第18話祭りの裏側

「今日は天使が少ないから、天国行きの死者はある程度まとめて連れてった方が良さそうだな」


 その頃煉獄では、ケルベスが人手の足りない煉獄を仕切っていた。祭りの日のケルベスは、リーダーらしく威厳ある壮年の男に扮している。日々色んな姿を試してみるが、どこかの王族のようなこの姿が最も命令が通りやすいのだ。彼は、外見が他人に与える影響力というものをよくわかっていた。


「ケルベス様! 天国行きが十名を超えましたが」

「天秤の横に並ばせてくれ。一度に二十名は案内出来るはずだ」

「はいっ!」


 部下の悪魔が天秤前に走る。ケルベスが祭りの日にここにいるのは毎年恒例の事だ。サタンとクロムは祭りの手伝いへ行ってしまうし、天使のリーダー達も皆天国でそれぞれ仕事があるので、空いているリーダーがケルベスとミアしかいないのだ。


 ちなみにミアは今日は地獄を仕切っている。以前祭りの日に天国のあちこちで修羅場を勃発させてサタンに本気で叱られたため、祭りの日は天使との接触を意識的に避けているのだ。あの日のサタンは地獄そのものだったと、後にミアは震え声で証言している。


「ケルベス! こっちは大丈夫よ」


 ふわりとルシファーが飛んできて、白いタイルに降り立った。ケルベスの口角が上がる。婚約者と一緒に仕事できるのだから、煉獄勤務も悪くない。


「祭りは行けなかったが、これはこれで良いな」

「ふふ、そうね。それに、ケルベスはお祭りなんて興味ないでしょ?」

「そんな事ないさ、悪魔だって祭りは楽しい。実際今日だって、天国に行く奴らもたくさんいるだろ」

「そうだったわね。毒の沼地の皆も出かけてるのかしら」

「いや。彼女たちは仕事だと思うが……何か用事があったのか?」

「いいえ。何でもないわ」


 ケルベスの問いに首を振りながら、ルシファーは先日のメルルとのやり取りを思い出していた。しかしケルベスはそのことを知らないし、言うつもりもない。


「私たちが住む予定の豪邸、素敵ねって褒めてくれたのよ」


 彼女たちの態度に嫉妬や嘲笑が多分に含まれている事はルシファーにもわかっていたが、彼女は最大限善意解釈してケルベスに伝えた。その言葉に彼が満足そうに頷くのを見て、ルシファーはほっと息を吐く。


「当然だ。地獄一の豪邸だからな」


 広い玄関、数えきれないほどの部屋、大きなシャワールームに象が寝転がっても余りそうなベッドが置かれた豪華な寝室。キッチンの設備だって、城の厨房じゃないかと思うくらい充実している。悪目立ちしているような気がするとルシファーは少し思っていたが、嬉しそうなケルベスを前に文句を言うようなことは出来ない。自分のためを思ってしてくれていることだ。素直に喜ぶべきだと言い聞かせた。


「足りないものはないか? 何でも揃えてやるぞ」

「ううん、もう充分よ。流石は地獄の指導者リーダーね」

「当然だ。俺は地獄で三番目に金持ちだからな」


 ケルベスは自慢げに言った。一番とは言えない。言うまでもなくサタンには遠く及ばないし、序列二位は間違いなくクロムだ。


 サタンは表立っては言っていないが、三名のリーダーの中で、クロムを特別視している事は明らかだ。しかしケルベスは、それに少しの不満も持っていない。あの仕事中毒な変わり者と争う気など更々無いのだ。傍目から見たら姿がコロコロ変わるケルベスの方が明らかに変わり者なのを、彼は棚に上げてそう思っている。


「でも、安心したよ。ルシファー、地獄でもうまくやっていけるみたいだな」


 ケルベスはルシファーに優しい笑みを向けたが、彼女の心はちくりと痛んだ。本当は、何も上手くなんかいっていない。豪邸は変に目立っているし、白い翼は馬鹿にされる。


(どうしたら、上手くやっていけるんだろう)


 ルシファーは考えた。ケルベスに相談してちゃんと話し合うか、あるいはサタンに仲介してもらうのが地獄に馴染む最も早い方法かもしれないと頭ではわかっているが、出来れば誰の手も借りずに自分の力でどうにかしたい。


 引っ越し先に馴染む、という簡単な事さえも自分の力で出来ない無能だと思われたくないという変なプライドが、ルシファーを追い詰めていた。


「私、クロム様に頼んで、毒の沼関連のお仕事増やしてもらう事にするわ」

「どうしたんだ急に?」

「今まで毒草の注文リスト、クロム様が持って行ってるでしょ? 私が持って行くことにすればクロム様の負担も減るし、私も地獄に少し近づけると思うのよ」

「でも、毒の沼は危険じゃないのか?」

「いいえ。私だって医療棟の天使なんだから毒草を扱った事もあるし、治癒の力もあるんだから平気よ」

「そうか。わかった」

 

 ケルベスは心配そうな表情を向けたが、ルシファーの笑顔を見て問題ないのだと思いあっさり頷いた。


「クロムには俺が話をつけておこう。あいつも仕事が減って助かるだろ」

「ありがとうケルベス。頑張るわね」

 

 ルシファーはケルベスに笑いかけた。天使はいつでも明るく朗らか、しかしそれは、負の感情を表に出さないようにしているだけだ。怒りも悲しみも不安も最初から存在しないかのように常に微笑みを浮かべているのが天使というもの。誰が決めたわけでもないが、天使の多くはそう心がけている。


 ルシファーも例に漏れずそうだったが、ケルベスはそんな天使の矜持など知らない。彼はルシファーの笑顔の奥に一抹の不安が隠されている事には、気がついていなかった。


 

       ◇



「うーん。ないなぁー」


 天国の中心街から五キロほど南に飛んだところに、大きな花畑がある。あらゆる草花が自然のままに咲き乱れているそこの一角にある四つ葉の群生地。そこで、二人の天使が早朝から葉をより分けて幸運のクローバーを探していた。


「そろそろ休憩しようぜ。もう昼だろ」

「でもさ、滅多にないチャンスじゃん。もうちょっと探そうぜ」


 眼鏡の天使が立ち上がって伸びをした。もう何時間も探し続けて腰が痛い。しかしピアスの天使は諦めずに探していた。今日は祭りの日、ほとんどの天使が中心街に集まっているので、四葉の群生地の中で最も広く目立ちやすい花畑でも堂々と虹色を探せるのだ。


「ぜってー今日中に探す!」

「そう言ってからもう何日目だっけか」


 眼鏡の天使がうんざりしたようにピアスの天使を見た。しかし諦められないのは彼も同じだ。家族や友人の目を誤魔化すため、煉獄に行く振りをして地獄に行くのも、彼らはもう限界だった。


「家族がさー。疑ってるんだよ」

「わかる。俺んとこもさ。やっぱ匂いとかつくんだよなー」

「そうなんだよ。バレるのも時間の問題って感じで……でも言えない」

「言えないよな……やっぱり」


 二人は同時に、大きな溜息をついた。いかにも幸せが逃げそうな溜息だが、そうやって吐き出さないといられないほどに、彼らの未来は不安だらけだ。


「もうこれを見つけるしかないんだ」

「ちゃんと願い叶えばいいけど」

「叶わなきゃ困る。絶対に、煉獄勤務に戻るんだ」


 願いをかけて探す。ただの迷信かもしれない話に、彼らは本気だった。


「もう地獄なんか二度と行きたくないよ。あの罪人の叫び声、まだ耳に残ってるみたいだ」

「俺もさ、鼻が変なんだ。嫌なにおいがずっと取れなくて、天国に戻ってきてもなんか気持ち悪い」


 ピアスの天使が片耳を塞ぎ、眼鏡の天使が鼻を塞いだ。しかし二人の目はまだ虹色を探している。二人にとって虹色のクローバーは、地獄という恐ろしい場所から逃れられる唯一の希望だ。

 

「煉獄に戻れますように」

「あと、地獄が爆発しますように」

「あははっ。いいじゃんそれ」

「まじで滅びればいいのにな」


 ほんの軽い気持ちで口にした言葉から始まった、地獄の悪口大会。一度吐き出したら止められないほど多くの不満が、際限なく押し寄せた。


「臭いし暗いし怖いし」

「苦しそうだし痛そうだしな」

「見てらんないよ。悪魔は何であんなの平気なんだ?」

「頭おかしいんだよ。人間を苦しめるところで笑いながら話してるんだぜ」

「もう天使だけでいいじゃん」

「その方が死者だって喜ぶし」

「わかる」


 考えれば考えるほど不思議に思えた。あらゆる世界に存在する嫌なものを煮詰めて放り込んだようなあの場所が、なぜ天国と並ぶほど大きな顔をしているのか。死後の世界の中心は天国だ。天使こそが、煉獄でも主導権を握るべきなのだ。地獄の重要性を理解していない若い天使たちは、そう思った。


「悪魔の言う事なんて聞くことないよ」

「なのに魔王様の一言で、俺らが悪者にされてさ」

「悪いのは俺らじゃなくて殺し屋だってのに」

「騙されるより騙す方が悪いのは常識だろ?」

「俺らただの被害者だし」


 だんだん腹が立って来た。乱暴に草をより分け、虹を探す。いつの間にか彼らの願いにはやり場のない怒りが籠り、地獄と悪魔への不満が全身から溢れていた。手と膝が土で汚れる。擦れて血が滲み足も痺れながら、探す事更に数時間。


「あった……!」


 広い花畑の隅で、他の花に紛れぽつりと咲いたクローバーの中のひとつを、ピアスの天使が摘み取った。


 虹色に光る四つの葉。見ているだけで幸せが感じられる、魔法のような美しさ。しかし現状への不満に満ちた彼らの表情は、幸せとは程遠いものだった。

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