14.【Vitamin,】箱女さん

https://kakuyomu.jp/works/16817330658137844300


あらすじ(作品ページより引用)

生得的、いわば本能的に私たちは恋をしている。



☆☆☆



第14弾です。

箱女さん、ご参加ありがとうございます。

がっつりネタバレ含みますのでご注意ください。

本当にご注意ください。後戻りできませんので。

何のことを言っているかは、最後に分かります。






応援欄に感想コメント書いてありまして、今更、私が書かなくてもいいんじゃないか?と思うぐらい丁寧で素敵な感想がありました 笑


ありましたが、せっかくなので書いていきたいと思います。


百合、ガールズラブのタグ付きということで、読む前からあんまり気乗りしなかったんですが――個人的な好みとして同性愛の話って食指が動かないんです――、まあ短編だし頑張るかぁぐらいの入り方でした。


読み進めると、これって百合なのかな?という感じで、読み終わると、これは百合だなあ!という感じでした。


確かに、異性愛とか、ボーイズラブでは難しい距離感の表現かなと思います。

性愛感が前に出ると、台無しになる感じがします。

ショタになると倒錯感が強すぎます。


この距離感について掘り下げてみましょう。

みましょうと言いながら掘り下がるのか分かりませんが。


まだ間に合いますよ。

戻るなら今です。



私小説なので本人の内省や自己分析があるんですが、その内容と、行動から見える客観的な評価との微妙なズレ方に、『足りない物を探している感じ』が滲んでいます。


主人公の学校の友達とは、仲はいいけれどベッタリではなく、パーソナルスペースの濃い所には踏み込まない、踏み込んで来ない、付かず離れずのこの距離感を好ましく思っています。


同時にお姉さんとも、『どうでもいいことだけを話すこと。』という不文律のもとに、その内面には踏み込まないような関係を作っています。


また遊ぶ回数、会う回数も週に一回という制約を作っています。

これらは疲れないように飽きないようにと、心地よい距離感が壊れないように努めているわけですが、これがつまり近づきすぎて関係性が壊れることの恐怖の裏返しであり、敢えて自制的に制約を設けていることが放っておけば近づいてしまうことの示唆になっているのではないと思います。


『待て』をしている犬のような、というとがっかりな感じになりますが、状態で、週に一回を心待ちにし、その一回の充足を待ちわびているというこの「じれったさ」というのがとてもうまく表現されているなと読みました。


最後、お姉さんとの心理的な距離感を表していた裏側から窓枠越しにというルールを破って、部屋の中に入るというエンディングがつまり、友人よりももう一つ近い距離、友情より距離感の誓い愛情、に入ったということで、これがつまり百合の暗喩になるのかな、と言うのが感想です。


さて、ここからが分析です。


さて、これは私の『解釈』です。

実はこの『解釈』が与えられる表現って言うのが、文学的ってことだと思います。


以前も別の場所で引用させて頂いたんですが、文芸とライトノベルの文体の違いについて書いてる創作論がありまして、なるほどなあと思ったんです↓

https://kakuyomu.jp/works/16817330662297516572

勝手に引用です。ごめんなさい。


この考え方が正解か不正解かって部分は当然、議論の余地はあると思うんですが、――先ずもって文芸とライトノベルの分類がなんだよ?っていう前提から詰めないといけないとは思うんです。


思うんですが、説得力があったのでこのまま採用してます 笑


つまり、文芸っていうのは『白抜き』でライトノベルっていうのは『黒塗り』だよって解釈ですね。

分かりにくいですね。


サツマイモ買って来ましょう。美味しい季節になってきました。


焼いても蒸かしても美味しいんですが、今回は「芋版」作ります。

作り終わったら食べて大丈夫です。


なんでもいいんですが、「ありがとう」って彫ることにしましょう。


芋に「ありがとう」って文字を彫るのが『黒塗り』です。

「ありがとう」の文字の周りの芋を彫り削って、ありがとうの文字を残すのが『白抜き』です。


言いたいことを直接言葉にしちゃうのがライトノベル的な表現で、言いたいことを、その周りの輪郭を残すことで伝えようとするのが文芸的な表現です。

「愛しているよ」って言うとライトノベルです。

「今夜は月が綺麗ですね」って言うと文芸ですよってことです。


こう書くと回りくどい言い方するのが文芸だよね、イライラするわーって解釈しちゃう方がいるんですけど、そうじゃないんです。

「今夜は月が綺麗ですね」が「愛してる」に翻訳できるってなんだよ!って突っ込みたくなるんですが、これは順番が逆です。


「愛」英語でいう所の「Love」に該当する日本語が無かったんです。

愛って恋愛ではなく性愛でしたから。だから「愛してる」って当時使うと「盛ってんな!」ってなります。


なので、無いものを伝えないといけないな……さあ、どうしよう?

「月が綺麗ですね」って言ったら雰囲気が伝わるんじゃないかな?っていう。


この言い表せない概念を言葉で言い表そうとして作られるのが「文芸」です。

「蹴りたい背中」って作品がありました。

「背中を見ると蹴りたくなる」によって伝えたいことがあったんだよってことです。


話が戻るんですが、ここで先の感想に帰るわけです。

私は今作が百合であることに対して解釈を与えました。


恋愛とか好きだとかどうだとか、感情についてはほとんど書かれておらず、叙事によってこのぼんやりとした感情の輪郭が見える作品、それが今作です。


「うすぼんやりしたイメージだけをずっと持っていたのですが、公式の百合企画をきっかけに形を手に入れたものです。」ってこれ、感想に対する返事として作者さんが書かれてるんです。

見事に要約された表現だなあ、と、つくづく私が書く必要あったんだろうか?と思う次第です 笑


「解釈を楽しむ」っていう作品です、今作は。この「うすぼんやりしたイメージ」ってなんなんだろう?こういうことかな?いや、こうかもしれない?こういう風にも読めるなって言うのが、今作です。


そして今から読むぞって方は、もう後戻りできません。

私の解釈が入りましたから。

否定にしろ、肯定にしろ、ニュートラルな解釈が難しくなってしまいました。


長編だと、そこまででもないんです。

解読に時間が掛かりますし、解釈を加える場所もたくさんありますので。


でも短編だと難しいです。

一度ついたイメージが抜けないままに読み終わりますから。


書いていいのかな?と思ったんです。エンディングはぼやかすかな、とか。

それでも書いたのは、解釈を楽しむ作品だと思った以上、解釈を書かないと感想として成立しないからです。


しつこく注意は入れていたので、許してください。


勿体ないなと思ったのは、サブタイトルです。

「第一話」って入ってまして、たぶん、デフォルトのまま投稿されたんだと思うんですが、変えられた方が印象が良くなるんじゃないかと思いました。

続きを想起させるために敢えてかもしれませんが。


さて、なるほど今から読むぞって方は、一旦、私がここに書いたことはすっかり忘れて、ぜひ一度、ご一読を。


https://kakuyomu.jp/works/16817330658137844300


改めまして、箱女さん、ありがとうございました。


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