惑星間チェス大戦
綾波 宗水
第1話
2123年。地球の歴史の中で、最もセンセーショナルな出来事が勃発した。地球にいるものは、因果律が支配しているかのように、大抵は原因があって結果があり、その前触れのようなものを目ざとい人は感じ、身構えるものだ。
しかし、人類という抽象的な数で表現しても、誰も、地球以外に生命体が存在しているとは知らず、また、突然生じたかのように現れるとは思ってもみなかった。
「室長、各国の言語に翻訳された文書が電子メールで送付されたのですが……」
スイス・ジュネーブ。ここは以前、国際連盟の本部のあった場所。
現在では歴史の保管庫としての役割を担い、国際的に重要と考えられる資料の保管・収集・公開をその職務として機能している、国際連合直轄組織だ。
当初、『ヤンデロリアン』を名乗る異星人からのその電子公式文書は、ハッカーによる意図の不明なイタズラとして処理されるはずだった。
しかし、各国の天文台がほぼ同時に、UFOの存在を指摘し、彼らが電波の発信源であることが判明した。アマチュアらは各々でコンタクトしようとし、天体望遠鏡も飛ぶように売れたのも束の間、インターネット、いや、人類を震撼させる報道がなされた。
「合衆国政府は、ヤンデロリアンというエイリアンを確認し、今後、UFOという名称は用いません。彼らは太陽系の外から地球へ来たと考えられます。そして、地球全体の急務であることを強く認識し、各国と手をたずさえて、その要求への対応を早急に対応いたします」
その早急というのは、合衆国大統領が記者会見を行う8時間前、ヤンデロリアンが世界中の電波を今度はジャックし、またしてもそれぞれの地域の言語で、今度は口頭で同様の宣言を行ったのだ。
「地球人に次ぐ。この声明は、我が邦、ヤンデロリアンからの公式の通信である。我々の計算によると、地球が今後、我らと同等の科学的水準に達し、互いの平和を尊重して交通するまで、誤差なく3,214年を要する。したがって、地球の文明は未だ未熟にして未開の段階と言える。よって、我々はその支援として、地球を保護惑星として植民計画を実施する。この旨は諸君の国連へと既に通達しており、残り96時間以内に受諾が確認できない場合、強制執行となる」
合衆国など、宇宙産業にリードした国々を中心に、徹夜で会議がなされた。民間企業や知識人もこれに加わったことは、のちの歴史において、民主主義がモボクラシーと化した瞬間であったと記録することだろう。当初から参加しない国や欠席する国もあらわれ、ついに抗戦するも、受諾するも、いずれにしても損害が大きいだろうという悲観的なムードが、現・国際連合本部を支配した。
ましてや、合衆国大統領がこれを「第一次惑星間戦役」と表現したことで、合衆国がその先鋒を務めるべきだという意見や、世間でも核兵器の使用の云々について、コメンテーターや軍事評論家があれやこれやと好き勝手に言う三日間だった。
残り一日の猶予のとき。
またしても当然、ジュネーブに連絡がきた。
「我々は高度な文明を持つ。それ故に、より高い義務を負う必要がある。よって、我々は地球からの攻撃が無い以上はこちらから科学力を駆使する気はない。また、戦闘を望む場合は、地球におけるチェスを、その勝敗を決めるものとして使用しても良いと考えている」
この提案は、首脳陣にとっては吉報だった。というのも、議論の分かれ目は、いざ闘うとなったとき、その軍事費はどのように負担するか、攻撃を受けた土地の補填はどういったパーセンテージで、というような問題が、議論を紛糾させていたのだから。
しかし、多くの人々はその提案を、まるでおままごとのように、手のひらで遊ばれているとして、即刻、撃ち落とせと街々の居酒屋は大賑わい。
結局、国連はチェスによる抗戦を選ばざるを得ないのだった。よって軍事家や現代史家はこれを「第一次惑星間チェス戦役」や「惑星間チェス大戦」と呼称し、天文学者はヤンデロリアンなる惑星の解明へと乗り出したのだった。「#ギャラクシーチェス」としてのパロディも市民間で一夜にして生まれた。
その成果は深夜におとずれた。『ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛ぶ』と題されたその仮説論文の概要は、ともすれば陰謀論の類に埋もれかねないものだったが、著者がノーベル物理学賞を受賞し、哲学の講義でも世間で話題なフランス人学者と、素性が知られた著名人のものであったため、なんとかふるいから落とされることなく、国連へと通達された。
今から国連に呼んでいては時間がかかるので、緊急でカメラを介して首脳会談がなされ、そこで博士は「私たちのチーム、つまり歴史学と天文学の両面から今回の事案を検討したことで、この仮説を提唱するにいたりました。ヤンデロリアンは、遥か彼方からやって来た。これは今まで未発見であったことからも事実と認めなくてはならない。私達にはない、亜光速以上の推進力を持つ宇宙船によって、数日前に現れたわけです。
しかし、彼らの惑星にある望遠鏡がどれほど高倍率であったとしても、その光景は何百、何千、何万光年も前の歴史であるのです。だからこそ、彼らは国連本部を頑なにスイスであると勘違いし、そしてまた、今では競技人口もそう多くないチェスを、人類の未来を委ねる、武力を用いない戦闘行為として、提案してきたのでしょう。でなければ、彼らの電子技術から言っても、コンピュータやゲーム機器によるもので実施しても良いはずです。思うに、彼らの地球に関する知識は、第一次世界大戦以前のもので止まっており、この上空から観察して、はじめて、ヤンデロリアンは負けはしないが、少なくともこの距離では彼らも死ぬ兵器を地球が有していることに気が付いたのでしょう」と、古代の弁論家のように手をふるってまくし立てた。講演会が満席になるのも頷けるトーク力だが、その内容を確かめる方法はない。
各国のチェス協会から選抜された優れたプレイヤー12名。彼らを国連直属の地球連邦軍と位置づけ、明日から始まるであろう『宇宙戦争』へと備えさせた。博士の提言を受け、彼らをスイスへと集め、その服装も歴史学者のアドバイザーによって、20世紀初頭のものにさせた。
そして、地球連邦軍という銀色の響きを捨て去る為に、来ている背広に似せて、『地球連合騎士団』と名付け、即日発足したのだった。多国籍メンバーのその組織でも、最年少は日本代表の藍川史郎。
彼は日本で生まれ、日本で育ち、日本の大学に通う、数千万の若者のひとりでしかなく、きっと、それなりに平和に人生を全うできるはずだったろう。
2100年代には大卒がマジョリティのため、彼の就職も別段、かつてより安定というわけではないが、彼はこのまま大学院へと進むつもりでいた。
そのために論文にも力を入れ、現代の社会学部らしく、ネットでのアンケート調査も余念がなかった。
にもかかわらず、彼は大学から深夜電話を受けた。
「藍川君」と呼ぶ電話の主は、ゼミの先生。テレビに出るほど有名ではないけども、そこそこ入門書も書いているというレベルの知名度。本人はテレビに出ないのは、顔が悪いと局が嫌がるんだと生徒に愚痴っていたことも。
「君は卒論免除です」この言葉を理解する前に、より意味不明な単語が、まじめな老人から発せられた。
「地球連合騎士団へ
「え? すみませんどういう」
「羽田発、スイス行きに遅れないように、車も手配しておいたので」
地球連合という名称からして、この度の宇宙人騒動だろうけど、どうして先生が……?
その疑問への答えは、国公立ということと、もしかすると、先生も国会に参与として何か発言していたのかもしれないという推測で、いったんは落ち着く他ない。
すぐにインターホンが鳴り、「用意はこちらでしている」という大学職員の言葉を信じて、とるものもとりあえず、僕は空港へと半ば拉致されるように、寂しい街を進んでいた。初めて乗る高級そうな常用車の背もたれの感覚を楽しむ余裕が、その時はまだあった。
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