第2話

 空港についてまず驚いたのは、そこに総理大臣がいたことだ。恥ずかしながら政治にはあまり関心がないけれど、いざこうして目の前にいると緊張はする。とどのつまり民主政治にも王のような人はいるもので、共和政などではピューリタン革命のクロムウェルがその代表例だったのだろうと感じていた。彼は王政から共和政へと変えたものの、自身が護国卿として君臨した。結果として王政復古の暁には、ピューリタンは畏敬の存在から、軽蔑される存在となってしまったという。

「藍川さん、内閣としても貴方を支援したいと考えております」

 そんな映画でよくあるウソのような言葉を、まさか僕が受けることになろうとは。高そうなメガネには埃すら付いていない首相ではあるが、表情からは別段、僕へ過度な期待はしていないみたいだ。

 車内で聞いたおおよその内容を振り返るに、僕はこれから宇宙人とチェスをするらしい。総理大臣のお出ましが単なる教授のサプライズではないことを今更ながら理解させられる。しかしどうして僕なのだろう。

 薔薇大チェスクラブには入っている。でもそれは趣味で始めたものの延長に過ぎない。これまで大臣はおろか、テレビや新聞、まくら記事にだって取り上げられたことのない人物が、どうしてチャーター便で、なんの用意もなく、『招聘しょうへい』などという尊敬的表現でもって、現地へといざなわれる事となるのだろう。

 ゼミの教授がそのままクラブの顧問だったら話は百歩譲ってまだわかる。でも、残念ながら公式サークルではないので、そんなお偉い教授先生は参加してはくれていない。

「これが藍川さんのパスです」といって秘書のような中年男性から渡された首掛けタイプの名札のようなものには、国連のマークと日本の国旗、そして僕の自動車免許と同じ写真に、件の『地球連合騎士団』『専属チェスプレイヤー』という文字が日本語と英語で書かれていた。

「それと、彼女は佐々木原有紀ゆき君。内閣としても信用のおける、マルチリンガルな女性だ」

「佐々木原です。よろしくお願いします」と淡々と挨拶するその人は、僕より少し上かもしかすると同い年くらいの、『内閣としても』というお気に入りの枕詞がつけられるにしてはかなり若い、スーツの似合う美人。

「彼女が君の案内役兼秘書として同行します。くれぐれも、日本国の信用を失墜させない言動を期待しています」

 内閣として、か。気づけば説明してくれていた中年官僚くらいで、首相はどこかへと消えていた。記者に見つかってはいけないことでもあるのだろうか、そう言えば厳重に周囲も警護されて、民間の人々はごく少数。

 随分責任重大な試合となったものだ。深夜だというのに、佐々木原さんはハーフアップの黒髪も乱れていないし、背筋もまっすぐ伸びている。メイクも控えめだが申し分なく、少なくともお墨付きは間違いなさそうだ。

「藍川さんは機内でこれらの譜面の分析を行ってください」

 そういって手渡されたのは『SECRET』と記載されたチェスの棋譜。先手はイタリアのとある選手のようだが、それよりも後手のの名前欄は空白で、ただ国籍のみ『YanDeLorean』と書かれていた。

「既に戦争は始まっています」

 そしてその様子は、鮮やかなる相手の勝利で押されている。

「藍川さんの試合は明後日の現地時刻。彼らの分析によると、地球人が活発になり始める時間であるとして、この開催時間を9時と、午後14時を推薦してきたようですね」

「あの……もし僕が負けたら」

「外交官同士の話し合いにより、チェスでの戦闘は合計12回として設定されています。全て同じ選手でも構わず、あるいは現状のように各試合を別の者が実施するのっでも構いません。一日に二回。藍川さんは6人目になっておりますから、明後日の午後。お答えします。今後、地球連合騎士団の敗戦が続く場合、藍川さんも負けると、地球が負けたということになるという訳です。その結果、地球の自治権は人類から離れ、全ての領土が彼らの保護国として即時編入を強いられます」

 この負担はきっと離陸のGなどではないのだと思う。

「AIの判定によると、ヤンデロリアンの第一回目の試合ではすべてが最良の手であり、反対にエドアルド選手は時には悪手すら」

 手渡されたプロフィールには、イタリア大会や国際大会での華やかな戦歴がある。

「繰り返しますが、これは戦争なんです」

 手元の資料をみていたが、ふと顔をみると、まっすぐ彼女はこちらへ訴えかけようとしていた。ドラマなどでは本音は小さな声で、怒りは大声で発せられるものだが、リアルな状況では、そのどちらでもない、半ば諦めも混じった、光の加減ではなんだか泣きそうな表情で出される言葉が、ファーストクラスでぎりぎり聞こえるくらいの声色で届くのだ。

「いかに優れたでも、盤上の流れをひとつ誤れば、そこでチェックメイト」

 ふだんは比喩で使われているようなそれらの言葉が、今やそのままの意味で僕らの将来を変えようとしている。言うなればAIと戦い、そして勝てと命じられている。そんな無理難題を、やる気にさせるには、総理大臣自らの激励だけでは到底足りない試練だということが、まさしく戦争という行為を意味している。

「サイズに問題があればおっしゃってください」

 カーテンの向こう側に女性が居るからといって、別にもう恥ずかしいような年齢じゃない。いわゆるハイカラーの付け方が分からないのは、何百年も前の服装なので仕方がない。でもなんだか、ネクタイを結んでもらうとなると、少し緊張したのは、きっと色々な重要な場面に行ったであろう彼女からすればバレバレだったのだと思う。優しく肩を叩いてくれたのが、僕のような学生には効果的だった。

「私としては勝ってもらいたいです」

「頑張ります」

「『ソビエト』を装っての参加はしたくない、と出場が危ぶまれている国家がありますので。私たちはそういったとも戦わないといけないんです」


 幼い頃から同じ地方から出たことが無い僕は、当然、ジュネーブと言われてもどういったところか全くわからない。

 季節は秋のようで、スーツにベストという服装でまったく問題がない。現地では帽子を被った、20世紀風の男性がよく目につき、洋画の世界だった。電子機器の使用は限られた場所のみ許可されており、それ以外はノスタルジックな雰囲気を楽しめという。これが最後の地球の光景かもしれないと思うと、単なるレトロ趣味ではなく、生まれてもいないはずの時代なのにとても懐かしく感じられるものだ。

 国連議長に挨拶を交わした僕は、さっそく用意されたホテルでチェスの研究を始めた。間もなく第二試合も終わりそうだ。結果は言うまでもない。

 どうして名だたるプレイヤーがこうも失敗するのだろう。

「いかに優れた軍人でも……か」

 地球連合騎士団は、なるほど僕を除けば選りすぐりの騎士の集まり。しかし軍というのは、騎士だけでは構成されない。そこには社会がまるまる投じられている。

 僕の手元に運び込まれた資料には概ね三種類存在する。国際チェス協会、国連シンクタンク、地球連合騎士団参謀本部の三系統からなる分析で、いずれもヤンデロリアンの優勢を示しつつも、それぞれ若干違う戦略議論がなされている。

 それらの知識が中途半端に、まるで徹夜の試験勉強のように詰め込まれたせいで、きっと彼らは指揮官として、盤上をコントロールできなかったのだろう。

 聞く話によると、ヤンデロリアンの科学力は、地球では手も届かないものらしい。今後の発展モデルまで計算しているというが、どういう法則を用いたのかは僕にはわからない。ただ、果てしない未来の姿として、地球もいずれこの経験をなぞるように、銀河系の外惑星へと侵略するのだろうと、結局はSFのような考えにたどりついてしまう。

 それにしても、ここのコーヒーはなかなかおいしい。さすがは国賓以上の扱いというべきか。

 窓から見えるどの景色も、カレンダーとして発行されていてもおかしくない。

 けれども、ヤンデロリアンにとっては、やや窒素の量が多いらしく、科学力の提供の代償として、地球は環境を改造されるらしい。こういう環境下のため、試合は彼らの小型宇宙船をここへ着陸させ、その中で各惑星で審判二名、プレイヤーが搭乗し、試合をする。したがって、一日に彼らの姿を観察できるのは、毎回人員を交代しても、最大、6名。母艦はいまだ宇宙に留まっているらしいが、肉眼ではよくわからない。

 テレビ中継はされていないので、未だに僕には、宇宙人と遭遇したという感覚がない。きっとここの職員や多くの人々も、そうなのだろう。タコ型宇宙人がわかりやすく登場していれば、かえって愛国心のようなものも芽生えたかもしれない。


 高級ホテルに滞在していて、その上、こうして佐々木原さんが何かと気を配ってくれている。それでも、またノックにこたえると、彼女が「何か不足はありませんか」と尋ねてくる。

「すみません、頼りがい、ないですよね。僕なんかが日本代表なんて」

「そういうわけでは」

「ほんと、どういう流れで僕なんかに」

「貴方が優秀だからですよ」

 何を言っても、事実は覆らない。まさかと言いかけたけど、結局、彼女にしてみれば、謙遜にしか聞こえないはず。

 けれど、本当に趣味でしかなかったはずのチェスで、人生を、それも自分だけでなく、今を生きている人々のものをも背負っていると思うと、何から始めていいか分からなくなる。これで本当にいいのか、もっとしておかなければいけない事はないか。

「使うチェスセットは公式用なんですか」

「そう聞いています」

「持ち時間も?」

 彼女は、ベッドに僕が散乱させた資料を整理しながらうなづく。100分の間に、僕は彼らの容姿と態度、それから腕前に驚愕し、人類に謝罪しながら余生を過ごし、敗残者として蔑まれる最期に違いない……。

「どういう見た目か、佐々木原さんは聞いたんですか」

「いわゆる爬虫類のような人型だったと」

「あぁ~」それこそSFではグレイの次にありがちだ。う~ん、どっちにしても、至近距離にいるのはメンタルが相当削れそう。とりあえず、ハロウィンの仮装だと言い聞かせるしかなさそう。

「生物学者は、プレイヤーたちの証言から、彼らの先祖が恐竜のようなものではないかと推測しているようです」

「恐竜? ティラノサウルスとかの?」

「なんでも、進化の学説では、繁栄した種は結局、ヒト型になるらしいです。哺乳類が繁栄し、その中からヒト型へと至り、地球を支配したように、ヤンデロリアンでは恐竜が絶滅せず、巨大化ではなくヒトとして安定したのでは、と。地球と同じような歴史を辿っているとすれば、恐竜が絶滅してから哺乳類からヒトが誕生し、やがて文明を築き支配する期間を経ずに、そのまま恐竜が支配していることになります。だからこそ、数百万年もの文明・科学のリードが、彼らにはあるのだろうと」

「たしかに、恐竜にもコミュニティや群れの意識はあったというし、狩りを行う上で知恵も持っていたからなぁ」

「ヒト型爬虫類を創作の場では『レプティリアン』と呼ぶようで、著名なSF作家も、今ではチームに加わっているようですね」

「そのチームなんですけど、三つもセクションが区切られているから、彼らも負けた棋譜を公表しなくちゃいけなくなったんじゃないですか?」

「その点についても、既に集団心理学者を取り入れて、チームの大人数化における、判断力の低下を防ごうと検討中です」

 さすがに僕の思いつくことは既に誰でも考えついているか。

「それにしても、彼らが本当に恐竜の末裔なら、人間なんて手も足も出ないでしょうね」

「実際、オスと考えられるヤンデロリアンを、彼らは確認していますが、体格なども……いえ、これは間もなく藍川さん自身が観察できるでしょうし、今は研究に専念してください」

「たしかに。そういえば、佐々木原さんはどういった職なんですか」

「藍川さん専属の通訳兼秘書と申し上げましたが」

「いや、忘れているわけではなくて、そもそものポストの話です。みた感じ、僕ともそう、年齢も離れていないのに、皆さんかなり信頼されているようなので」

「確かに年齢は私の方が一つ上なだけですが、海外でいわゆる飛び級したので、皆さんより早く仕事ができた、というだけの事です」

「なるほど……」

 就職などに躍起になっている同い年には聞かせられないセリフだ。

「ここには友人も知人もありません。地球の敵が居て、藍川さんは選ばれた軍人なのです。そのことをゆめゆめお忘れなきよう」

 空になったマグカップとともに、彼女は静かに扉を閉めて、また自身のいるべき場所へと向かっていった。

 少しずつ抱きつつある危機感が、未だに彼女の足元にも及ばないのを実感しながら、PCに届いた特別なAIソフトを起動した。ヤンデロリアンのデータが既に二つもある以上、ようやく彼らの戦略も学習可能水準に達したのだ。

 もちろん、それはあちらにしても同じことだが。

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