第2話 夏衣に夢中だ「――甲斐視点――」

 もうすぐだ。

 京都へ修学旅行に行く日が近づいてきた、――1学期のある朝。


 爽やかな夏服に制服を衣替えしたあたりから、一日のうちに涼しい時間など少しも訪れなくなってる。

 一気に湿気を含んだ蒸し暑さが地上を支配しだしていった。


 キンキンに冷やした冷た〜いサイダーやアイスが、よけいに美味い季節になってきたよな?


 今年の初夏も梅雨も暑さが朝からやばやばだぜ。



 朝早くに玄関でチャイムが鳴る。

 こんな時間にうちに来んのはきっと……。

 家の引き戸を開けると、四六時中考えてる顔がいて、ドキリッとする。


 やっぱそうだと思った。

 ――夏衣だ!

 ……会えると、マジ嬉しい。

 毎日会ってんのに、嬉しくって。

 俺の胸に甘い喜びが広がる。


「甲斐、おはよ」

「おはよっ! 夏衣っ!」


 予感は的中――。

 

 夏衣の顔を見ると、俺の心はパアッと明るくなって花が咲いたようになる。

 一気に頭の中は満開の花で埋め尽くされたお花畑〜。

 憂いも悩みも晴れたように、きらびやかで美しい感情に様変わりする。


「えっと、これっ! 朝ご飯にと思って、春霞姉と私とでおにぎりをみんなの分もたくさん握ってきたから。……あのね、甲斐の好きな甘めのだし巻き卵も……」

「うわおっ、マジで? やったあっ、俺の好物の卵焼きにおにぎり!? 夏衣と春霞姉の手作りだなんてめっちゃ最高〜! ひゅーっ、テンション上がるぜ。さあ、そんなとこ突っ立ってねえで遠慮せずに上がった上がった」

「お邪魔します」

「夏衣や春霞姉なら、自分の家みたいに勝手にうちに上がってきても良いのに」

「そういうわけにはいかないよ。親しき仲にも礼儀ありっていうでしょ」

「べっつにい、俺はお前になら何時でもどこでもベタベタされようが、礼儀なんか欠いててもいっこうに構わないけどなあ」

「……あのねぇ、甲斐は良くっても私は嫌なの」


 俺は夏衣から、おかずの載った大皿とおにぎりが入ってるらしい風呂敷包みを預かる。

 家に上がるよう促したら、夏衣は慣れた調子で靴を脱いだ。夏衣は通学カバンを玄関の脇に置く。


「今日は朝から最高な一日になってるぜ! 夏衣の作った飯が食えるとは……」

「大袈裟だなあ、甲斐は」

「なに言ってんだよ。嬉しいに決まってる。兄貴の飯も美味いけど、やっぱさあ好きな子の作った愛情たっぷり手作りご飯だよなあ」

「……えっ、えっと。……甲斐への愛情が入ってるかは分からないけど。美味しくなあれとは思いながら握りました。ってか、甲斐。いつでもおにぎりぐらい作るから! ……だからあのね甲斐、大声であんまり褒められると恥ずかしいから、やめて」

「なんで? 本音だもん。それよか今朝も夏衣ってばさ……」

「なっ、なに? そんなにまじまじとガン見しないでくれる?」

「いやあの……その。……輝いてんな〜、お前」

「だあっ!! 恥ずかしいのよっ! そういうセリフは好きな彼女が出来てから彼女だけに言いなさい」


 ――だって。

 俺はお前のことが本気で好きだし。


 だから、俺は。

 今も、この瞬間だって。

 お前が好きだから。

 気づけば見惚れてる。

 ――夏衣の姿に見惚れる。

 冬服だって夏服だって気品が漂うさまで着こなして、目に眩しい。


 修学旅行……、すっげえ楽しみだなあ。


 俺は夏衣と同じクラスの同じ班なので、ウキウキ度もマックスだ。

 一緒に観光地をまわれるとか、やばい、最高か!



 夏衣に感じるのは守ってやりたい庇護欲を掻き立てられるようなかよわいとか儚いお嬢様の可憐さではないが、めちゃくちゃ可愛いっ!


 誰にも分からないぐらいのささやかな変化だが、夏衣がたまに恥ずかしそうにポッと照れたりすると、まじで堪らんっ!

 抱きしめてぇっとか思い、俺の心が騒ぎ出す。

 こんな夏衣に気づいてんのは俺だけ? とか優越感がまたぐっときちゃうぜ。

 かっこよくって凛っとして、隙も失態も見せないようにしている夏衣が、ちょっと緩んだ顔を見せる――。

 それに気づくのは小さな頃からそばにいる俺と夏衣の関係だから。きっと幼なじみの特権だ。


 どきんっ――!

 ……どきどきどき、きゅんっ。


 夏衣を見てると大好きって気持ちが全身を駆け抜けて甘く広がり、なのに切なすぎて息が苦しくなる。

 どうしようもない恋の動悸がする。


 俺と夏衣が廊下で喋ってっと、ガラガラっと引き戸が開いて、春霞姉が入って来る。


「おはよっ! なになに〜? 甲斐と夏衣はそんなとこで話し込んでるの? 内緒ばなしー?」

「春霞姉、おはよう。内緒ばなしとちげえし」


 二人が来たのに気づいて起きた雪那が、珍しく自分から一階に降りてくる。

 雪那は目をこすってから、ニカアッと笑う。

 うーん、弟の可愛さはまた夏衣とは違った癒し系だな。


「おはよ〜! なついちゃあん、はるかちゃあん。さびしかったよぉ」

「おはっ、雪那〜」

「ふふっ、おはよう、雪那くん。雪那くんは甘えん坊だなあ。私たちとはたったひと晩離れて寝ただけなのに」

「雪那もなついちゃんとはるかちゃんといっしょにねたーい。今日はうちにとまりに来てよ〜。みんなでいっしょのおふとんでねようよ」

「雪那から毎日誘われちゃあ、いい加減泊まりに来ようか? 夏衣? 昔はみんなでよくお堂に泊まったりしたもんね」

「……大丈夫かな?」

「なにが? やだあ、お年頃になったから照れてるの? それとも甲斐が熱烈に愛の告白とかしてくるからウザい?」

「ウザいってひでえな、春霞姉」

「あははは! 悪い悪〜い」

「私はあまり『ウザい』とかいう言葉は好きじゃない。まあ、甲斐は『騒がしい?』というのが正解かな」

「夏衣ったらあんたのことが騒がしいだって! 甲斐っ! あんた可哀想〜! 気の毒〜っ!」


 春霞姉は面白がって俺の背中を母ちゃんがやるみたいに散々笑いながらぶっ叩いてから、ひゃひゃひゃっと床を文字通り笑い転げてました。

 なんてむかつく。


「じゃあ、じゃあねぇ〜! 雪那と甲斐兄ちゃんがなついちゃんとはるかちゃんちにとまるのは?」


 そ、それもまずくないか?

 いずれにしてもひとつ屋根の下に夏衣が……。

 雪那の無邪気さが羨ましすぎるぞ。


「私は良いけど? どちらも良いねえ、雪那。ねえねえ、夏衣はどうする?」

「春霞姉、まあこちらの皆さんが良ければ良いけど」


 理性が保てるかな? 俺。

 夏衣に手を出したくなったりしないか?

 いや、堪えますけども、フルに煩悩を追い出し理性をガッチリ守りましょう。

 夏衣がうちにか……。泊まりに来てくれんならちょー嬉しいっ!

 夏衣んちに行けんのも嬉しい!

 一緒に受験勉強とかしちゃったりなんかしてさ。

 盛り上がったらそのまま、こ、こ、告白とかしようかな!

 何度めかの……。

 夏衣には、俺の想いを冗談だと思って聞き流すのは、もう終わりにしてもらおう。


 いい加減、しっかり俺の熱い気持ちを夏衣に伝えて、正式な俺の彼女になってもらいたい。


「放課後、甲斐も道場行く?」

「行く行く。習慣だからな〜。週に何回かは行かないとなまるし、なんか体がすっきりしない」

「それ、分かる、私も同じ」

「あらあらあらら? 共感は恋人同士の第一歩かしら?」

「からかわないでよ、春霞姉」

「俺もそう思うけど?」

「甲斐はいっつも軽くそういうこと言わない!」

「軽くねえし。夏衣となら、些細な気持ちも同じだと嬉しいもん」

「……もうっ」


 ふはぁっ、夏衣の照れながら怒った顔、……可愛い。


 そうそう、夏衣のじいちゃんちは、ちょっと離れた場所で剣技武術道場をやっているんだ。

 離れてるっつっても学区内ギリギリだから、自転車で余裕で行ける。

 天野道場は剣や柔道や空手、護身術などを教える。

 夏衣のじいちゃんとばあちゃんはその道を極めた達人で、数々の大会を勝ち抜き総ナメにしたんだそう。

 オリンピックにも出たとか出ないとかで、わりと有名らしい。

 幼い頃から、俺たち兄弟も夜叉の従兄弟も天野道場に通っている。

 俺はあれこれやったけど、剣道と空手を特に集中して修業することに決め、結構真剣に励む。

 とくに剣の道は合ってる気がした。


 夏衣の姉ちゃんの春霞ちゃんに俺の兄ちゃんたちも空手の全国大会に出たりで、ちなみに強化選手に選ばれている。

 総体や学校対抗戦の常勝者だ。


 だけど、俺も夏衣も、部活は剣道や空手も選ばなかった。

 俺はバスケ部で汗を流していて、夏衣に至ってはあちこちの部活の助っ人ばかりしてる帰宅部である。


 なんで、だろうな〜?

 ははは、まあなんとなく? だ!


 俺も夏衣もまあそれなりに強いし、周りに空手部入部とかすすめられたけど。

 俺は空手や剣道の世間への成績なんかはそこそこで良くってさ。


 なんだろ?

 そう、とてつもなく大事なことがあって。

 忘れてるのか思い出せないけど、そのためには身を空けて置いたほうが良い気がしてた。

 でもさ、鍛えるのは好きだし、鍛えていかなくっちゃさ、夏衣をいざという時に守れねーじゃねーか。

 一日サボれば、すぐに体はなまり技のキレがなくなる。

 ……そもそも夏衣は、俺なんかに守られるほど弱くはないが。

 いや、漠然としてっけど。

 前からずっと頭のなかで、警告音が鳴り響いている。



    ✵✵✵



【――時は満ちたり。目醒めはすぐそこに】


 俺は京都に修学旅行に行く二日前に、夢のなかで誰かにそう囁かれていた。

 

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