オーロラの雨

桃波灯火

オーロラの雨

 深夜一時、お風呂や明日の支度を終えた私は自室でPCを開いた。


 電源はいつも入れっぱなしの上、常時充電コードを指しているPC。外に持っていくとすぐに充電切れで使えなくなってしまうが、このPCを外で使う機会はないので問題はない。


 じゃあ家の中で一体何に使うのかというと、小説を書くためだ。毎日合間を縫ってPCとにらめっこをしているのだが、私は夜の方がはかどるタイプである。


 そして今日の夜はいつもと違い、絶好の執筆タイミングであった。明日の予定が昼過ぎからで起きるのが遅くても問題がない。


 Wordファイルをクリックすると、まっさらな原稿が浮かび上がってきた。


 現在はある出版社がweb上で主催している小説大賞に応募するための作品を作っている。


「よし、頑張るぞ」

 気合いを入れてキーボードの「F」と「J」に指をセットしたと同時、手元のスマホが着信音を鳴らしだした。


 こんな非常識な時間に一体誰が電話をかけてきたのか、何となく相手を察しながらも明るくなった画面を確認する。


「はぁ――もしもし?」

 自分でも驚くほどに癖癖としたため息が出てしまうが、それを抑え込んで電話に出る。


「うん、うん――わかった。今忙しいから、切るね」

 こんな時間に忙しいわけがないでしょう、とヒステリック気味に言う声を一刻も早く断ち切りたい。そんな思いで電話を切り、ストレスを発散するようにスマホを後ろのベットに投げつけた。


「…………」

 自ら投げたのにもかかわらず、スマホに傷がついていないか確認しに席を立ってしまい、自分の浅はかさを呪う。


 気分を乱されてしまった。落ち着きを取り戻すためにコーヒーでも飲もうかとキッチンに向かう。


 ――電話の相手は己が母親。母は私が実家にいるころから束縛が激しかった。父は病気で私が赤ちゃんの頃に死んでしまったのも原因なのだろう。心配や責任感が行き過ぎたのだ。


 見るテレビは限定され、門限は高校生の時で夕方五時。私だってドラえもんを見たかったし、部活帰りにマックに友達と寄ってみたかった。


 そんな窮屈な日々を癒してくれたのが、亡くなった父の部屋にある小説だった。ジャンルは多種多様。恋愛からファンタジー、果ては官能小説まで。


 もちろん、漫画は読むことを禁止されていたし、小説だって文豪のモノ以外は認めてもらえなかった。


 だからこそ父の部屋に忍び込んだ時、小説の自由さに一発で魅了された。


 それからは窮屈な日常が楽しくなった。母の言われた通りに受験して就職もした。でも父の小説があったから苦しくはなかった。


 しかし、ある時思ってしまったのだ。


 もし母の束縛から逃れたら、今より自由になったら、私には果ての無い楽しい人生が待っているのではないか、と。


 また、父の小説を隠れて読んでいたのがバレたタイミングだったというのも原因の一つだろう。


 そこから先はあっけないものだった。既に成人して働いていた私にとって、絶対的な拘束は存在しない。あるのは母の拘束させてくれというのみ。


 あれよあれよと手続きが進んで一人暮らしが実現した。


 ほどなくして仕事もやめてしまった。


 そして、母のことを疎ましく思うようになった。


 人間は賢い生き物で、環境が変わると元居た場所と今の環境を冷静に比較できてしまう。


 私の脳は母に拘束されていた学生時代をいらないものと判断した。

 

 電話番号はせめてもの親子の情として残しつつ、一人暮らしのアパートを隠れ家として接触を極端に断った。


 私と母はまったく違う生き物なのだと思った。生態はもちろん、見た目は親子だから似ている。しかし、まったく違う考えを持っているのだ。


 私は小説が好きだ。己次第で際限なく広がる物語の世界観は尊く、その自由さは可能性に富んでいる。


 私は小説が好きだ。興奮して、笑って、楽しめて。またある時は悲しんで、ムカついて、泣ける。小説には人を魅了する力がある。


 私もその担い手の一人になりたい。


 しかし、母にとって小説などのエンタメは娘を汚す悪しき文化でしかない。


 この乖離は一生縮まることはないのだろう。


 私は父と話したかった。父と小説についてあれこれと語り合いたかった。


 ――本当は母とだって何かを分かち合いたい。


 でも、ダメなのだ。一歩踏み出せばその道があるかもしれないのは分かっている。だが、踏み出す気はなかった。


 だって、疲れるに決まっている。


 私は雪が降ったらはしゃぎたかった。でも母は冷たいだけ、洗濯物が乾かないと言った。


 私は友達と遊びたかった。でも母はそんな時間は無駄だ、勉強の方が大事だと言った。


 私は小説でオーロラが空に広がるさまを、「オーロラが私たちに降り注いだように錯覚した」と描写する。


 しかし、母は「オーロラが雨のように降るわけはない」と否定するのだろう。


 埋めるのに死ぬほど苦労する間が私と母にはあるのである。

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