第7話〰澄んだ心の持ち主に〰

透明女化してから2ヶ月、11月下旬に差し掛かり寒さが増してきた。鳥肌も立つぐらいの寒さだが、やはりその体は見えないままだ。

胸もすげぇ邪魔。歩く度に揺れるし屈みづらいし。何だこれ。


看護師の仕事は、残念ながら辞めてしまった。俺の妹として自分がなりすまして、本人の代理という形で話を進め、電話と郵送で退職の手続きを済ませた。

「最後くらい顔を見せて辞めてったらどうなの」と電話口で御局様に言われたが、「合わせる顔が無いようです」と返した。嘘は言っていない。



働いてるうちはあんなに嫌だったのに、今は喪失感がもの凄い。完全にバーンアウト(頑張りすぎてた証左のこと)の状態だ。

んで、今は何の仕事をしているかというと、がん検診等の総合相談のコールセンター業務へ不定期に従事している。

就職時の面接が要らず、履歴書の送付のみで申し込み可能、ほぼ在宅勤務という点でダメもとで申し込んだが、内定を無事にいただけた。ありがたい。

業務自体もほぼマニュアルに沿った案内なため、病院時代に比べると格段に体が楽だ。



ただ、やはり……


家計がすごくカツカツ!!


今までは夜勤で稼いでいたこともあり、今の仕事と月収は雲泥の差。30%くらい手取りが減った。

とてもじゃないが貯金なんてできない。

奨学金返済も3万くらいずっと返さないといけないし、贅沢は無理だ。



ただ、これだけは絶対にやらないと決めたことがある。それは、犯罪だ。


お金をくすねたり、無賃乗車したり、透明人間ならやろうと思えば簡単にできるだろう。

だが、これらは別に透明でなくても犯罪自体は犯せてしまうのだ。透明だからやってもいいなんて、免罪符にはしてはいけない。やったら透明人間でも立派な犯罪者だ。




透明になってすぐの頃、快晴の日に何回か寒さと恥に耐えつつ全裸で街に出てみたことがある。その時はまだ法に触れることについては考えが甘く、映画館にタダ見にでも行こうと、電車で遠くに旅行へ行こうと、ぷらっと繰り出した感じだ。


現実は甘くなかった。

まず、人が避けてくれない。

今までは肩が軽くぶつかる、もしくは歩きスマホで頭突きされる程度の経験はあれども、みんなが常に突進状態なのだ。

透明人間は、もう眼前の人だけを避けるなんて次元じゃない。俺より歩行の速い人が後ろについた時点で俺への追突が確定する。

んで、俺が転んでも人は避けてはくれない。蹴られて踏まれて、もう満身創痍。つまずいた人たちも怪訝な顔をするだけ。

もちろん車も、減速なんてしてくれない。俺が人を避けようと一瞬だけ車道にはみ出した時に、もの凄いスピードで路線バスが横を通り過ぎた。すごく怖かった。相手は交通ルールを守っているからどうにもならない。



満身創痍で思い出したが、おそらく透明人間はレントゲンや酸素飽和度(息苦しさの目安みたいなもの)も測れない。

最初のときの、胸痛がもし心臓由来だったりしても一般的な検査自体出来ないだろう。そもそも他人に透明人間なんて知られたら、どんな検査をされてしまうか……。



あとは、バスや電車になんて絶対に乗れない。

満員に近い乗り物は当然として、各駅などの比較的空いている電車もとにかく危険だった。

俺がイスに座るとほんの少し座席が沈み、よく目を凝らせば気づくかもぐらいの差があるのだが……。

ナイスな体格のおっさんが、俺に気づかず真正面から着席してきたのだ。

推定0.1トンぐらいの全体重が勢いよくスタンプ。

「ん゙んっ!!!!」

幸か不幸か、俺の見えない胸のおかげもあり着地点がズレ、太もも全体への直撃は免れたものの、スライドするようにおっさんの尻が両膝にのしかかり大ダメージを受け、カエルみたいな声がちょっと出た。おっさん、何故か座れず床に尻もちつかせてごめん。痛み分けで許そう。


これで俺は旅行も映画タダ見も、諦めた。



美味しそうな料理のつまみ食いも、飲み込まないと透明にならないから、歯の間に挟まったらその塵が空中に浮いたまま。違和感Maxだよね。



あ、これは透明人間になって初めて知ったことだが、外では空中に俺の足跡が浮かぶ。

……たぶん意味伝わってないでしょ?

みんなも自宅でくつろいでる時に、たまに自分の足裏を見てみて欲しい。ちょっとしたゴミがたまに付いていないだろうか?

透明人間にももちろん足裏にゴミが付くわけで、歩くと汚れがそのまま規則的に浮かんでは床に着く。そう、何かいるのがモロバレル。手の汚れもおんなじ。

映画とかだと透明人間って足跡とか手形だけしか残ってないじゃん。これじゃ詐欺だよ!でも映画はそもそもフィクションか。ならいいか…



咳やくしゃみも人前では気づかれるからできない。くしゃみしそうになったら指を突っ込んで鼻の穴を広げる。そんなことしてんの多分全国で俺くらいだと思う。



物への距離感を掴むのにも本当に苦労した。突き指なんて当たり前だったし、最初の頃はドアにすら頭突きしていた。スマホ操作も慣れが必要で、指が見えないから誤タップしまくり。あまりにも誤操作が多いから、必要になる思ってマニキュアと除光液を注文した。使うと、空中にマニキュアが浮かんで見えるため指の位置がすごくわかりやすくなった。

段々と塗る回数を減らしていき、今はもう塗らなくて大丈夫。ただ振り返ると、最初からスマホ画面対応の手袋の購入でも良かったのかもしれない。

だけど手袋してない透明な手でツムると、画面全部が見えるからちょっとスコアを伸ばしやすくて嬉しい。

今マニキュアは、爪切りの時の目印として重宝している。深爪怖いよ。



目を閉じても景色が見えたままなのも、就寝時には特につらい。部屋を真っ暗にしてもうっすらと物の影は見えたままなので、眠れない日は前より多くなった。



透明女は不便な点が多いが、利点も多い。

まず美容系。髪型に寝癖がついてたとしても全く気にしなくていいし、トリートメントやドライヤーも必須じゃない。

女の子になったからか髭剃りもいらなくなった。2週間に1回、クリームを顔に塗って、手袋してから顔剃りをしてみたが何も剃れず。顔剃り前後ともツルツルの肌触りだったので、そっち系の毛が少ない女性に変化したらしい。

体型も気にしなくていいけど、もう少し胸と尻は小さくても良いと思う。うん。


他には女性の日での出血が見えないことも利点。…いや、これは場合により欠点か。

元々の仕事柄、血を見るのには耐性があるが、生理における出血は人によって結構ショックを受けるほどの状況らしい。

透明女化してから俺も規則的に腹痛に見舞われたが、スプラッターはお目にかかっていない。生理不順に気付きづらいから一長一短。



食べすぎてたぐらいの食欲が減った。咀嚼のあのグロ画像を生で見てしまうと、ね……。




…………。




デメリットの方が多いな……。

えっちな漫画に多い、欲望に忠実な透明人間も殆ど男だし、描かれているどの欲望も俺の場合は当てはまらない。女性ホルモンが優位だから積極性が低いのかも。

もし女性の透明人間系の作品があったら今後の俺の参考になるのかな。でもそうだ、フィクションはあくまでフィクションだった。




「はぁ……。やっぱもう治んないのかな……。」

ため息を大きくついて、いつもの風呂の準備をする。今日はヒノキの入浴剤にしよう。



リラックスし終えた俺は、いつも通り眠りについた。




つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る