前世魔王は珈琲を飲む。

牛本

前世魔王は珈琲を飲む



 突然だが、私の前世は魔王だった。

 世界を滅ぼす系のアレだ。


 数年前、高熱を出した私は唐突にそのことを思い出した。


「お母さん、珈琲ブラック淹れて」

「あんた、そのくらい自分でやりなさいよ。もう二十三でしょ」


「そんなんじゃ結婚出来ないわよ」なんて母親は言うけれど、それは間違っている。

 何故なら私は出来ないのではなく、しないだけなのだから。

 前世とはいえ魔王なのだから、そんなに簡単に一生を共にする相手を選ぶ訳にはいかない。


「結婚なんて、しないわ」

「あんた親不孝者よ」

「私がお母さんの娘ってだけで、幸せだと思うのだけれど」

「ホント、ちょっと前までは素直でかわいかったのに、どうしてそんなに傲岸不遜ごうがんふそんな娘になっちゃったのかしら」


 顔だけはお母さんに似てかわいいのだけれどね、何て冗談を言いつつ、母親は私の前に珈琲を置く。

 私は「ありがとう」と簡単にお礼を言うと、珈琲に視線を落とした。


 黒く輝く、何処か気品すら感じてしまいそうなそれは、前世魔王であった私をイメージして作られたものなのではないかしら、と疑ってしまう程だ。


 カップの持ち手に指を掛け、持ち上げる。

 口元まで運ぶと、穏やかな香りが鼻孔を抜けた。


 ひとくち。


「……ニガっ」


 黒人に向けた差別表現では無い。


「あんたって、何で飲めもしないブラックコーヒーを好むのかしら。馬鹿じゃないの」

「お母さんには分からないわ。私はこれが好きなの」


 呆れたようにため息を吐く母親に、私は珈琲の苦みをすまし顔で耐えながら応える。

 母親は「はぁ……駄目ね、この娘」と言って対面の椅子に腰を掛けた。


「まあ、コーヒーのことはどうでもいいのよ。あなた、ニート歴一年でしょ? そろそろ就職なりバイトなりしなさいよ?」

「あのねお母さん。私はこれでも頑張っているの」


 どのくらい頑張っているのかというと、前世で人間を滅ぼした時くらいには。

 あの時は大変だったわ。

 あまり詳しくは覚えていないのだけれど。


「でも一個も受からないじゃない」

「何故かしらね。でも、私は悪くないわ」

「……もう、好きにしなさいな」


 呆れたようにため息を吐く母親に「今世の母親でなければ私のカフェインブレードで切り刻んでやったのに」と思う。

 口に出すと怒られるので言わないが。

 そう言えば私の前世の名前は暗黒珈琲ブラックコーヒー・ドトール・スターバックスだ。


「じゃあ、なんでもいいから家の手伝いでもしなさいよ。あんた、器量はいいんだから家事さえできれば男なんていくらでもいるわよ」

「私は私より強い男にしか興味ないの」

「あんた握力15とかだったでしょ。あんたより弱い男なんて中々いないわよ」


 前世の価値基準で結婚相手を探すと時間がかかりそうだ。

 相手が多すぎて。


「じゃあ、私の真名オリジンネームを受け入れたものにするわ」

「真名?」

「お母さん、私の前世の名前のことだよ。暗黒珈琲ブラックコーヒー・ドトール・スターバックス。ふふ、聞き取れたかな」

「あんた、まだそんなこと言ってんの?」


 私の言葉に、母親が意外な反応を示した。

 私の記憶が正しければ、前世の話を母親にしたのは今日が初めてだったはずだ。


「え、言ったことあったっけ」

「あんた、中学生くらいの頃にそんなこと言ってたわよ。……あ、ちょっと待ってなさい」

「いやっ、待って!」


 母親に向かって伸ばされた手は虚しく空を切り、母親の厚い背中は遠ざかっていく。


「あら、あなた。汗かいてるわよ」

「えっ、あ、うん」


 いつの間にか戻ってきていた母親は、その肉厚な手に一冊の冊子を携えていた。

 私は椅子に戻る母親の手に携えられたそれに戦慄の視線を送りながら、服の袖で汗を拭う。


 椅子に座った母親は、机の上にそれを「パン」と置き、私を睨んだ。


「ていうかあんた。さっきから失礼なこと考えているんじゃないでしょうね」

「……考えてない」

「あらそう? まあ、それならいいわ」


 何かを確信した様子の母親は「今夜はピーマンね」なんて言いながら、机に置いた冊子を私に向ける。

 ピーマンは私の苦手な食べ物だが、そんなことはどうでもいいと思えるくらいの代物が目の前にあった。

 何かは分からない。

 分からないが……恐ろしかった。


「ほら、これ」

「……ナニコレ」

「何って、あんたが大学生になって一人暮らしを始めたときに、あんたの部屋掃除してたら見つけたものよ。一生懸命書いてたみたいだから、取っておいたわ」

「なんで私の部屋……」

「あら? 確認したら、「何もないから全部捨てていいよ」って言ったでしょ」


 言った。

 確かに言っていた。


「ほら、ココにね、さっきあんたが言っていたことが書いてあるのよ」

「え?」

「最初のページの……ほら、暗黒珈琲国ブラックコーヒーキングダムの魔王、暗黒珈琲ブラックコーヒー・ドトール・スターバックスの設定が書いてあるわよ」

「え? え?」


 奪い取るようにしてその冊子を見る。

 ページをめくる。めくる。めくる。


 全て、私の前世の記憶と一致した。


「え?」

「なによ、乱暴ね。……ほら、書いてあったでしょ?」

「え?」


 え?


 つまり、なに?


 私が高熱を出して、思い出した前世の記憶って。

 

 そういうこと?

 

 そういうことってこと?


「……」


 私は珈琲に視線を落とした。

 冊子には、暗黒珈琲ブラックコーヒー・ドトール・スターバックスの好物は「珈琲ブラックコーヒー」と書かれている。


 通りで飲めないわけだ。


 私はすまし顔で冊子を閉じると、ゴミ箱へと捨てた。

 席に着く。


 驚いた顔をしているお母さんに、私は言った。


「――お母さん、牛乳ある?」


 まったく、とんだ珈琲ブラックだ。


 私には飲み干せそうにない。



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