【――甲斐視点――】

第1話 幼なじみ「――甲斐視点――」

 俺はよく夢を見た。


 生々しい夢だった。


 小さな頃から繰り返し見るその夢は、何度も何度もあいつを呼んでいる。


 ありありと感触まで伝わる。

 握る刀剣――、拳に込めた力。

 あいつの肩、頬、撫でた髪や頭の輪郭。

 幾度か繋いだ手の指は、ハッとするほど女らしく柔らかく細かった。


 ――これは本当に夢、なのか?

 いつも疑念が残る。

 

 湧き上がる感情も痛々しく切ない。


「――、愛している」


 戦場いくさばでだって日常でだって、あいつの姿を探して、目で追う。


 互いに守るべく背後を重ね合わせて剣を振るい、困難な多勢の敵に立ち向かったこともあった。


「俺はあなたを愛している」


 夢の中の俺はあいつを「あなた」や「君」や「お前」と囁く。

 歳を重ねるたび、立場が変わるたび、そして二人の距離感が変わっていくから、掛ける言葉も変わったようだ。


 あなたの名前を呼び、そう呟く。


「帝釈天、あなたを愛している」

「だめだ、阿修羅。私はあなたを愛せない」


 決まって俺は振られるんだ。


 彼女は俺の大好きな「夏衣」の顔をした女性の神で名を「帝釈天」といった。

 帝釈天は、俺をただ一度きりだけだが好きだと告げてくれたくせに、恋人にはなれないといった。

 理由があった。

 俺が問い詰めると観念した帝釈天は苦しげに秘密を吐いた。


 それは俺に衝撃を与えたが、夢の中の俺は諦めない。


「私はもうすぐ死ぬ運命だからだよ、阿修羅王」


 俺が荒々しく掻き抱くと、腕の中で帝釈天は静かに泣いた。嗚咽を堪えた帝釈天がいじらしくっていっそう愛しかった。


「俺があなたを死なせない。帝釈天を死なせるものか」


 運命の恋があるならば、俺はあいつに何度も恋するだろう。


 幾度めぐりあっても、きっと。


 俺は君に恋をする。


 もう落ちていたんだ――

 とっくのとうに、気づけば恋してる。

 君の視線に絡め取られた胸が疼く苦しい甘く啼く――

 ――君のすべてが好きだ愛しい。

 笑顔も泣き顔もすべて俺のだ、俺だけのものだ。

 誰にも渡さない。

 甘い恋の罠か毒か、もう逃げられやしない。


 甘く苦しく切ないその激情にはのまれるだけだ――。


 抗えない。


 あなたを好きだ。

 大好きだ。


 愛している。


 あなた以外、俺にはいない。

 どこにも、どこにもいない。


 あなたしかいない。


 帝釈天、俺はあなたしか愛さない、あなたしか愛せない。


 なにがあろうが、どんな運命が二人をのみ込もうが、俺にはあなただけだよ、……帝釈天。


 帝釈天……、夏衣、お前が帝釈天だろ?



    ✵✵✵



 朝、目を覚ますと、涙が伝っているのを拭う。

 あの夢を見たあとは決まってこれだ。

 切なさに泣いても、彼女に夢のなかでも会えた喜びは胸に甘く広がっている。


甲斐かい〜! 起きたか〜?」


 朝っぱらからひときわ元気な兄貴の声が階下からして、俺は頭がシャキッとする。

 となりで眠る弟の雪那せつなをゆすって起こしてみたが、寝ぼけて起きないので抱き上げた。

 まだ、幼稚園の年長さんの雪那だが、ずっしりと重い。

 寝てる子供は、なぜこんなに重いんだろう?


「雪那〜、起きろ〜。もう兄ちゃんたち、学校だかんな」

「ううーん、兄ちゃあん。ねえ、なついちゃんにはるかちゃんは〜? どこにいるの?」

「なんで夏衣がうちにいるんだよ。夏衣と春霞ちゃんはとなりのおうちだろ?」

「ばんごはん、いっしょに食べたもん」

「はいはい、そうだな〜」


 まだ寝ぼけてんのか。

 でもまあ、仕方ない。


 夏衣と春霞ちゃんはとなりの家に住む幼なじみだ。

 うちとは親同士が同じ大学で考古学教授として働いている。

 遺跡を掘ったりしてて、なんでも昔っからの友達だそう。


 ああ、俺は降坂甲斐こうさかかい

 中学三年生だ。


 家は寺院だが広い建物を活かして、民宿と下宿を兼ねた宿泊施設をやっている。


 経営は僧侶のじいちゃんとばあちゃんと従兄弟いとこ夜叉家やしゃけが主にしてる。

 誰か手があけば掃除や洗濯に買い出し食事作りを手伝う。

 俺もちょいちょい手伝っている。

 要は親戚一同で一致団結の仲良し家族経営ってやつなんかな〜。


 俺と夏衣の家は両親が仕事で忙しいから、夏衣が姉妹で揃ってうちの家に来て一緒にご飯を食べることもしばしばだ。


 うちではよくある光景の大家族てきな家族団らん。

 その中にあいつが、俺の大好きな夏衣がいるのが嬉しい。


 ――俺は、幼なじみの天野夏衣に恋してる。

 いつからだろう?


 控えめに言ったって、俺は夏衣のことが好きだ。「大好き!!」だ。


 夏衣は俺がいくら距離を縮めようとしてもてんでつれない態度だし、ツンツンツンツンしてる。

 しかも、男子にも女子にも人気があってモテるから気が気じゃない。


「おはよう! 甲斐、雪那くん」

「……おはよう」


 眩しい、夏衣の笑顔。


「今朝もご飯食べに来たんだ?」

「迷惑だった? 悠天兄ゆうまにいたちにお誘い頂いたので」

「なによ、いっちょ前に嫌味? 甲斐ったら美しいお姉様の私と可愛ぅいぃ夏衣に会えたら嬉しいくせに〜」

「嫌味じゃないし。……嬉しいは、嬉しいっす……」


 俺は春霞ちゃんの言葉に素直になってみるが、夏衣の反応は薄い。

 まあ、いつものことだから「はいはい」とぐらいしか思っていないんだろう。


 夏衣がさっき口にした『悠天兄ゆうまにい』は、俺の従兄弟いとこだ。


 俺の家系はどうやら男ばっかりで。

 俺たち降坂の四人兄弟と従兄弟んちの夜叉兄弟二人で、六人も男子がダイニングキッチンにいる。

 むさい。

 が、そこに見目麗しいおとなりの幼なじみの夏衣と春霞ちゃんの二人が加わって、一気に華やいでいる。


 雪那がしっかり目覚めたのか体の上半身を起こして、俺の腕の中でジタバタしだした。


「ああ〜っ! よかったぁ。やっぱりいたっ! なついちゃん、はるかちゃん。どうしてこっちの雪那のおうちでねないの? もーいっしょにすんじゃおうよ」


 雪那を下に降ろしてやると、だだだっと勢いよく夏衣と春霞姉に順番に抱きついた。


「それは良いねっ! 住んじゃおっかな〜! 雪那とずーっと一緒にいられるもん。ねっ、夏衣?」

「えっ? ……春霞姉、それはちょっと……」

「なんでよ〜、夏衣。いちいち帰るのも面倒めんどいじゃない?」

「じゃあじゃあ! すめないなら、雪那ははるかちゃんとなついちゃんにおうちにおとまりに来てほしいなあ。雪那のへやでみんなでねんねしよっ? ねー、いいでしょう?」


 昔っからこうしてみんなでいるのが、自然だった。弟の雪那も姉弟同然に天野姉妹に懐いているし。


 しっかしおい、雪那。夏衣の横の椅子に当然のように座ろうとしやがって。

 ……正直、嫉妬? 雪那の素直に甘える性格が羨ましい、のかも。

 だーっ、ほんと! 俺ってどうしようもないぐらい夏衣のこと好きすぎんじゃん。

 だが、俺は雪那の兄ちゃんだから譲ることにする。

 中学生なんだし、これぐらい我慢しねえとな。

 小さな子供相手にヤキモチとかみっともねえし。

 夏衣を巡って雪那と恋敵とかありえん。……警戒すべき恋敵は別にいるんだしさ。

 雪那は無邪気に笑いながら、夏衣と春霞ちゃんのあいだを陣取る。

 まあ、いつものお約束なので、二人は雪那の分の席を空けていたというわけか。


 ……俺は夏衣の真向かいに座る。

 これもいつもの定位置だ。

 いいじゃん、好きなんだもん。

 考えてみれば夏衣の前のほうが、こいつの顔が見られて嬉しいかもしんない。

 好きなやつの横と前とどっちがお得なんだろう?


 あらためて、夏衣の顔を見る。

 姿を見る。

 夏衣に会って夏衣を見つめると甘酸っぱい気持ちが広がって、胸が苦しい。

 だけど、見ていたい。


 夏衣。

 ……佇まいは凛としていて、力強い意志を称えた瞳に釘付けになる。

 こいつは華やかで美しい花のようだと、俺は思う。

 ピンと張った孤高な雰囲気に呑まれる。

 そうかと言って人を拒絶するわけじゃない。

 むしろ優しくって、弱い者を助ける正義感にあふれている。

 どこかの女性ばかりの歌劇団の王子様役のように、男より男らしくかっこよくすらある。

 そうだ、きっと、男子より女子に親切だ。夏衣の振る舞いは紳士的でハンサムガールで優しく、女子全般を敬っている。

 夏衣にしてみれば、女子はかよわく可愛く愛でるべき美しさを兼ね備えた天使だという。

 男子は自分でなんとかしろといったところか。まあ、困っている人間がいれば男女の差別なく夏衣は助けている。

 生徒会の会長に推薦されるだけあるよな。

 ただし、夏衣は部活の助っ人が忙しく、自ら降格して副会長になった。


 ――ただ、恋愛ごとにはいっさい手を出さない。


 興味がないのか、のらりくらりとかわしている。


 夏衣がどの学年の男子からも告白されるのはざらで、ベタだが下駄箱や机の上や引き出しまでラブレターがほぼ毎日入っているのを俺は知っている。

 ――見つけたら、破り捨ててやりてえ。

 なかには女子と分かるラブレターもあるから、始末が悪いが。

 目を光らせて告白なんて未然に防ぎたくなる。


 だってあまりにも丁重に断り、時間を割いてラブレターに感謝と付き合えない謝罪文の返事を丁寧にあいつが書いているからだ。

 告白した奴らは、夏衣からの断りの手紙すらありがたがって崇めている。


「はあ〜っ! 夏衣さまの美しい直筆の字は尊いし、誠実な文面も素敵っ!」

「断られても嬉しいなんて……」


 最近では、泣いてさ夏衣からの手紙を拝んでる奴までいる始末だ。


 いつしか、夏衣から手紙をもらうと学力がアップするだの、行きたい高校に行けるとか、部活で成績が伸びるとかまことしやかに噂されるようになった。


 ――まったく、変な付加価値がついたもんだぜ。


 俺はなるべく夏衣に負担させたくないから、幼なじみとして番犬がわりになってる。


「ただでさえ、受験生だし、生徒会だとか部活の助っ人で忙しいんだから、夏衣のことを想うなら遠慮しろっ!」


 夏衣の近くで俺は護衛気分でいた。


 そしたら、学校内に暗黙の定義みたいに広がった。


『我が校の光り輝く麗しの女神の天野夏衣さまには、残念ながらこうるさい兄がいるらしい』


 俺はカレシとして間違われることはないが、なぜか親戚の兄ちゃんか年子の訳アリの兄妹じゃないかだとか勘違いされるようになった。


 だ――っ! どれも違うっ!


 幼なじみで、片想いちゅうなだけだ。


 こんな不憫な俺は、いつか必ず夏衣のカレシにおさまる予定です!

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