを合図に次々と、我慢できなくなった天使たちから抗議の声が上がる。
「こんな生臭いもの、正直臭いだけでもう限界です!」
「血の味が広がって食べられたものではありません」
「俺……もう吐きそう……」
「大丈夫ですか!? こんな野蛮なものを無理やり食べさせるなんて、いくらリーダーでも酷いと思います!」
「こんなもの食べて喜んでるなんて、悪魔は野蛮で最低な種族だ!」
「そこまで言うことないだろ」
ケルベスは眉を寄せて言い返したが、天使たちの反発はおさまらない。肉屋の店主も負けじと反論する。
「肉の何がそんなにいけねぇんだよ! 死者は生前肉を食べてるんだぞ! 俺は普段から
「ならせめて、加工してから持ってくればいいでしょう! 生肉の塊を持ち込んで、血が滴る肉をこの場で焼くなんて嫌がらせじゃなかったら何のつもりなんですか。この辺一帯に嫌な臭いが広がって、本当に迷惑なんです! ハーブの香りも消えてしまうし、新鮮な野菜の魅力も損なわれてしまう!」
成程、とケルベスは一歩退いて考えた。どっちの言い分もよくわかる。うまく話し合えば折り合いがつくかと思ったが、彼が口をはさむ隙もなく、両者の言い合いは白熱していた。
「ハーブぅ? あの泥臭い水のことか? あんなのよく飲めるな!」
「何ですって!? あなたたちの飲むコーヒー? あんな真っ黒な陰気臭いものよく飲めますね」
「あの高尚な香りが理解できないとは、天使は馬鹿ばっかりだな」
「粗野で野蛮な悪魔には、ハーブの繊細な香りが理解できないんですよ」
「何だと!?」
「何ですって!?」
睨み合う両者。言っている内容は子供のケンカのようなくだらなさだが、日頃の不満が溜まっていたのか両者とも一歩も引かない。今にも殴り合いに発展しそうな空気に、ケルベスはまず肉屋の店主を取り押さえた。
悪魔はその攻撃的な能力や身体能力の高さから、天使や人間などの他種族を簡単に傷つけることができてしまう。そのため、地獄の法律には、他種族を傷つけてはならないという項目があるのだ。多くの法の中でも、この第十三条は重要視されている。破ったらリーダーといえども魂の地獄行き、つまり死刑だ。
「おい落ち着けって」
「これが落ち着いていられますか! 悪魔が馬鹿にされてるんですよ!?」
「お前だって天使を馬鹿にしてんだろうが」
「言い返してるだけです!」
肉屋の店主は今にも飛び掛かりそうな勢いで天使たちを睨んでいる。この場にいる天使は十数人、対して悪魔は彼とケルベス二人だけだ。しかし物理的な争いに発展したら、おそらくこの肉屋の店主一人でも全ての天使を殺せてしまう。彼は、地獄の中でも力がある方の悪魔だった。
「地獄法十三条を忘れるな。絶対に手を出すなよ」
ケルベスは肉屋の腕を掴みながら、その耳に何度も囁いた。天使から手を出してきたとしても、悪魔はやり返してはならない。たった一発でもあの
「わかってます」
肉屋の店主は頷いた。しかし天使たちの厳しい視線は緩まない。悪魔側もそこまで悪いことをしているとは思っていないので、謝る気もない。ケルベスの思いとは裏腹に、両者は一歩も引かなかった。
「ちょっと皆。もっと落ち着いて話し合いましょうよ」
天使を押さえることができないケルベスに代わり、ルシファーが悪魔を庇うような位置に立った。天使たちがこれ以上近づいてきたら、止めるのは自分の役割だ。そう思って覚悟を決めるルシファーの表情は自然と厳しく固くなり、天使たちには彼女が敵に回ったように見えた。
「やっぱりあなたは悪魔の味方なんですね」
やがて、ひとりの天使ががっかりしたように言ったその一言が、ルシファーに突き刺さった。悪魔に味方した天使、そう見えるのだろうか。そんなつもりはない。自分は天使のままで、悪魔と仲良くするつもりだった。悪魔になりたいわけではないし、なるつもりもない。
「違うわ。私はただ、仲良くすればいいと……」
「じゃあどっち側なんですか?」
「悪魔と結婚するんですもの。やっぱり悪魔側よね」
「だよな。今だって俺たちの方睨んでるし」
「誤解よ。それはだって、悪魔の方の法律が……」
「天使にそんなの関係ないだろ。あんたは悪魔が正しいと思ってんのか?」
天使たちの怒りの矛先は、ルシファーに変わった。天使に詰め寄られ後ずさる彼女を見ていられなくなったケルベスが前に出た時。
城の方から銀髪を靡かせた天使と、反対方向から黒い大きな翼が、同時に飛んでくるのが見えた。
「シルバー様だわ!」
「クロム! 良かった」
待ち望んでいた頼もしい仲間の登場に、ふたりは心から安堵したのだった。
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