第十二章 真相

 呪詛の言葉が聞こえる。


 それには、心の底から相手を憎悪し、満ち満ちた殺意と敵意が色濃く込められていた。


 雅秀は薄っすらと目を開ける。


 満天の星空が見えた。とても綺麗な空だ。肌寒さも感じ、今が夜だとわかる。


 ここは野外だ。しかもけっこう自然が多い場所。湿気も多く、水場も近いと思われた。


 雅秀は喘ぐようにして、呼吸を行う。山野特有の腐葉土に似た匂いが鼻をつき、雅秀は軽く咳き込む。


 かすかに煙の臭いも漂っている。だが、あまり濃くはなく、遠くで焚き火でもしているくらいのキナ臭さだ。


 徐々に明瞭となっていく意識。だが、体のほうはろくに動かせない。鉛のように重かった。


 雅秀は、先ほどまで自分の耳を撫でていた呪詛が止んでいることに気がつく。


 かろうじて動く首を動かし、雅秀はゆっくりと辺りを見渡した。どこかの駐車場と思しき空間が目に入る。


 隣に人影が見えた。それが呪詛を吐いていた人物なのだと雅秀は理解する。


 目の焦点が合い、ぼやけていた輪郭がくっきりと鮮明になった。


 グレーのチェスターコートと、チャックパンツを着たロングヘアの少女。


 アズサだ。


 アズサは雅秀の真横で、しゃがみ込み、こちらを見下ろしていた。害虫を見るような目だ。


 「起きたの?」


 アズサが冷たく訊いてくる。


 「俺は一体……」


 雅秀はかすれた声でそう呟いた。今の状況がいまいち飲み込めない。俺は確か、アズサから監禁をされ、そのあと男女の関係になり、そして睡眠薬を飲んで心中を図ったはず。女子高生と一緒に。隣にいるアズサと。


 「俺たち、体を重ねてそのあと、一緒に死んだはずじゃ……」


 雅秀がぼんやりとした口調で尋ねると、アズサは汚物でも目にしたような嫌悪の表情を浮かべた。


 「ああ、あなたが目覚める直前に呟いていたうわ言のこと? 私と恋愛関係になったとか、セックスしたとか、会社の上司から告白を受けたとかね。ものすごく気持ち悪いんだけど」


 雅秀は愕然とする。あれが夢? そんな馬鹿な。


 「な、なにを言い出すんだ? 俺たち親密な関係になったじゃないか。デートも何度もやって」


 アズサは噴き出した。心底呆れたような風情だ。


 「馬鹿じゃないの? あなたみたいな底辺の蛆虫と、そんな関係になるわけないじゃない。睡眠薬の影響でみた都合の良い幻覚を信じ込んでいるだけよ。それだけあなたの人生は下らなかったってわけ」


 アズサは辛辣な物言いをした。


 信じがたいが、アズサの言うように、あれは夢なのだろう。素敵な世界。あまりにも現実と乖離している理想郷。


 だが、それならば、この状況は一体、なんだ? どうしてアズサは冷徹な態度を取るのだろう。


 雅秀の混乱を察したらしく、アズサが言葉を放つ。相変わらず蔑んだ口調だ。


 「まったく、焦ったわ。睡眠薬を飲んだふりして様子をうかがっていたら、突然起き出して逃げ出すんだもん。それだけじゃなく、私まで助けるだから。やっぱりあなた死ぬ気なんてないのね。二回目でしょ? 未遂は」


 アズサは軽蔑した目をこちらに向ける。言っている意味が理解できなかったが、霞がかった記憶の奥底から、ゆっくりと泥のようなものが浮上してきたことが実感できた。


 雅秀ははっとする。


 思い出したのだ。自身が取った行動を。


 自分はアズサとワンボックスカーの車内で睡眠薬を飲み、練炭自殺を図った。だが、心変わりし、車外へと逃げたのだ。そして、アズサも助け出し、そのあと睡眠薬の効果により力尽きた。


 『夢』をみていたのはその時になるが、目が覚めた後、つまり今現在の状況がまだ飲み込めなかった。


 アズサの先ほどの言葉を思い出す。睡眠薬を飲んだふりをしていた? なぜそんな真似をアズサはしたのだろう。それに、未遂が二回目? どういうことだろうか。意味がわからなかった。


 それに、やはりアズサの態度が妙だ。


 雅秀は体を動かそうとする。だが、相変わらず麻痺したように動かない。睡眠薬はまだ効いているのだ。


 唯一動く首を動かし、再び周囲の様子を確認した。近くに黒のワンボックスカーがあることに気がつく。自分が借りて、ここまで運転してきた車だ。窓に目張りした形跡がうかがえる。


 次に、アズサを見る。軽蔑の眼差しでこちらを見ている姿。


 恨みがこもった、あまりにも覚めた目。


 「どうして……」


 どうして君は、そこまで冷酷な態度を取るのか。自殺決行の直前まで、とてもいい子だったじゃないか。


 アズサは鼻で笑うと、こちらに身を乗り出した。


 「睡眠薬で動けないだろうから、全て教えてあげる」


 雅秀は、縋るような目でアズサを見る。アズサの目は、薄暗い中、ギラギラと輝いていた。


 アズサは言う

 「雅秀、あなた私の妹を殺したでしょ?」


 「え……?」


 雅秀は口をつぐむ。アズサは何を言っているのだろう。


 「い、妹? なんの話だ?」


 寝耳に水の話に、雅秀は語尾を震わせた。


 アズサがこちらを睨みつける。


 「とぼけないで。調べはついているんだから」


 そう言うと、アズサはこちらにスマートフォンを突きつけた。


 「見覚えあるでしょ? この女の子。私はあなたに復讐するために、自殺志願者を装ったのよ」


 スマートフォンの画面を見た雅秀の脳裏に、ある光景がフラッシュバックする。


 暗い空間の中に、ほのかに輝く赤い焔。


 雅秀の反応を見て、アズサは満足したように頷いた。


 「思い出したみたいね」


 唖然とする雅秀に対し、アズサは淡々と説明を始めた。




 三年前の話だ、当時、アズサには、二つ年下の高校一年生になる妹がいた。


 非常に優秀な妹で、公務員の両親は妹ばかりを可愛がっていた。アズサはそれに対し、不満を覚えていたが、妹のことは大好きだった。妹もアズサに懐いており、姉妹仲は、おそらく、おおよその家庭のそれよりも、とても良かったはずだ。


 アズサ自身は、成績は芳しくなく、素行も悪かった。しかし、アズサは不幸を感じることなく、日々を楽しく過ごしていた。妹とも買い物や映画に良く出掛けていた。


 不満もあるけど、不幸ではない『普通の生活』。アズサは、毎日を噛み締めるようにして生きていた。


 しかし、ある時、大きな変化が訪れる。


 妹が亡くなったのだ。死因は自殺だった。


 都内近郊の公園の駐車場にて、車の中から遺体で発見されたのだ。車内には練炭が焚かれてあった。いわゆる、一酸化炭素の中毒死である。


 報告を聞いたアズサは、耳を疑った。妹は自殺をする女の子ではないはずだ。つい最近も、一緒に映画を観に行く約束をしたのに。


 遺体安置所でアズサは両親を交えて妹と再会を果した。妹の遺体はとても綺麗だった。まるで眠っているような。しかし、妹は決して目を開けなかった。


 アズサは両親と抱き合い、その場で号泣した。


 その後、アズサは両親と共に警察から詳細を聞いた。


 妹は自殺の方法をSNSに求めたらしい。志願者を募るメッセージを送り、集まった人間たちと共に方法を考えた。


 そして、方法が決まったあと、妹はその人間たちと自殺を決行した。


 車内からは、妹の他に、もう一人男性の遺体が見つかっている。三十代の男性。


 しかし、状況やスマートフォンのメッセージのやり取りから、もう一人参加者がいたらしいとのことだ。


 自殺に使われた車(黒のワンボックスカー)は、遺体で発見された男性が借りたものである。三人とも連絡はSNSを介しており、生き残ったであろうもう一人の人物は、SNSのアカウントを都内某所のネットカフェから登録していたようだ。そのネットカフェは、ワーキングプアや、ホームレスが良く利用する場所であるらしく、身分証の提示が不必要な店舗であった。


 そのため、生き残った人物――性別すら不明なものの『ミスターX』とアズサは呼称――を割り出すことは、おそらく難航するだろうと警察官は主張した(そもそも本気で捜査をする気概を感じなかった)。


 警察の説明を聞いてもなお、アズサは妹が自殺をする根拠を見出せなかった。遺書もなく、これまで一切、自殺願望を示す言動はなかったのだから。


 アズサが疑問を警察官にぶつけると、その警察官は一つの『真実』を話してくれた。


 妹は当初、さほど自殺願望があったわけではなかったらしい。家庭や学校でのちょっとした愚痴や不満を、SNSに上げるだけだったようだ。


 だが、ある時から自殺願望に傾倒するようになる。その原因が、しつこく自殺を教唆してくる人物の存在だ。


 その人物こそが、行方不明の『ミスターX』であった。


 『ミスターX』とのやり取りを続けているうちに、妹の中に希死念慮が発生した。そして、破滅の道を上り始める。


 妹は本気で自殺を考えるようになり、『ミスターX』らと一緒に計画を進めた。アズサや両親が、妹の自殺企図に気がつかなかったのは、妹が明確な自殺理由を持っていなかったためである。


 そしてとうとう妹は、『ミスターX』と、もう一人の男と共に、自殺決行へと至ったのだ。


 真実を聞いたアズサの中に、焔のような怒りが生まれた。これではまるで殺人ではないか。そう思った。


 本来は自殺願望などなかった妹を唆し、自殺へと引き込んだのだ。その男はもはや、人殺しも同然。しかも、そいつは死なずに、現場から逃げ出し、現在ものうのうと生きている。


 アズサの中に、『ミスターX』に対する憎悪が生まれた瞬間であった。


 その後、アズサの感情など無関係に、妹は自殺で処理をされ、葬儀が行われた。四十九日も済み、何事もなかったように日常が戻ってきた。


 その頃でも、妹を自殺に巻き込んだ『ミスターX』の情報は得られなかった。管轄の警察署に進展を訊いても、めんどくさそうに応対されるだけで、大した変化は見られなかった。


 しばらくの間、時間が過ぎる。高校を卒業し、大学に通いはじめたアズサは、妹を失った悲しみにより、情緒不安定になっていた。リストカットを繰り返すようになったのは、その頃からだ。


 それでも妹の事件は進展がなかった。すでに警察は捜査をろくに続ける気はないらしく、警察署を訪れても、門前払いをされた。


 警察は頼りにならない。アズサは警察に見切りをつけ、自力で調査を行うことにした。幸い、妹のスマートフォンは返却されている。端末の内部情報から『ミスターX』の足跡を辿れるかもしれなかった。妹のプライバシーを暴くようで、申し訳ない気持ちになったが。


 アズサはリストカットの跡を残した手で、かつて妹が使っていたスマートフォンを調べた。


 幸い、SNSのアカウントや、メッセージは生きており、捜査に支障はなかった。そこで、そぐに『ミスターX』の痕跡が見つかった。


 アズサは、時間をかけて、妹と『ミスターX』の情報をチェックしていった。やがて、おぼろげながら、『ミスターX』の人物像が浮かび上がってきた。


 年齢は三十代で、当時の職業は無職。メッセージの内容から、『ミスターX』は男で間違いないと思われた。


 おそらく、この辺りの情報は虚偽ではないだろう。嘘をつく必要がない部分だし、内容から、この男も、本気で自殺を考えていたことがわかった。実際に会う者同士だから、誤魔化せない部分もあるのだ。


 その男は妹に『雅秀』と名乗っていた。居住区域は都内だと思われた。


 徐々に明るみになる『雅秀』のプロフィール。文章のクセや、発言内容の特徴を把握していく。


 ほぼ『雅秀』の特徴を掌握したアズサは、偽名を使い、SNSやネット掲示板を徘徊した。自殺志願者の書き込みや、心中募集のコメントを探って回る。


 これには時間がかかった。すでに妹が自殺してから二年近くが経とうとしていた。


 それでも諦めず、アズサは『雅秀』を探した。きっとこいつは再び自殺企図を行うはずだと踏んで。


 やがて、アズサの執念が結実することになる。


 とうとうアズサは、『雅秀』の特徴と一致する書き込みを発見した。有名なSNSサイトの中だった。やはり予想通り、性懲りもなく、自殺に関わろうとしているようだ。


 『雅秀』は、女子高生と思しき自殺志願者の投稿へ返信を行っていた。どうもこいつは、女子高生を対象に心中を目論んでいる節がある。性癖なのか、なにか目的があるのか。いずれにしろ、ろくでもないクズなのは確かだ。


 アズサは慎重に『雅秀』を調査した。そしてその行動に、ちょっとした一貫性があることに気づく。『雅秀』は、自ら自殺者を募集するのではなく、女子高生の投稿に絞って返信を行っていた。なかなか『雅秀』を発見できなかったのは、このせいだった。


 心中募集ならダイレクトに参加を表明し、悩んでいるようだったら、自殺を仄めかし、教唆を行う。


 SNSのメッセージのやり取りは、第三者にも見える形式だ。そのため、メッセージを追うことは容易だったが、いくつかはダイレクトメッセージに移行しており、最後まで内容を把握するのは不可能なパターンもあった。


 とはいえ、その後も自殺志願者へのアプローチを続けているところを見ると、全て失敗しているらしい。相手は女子高生なので、上手くいくことは極めて稀なのだろう。


 そこでアズサは一計を案じる。自分が女子高生と偽り、『釣り針』を垂らせば、この男はイワナのように食い付くはずだと踏んで。


 アズサはさっそく、『雅秀』が生息しているSNSに、心中募集のメッセージを投稿した。自殺志願の女子高生であり、日々つまらない人生で辟易しているという体で、『雅秀』が好みそうな内容に仕立て上げた。自身のプロフィールのほとんどは詐称だが、仮に直接会うことになっても、自分の今の年齢なら、高校生だと誤魔化せるはずなので、支障はないと思われた。


 そして目論見通り、即座に『雅秀』から連絡があった。他にも参加を希望する自殺志願者からメッセージが届いたが、全てシャットアウトした。


 『釣り針』に見事食い付いた『雅秀』に対し、アズサは慎重に事を進めた。ようやく獲物を捕らえたのだ。逃すわけにはいかなかった。


 これで妹の復讐ができる。


 ちょうど先月、アズサは二十歳になったばかりの時の話だ。




 アズサから真相を聞かされた雅秀は、愕然としていた。


 アズサは言う。


 「何があったのか知らないけど、あなた私妹のことを忘れてたみたいね」


 アズサは、軽蔑と疑念のまなじりをこちらに向けた。


 「一体、あなた何様のつもり? あんなことまでしでかして、被害者のことを忘れるなんて。挙句にわけのわからない幻覚まで見ちゃって。やっぱりあなたはどこかおかしいのね」


 記憶の奥底から、あぶくが湧き上がってきたことを雅秀は自覚した。


 大昔の遺物のように埋没された記憶は、一度引きづり出されると、芋づるのように這い出てくる。あたかも、そこで昔の人間が暮らしていた痕跡が明かされるように、全てが露呈されるのだ。


 脳裏に、色白の小柄な少女の容姿が蘇る。可憐な可愛い少女。




 二年前の出来事だ。ちょうど、雅秀が勤める工場が閉鎖され、路頭に迷った頃。自殺を考え始めた時期。


 雅秀はホームレス同然となり、なけなしの金を使い、ネットカフェに滞在していた。このネットカフェは、身分証の提示が必要ない店舗だったので、保険証も免許証もない雅秀にとっては好都合の場所だった。


 すでに雅秀は、その頃、自殺のことしか頭になかった。


 携帯電話も止められているため、ネットカフェのパソコンを使い、SNSで自殺志願者が投稿するメッセージを探す。


 相手は誰でも良かった。共に死出への旅路に同行してくれるのであれば。


 しかし、自殺志願者の募集に参加を表明しても、ほとんどが出会い目的や冷やかしばかりで、本気のものはなかった。自ら募集しても、それは同じだった。


 心中の募集さえ上手くいかないのか。雅秀は絶望に打ちひしがれた。


 そんな折、一つの投稿を雅秀は発見する。


 都内に住む一年の女子高校生だ。内容は自殺志願というよりは、家庭や学校の愚痴が多かった。自殺するほどではないが、生活に何となく不満がある。そんなレベルだ。


 雅秀はこれに目を付けた。その女子高生のいくつかの投稿を見て、受けた印象が『まじめで成績は優秀だが、繊細で大人しい』。もしかすると、『押せば』いけるのではないかと予想した。


 相手は女子高生だろうと、共に死んでくれる相手が欲しかった。これはチャンスだ。


 雅秀はその時から女子高生にアプローチし、積極的に自殺を勧めた。教唆という行為だ。


 次第に、女子高生の意識が変わり始めていった。そのことに雅秀は気づく。はじめは自殺など忌避していたのに、質問が返ってくるようになったのだ。自殺は苦しくないのか、どのような方法で決行するのか。


 雅秀は丁寧に説明し、苦痛は全くないと教えてやった。準備は全てこちらで用意するため、そっちは何も用意するものはなく、ただ参加するだけで良いと伝えた。


 まるで、デートの誘いだと思った。幾度も宥めすかし、少しずつ『その気』にさせる。色恋沙汰も自殺も似たようなものかもしれない。


 やがて、その女子高生は心を決めたようだ。共に自殺を行うことを約束してくれた。


 雅秀は歓喜する。自分のような負け犬が、女子高生と自殺ができるのだ。しかも、巧みに唆した挙句に。


 だが、一つだけ誤算があった。


 参加者がもう一人いたのだ。


 思えば当然である。希死念慮が生じたその女子高生は、書き込みにも変化をみせていた。雅秀とのやり取りは、SNSのダイレクトメールに移行していたものの、投稿はこれまでと同様に行っていた。そしてその投稿には、自殺企図を思わせる内容が含まれつつあった。


 そこで他の自殺志願者が目を付け、参加を表明してきたのだ。女子高生は、あっさりとその申し出を受け入れたらしい。三十代の男性だそうだ。


 雅秀は気に食わなかった。横槍を入れられた気分だ。自身としては、この少女と二人っきりで死にたかったのに。今まで自殺志願者との折衝は、なしの飛礫だったのに、ここにきて増えるなんて。


 それに、雅秀が苦労して自殺を教唆し、『その気』にさせた相手でもある。まるで彼女を奪われたような気分に陥った。


 だからといって、拒否するのも不自然に映るだろう。なにか良からぬことを企んでいると邪推されそうだ。下手をすると、弾かれるのはこちらになるかもしれない。


 もう一人の男の参加は、受け入れるしかなかった。完璧に望んだ通りには進まなかったが、目的は達成できるのだ。黄泉の国へ旅立つことこそが、自身の悲願なのだから。女子高生の同行は、あくまでおまけだ。


 自殺志願者三人で計画を練る。相談場所は、SNSのダイレクトメッセージ上だ。


 すぐに計画は纏まり、決行の日が訪れた。決行の場所は、都内近郊にある有名な公園。待ち合わせは近くの駅だった。


 そこで三人ははじめて顔を合わせる。『邪魔者』の男の容貌は眼中になく、ほとんど印象に残らなかったが、女子高生は別だ。


 雅秀は、その女子高生の容貌を見て、感動を覚えた。


 全国の女子高生の中でも、上位に入るであろう可愛らしい容姿を誇っていた。色が白く小柄で、子ウサギを想起させる可憐さがある。


 事前に高校一年生だと聞いていたが、外見は中学生くらいだ。とても幼げで、儚い印象を受けた。


 これほど素敵な女子高生が来るとは。人生最後になんて幸運なんだろう。


 上昇した心拍数を密かに整えつつ、雅秀はその女子高生と挨拶を交わす。ついでにもう一人の男とも。こいつはどうでもよかった。


 それから三人は、駅前のレンタカーショップで黒のワンボックスカーを借り、それに乗って公園へと向かう。ワンボックスカーは、『邪魔者』の男が借りたため、雅秀は同乗するだけで済んだ。お荷物も、ちょっとは役に立ったのだと思うと、少しは溜飲が下りた。


 公園に到着した三人は、駐車場で夜まで待つ。途中、少女を誘って公園内を見て回ったが、特に進展はなかった。


 やがて、夜を迎える。駐車場は無人となったが、解放はされていた。この公園は、観光名所ではあるが、人里から離れており、夜間帯は山奥のように、極めて人気が少なくなる場所なのだ。


 駐車場が無人になったことを確認した三人は、準備に取り掛かる。ワンボックスカー内の窓やドアの隙間をガムテープで目張りし、密封性を確保した。


 それから睡眠薬を服用し、練炭を焚く。これにより、車内の一酸化炭素が増え、人間は中毒死する。しかし、睡眠薬を飲んでいるため、苦痛はないのだ。オーソドックスな『練炭自殺』のメソッドだった。


 雅秀は後部座席でリクライニングを倒し、寝入る準備を整える。隣は女子高生。最高の状況だ。


 やがてまどろみが押し寄せてくる。まるで船に乗っているかのような浮遊感を覚えた。


 雅秀は運命に身を委ねる。死の運命。このまま船に乗り続ければ、あの世へと到着するのだ。下らない人生と決別できる。


 しかし、しばらくすると、心の底から恐怖が湧いてきた。冬眠していた羆が起きるみたいに、突然、むっくりと巣穴から怪物が這い出てきたのだ。


 雅秀は目を開けた。睡眠薬の効果のせいか、体が重かったが、何とか動けた。


 雅秀は後部座席側の扉に手をかける。だが、開かない。目張りをしているからだ。


 雅秀は必死にガムテープを剥がした。そして、まっさらになった扉に手をかけ、スライドドアを開く。


 雅秀は外へと転がり出た。大きく深呼吸をすると、新鮮な空気が肺へと流れ込んでくる。空気がこんなにおいしいとは思わなかった。


 それから雅秀は、開いているスライドドアを閉じた。無意識の行動だった。睡眠薬の効果が津波のように押し寄せ、正常な判断ができていないせいかもしれない。あるいは、恐怖に駆られ、パニックになってせいなのかもしれない。


 とにかく雅秀は、中にいる人間を助けることのなく扉を閉じてしまったのだ。


 そして、すぐに睡魔が訪れ、雅秀は車のそばで寝てしまう。


 朝日と共に起きた時には、車内の二人は死んでいた。傍目からはまるで寝ているだけのように見えたが、すでに物言わぬ躯と成り果てていた。


 雅秀は、怖くなり、その場を離れた。救急車や警察を呼ぶことなど頭になかった。

 駅へとたどり着き、そのまま根城にしているネットカフェへ逃げ帰る。


 そして、直後にパソコンからSNSのアカウントを消去した。登録はパソコンからだったので、消してしまえば、こちらの個人情報にたどり着く可能性は低くなる。その上現在、滞在しているネットカフェは、身分証の提示が必要ない低価格の店舗なのだ。


 雅秀はそのネットカフェを後にし、別のネットカフェへと移った。これで自分が自殺に関与した足跡は途切れたはずだ。とはいえ、警察が本腰を入れて捜査をすれば、いかなる犯罪者も逃げられないだろうが、しかし、自際問題『自殺』なのだ。警察がまともに捜査する可能性は低いかもしれなかった。


 そして雅秀は数日後、ネットのニュースで自殺の報道を目にする。女子高生と三十代の男の心中。間違いなく、あの時のだ。やはり二人は死んでいた。


 それから時間が経過する。警察は、いつまで経っても雅秀の元へとやってこなかった。


 職を得て、寮で暮らし始めてもそれは同じだった。つまり逃げ切ったのだ。


 ホッとすると同時に、雅秀の中にある変化があった。自殺の事件の記憶が急速に薄れ始めたのだ。


 自責の念が少しばかり心の奥底にあったのか、あるいは警察の捜査に対する多大なストレスがあったせいなのかはわからない。


 まるで薬物投与でも受けたかのように、時間の記憶は闇の底へと沈んでいったのだ。


 事件後一年も経過すると、自殺についての記憶は遠い彼方へと消え去っていた。忘却したのだ。


 それに反比例するように、元々から存在していた希死念慮が次第に表出してくる。


 現在働いている半導体工場での自身の立場も悪く、非正規雇用で、将来も見通せない。彼女も恋人もおらず、結婚すらできない。


 地の底を這う日々。


 雅秀は自身の人生を憂い、自殺を考えるようになった。


 しばらく、そのような時期が続く。


 やがて、雅秀はとある記事を発見する。二年ほど前の記事だ。


 その記事は、女子高生と、三十代の男が心中した事件を報せていた。公園の駐車場に停めてあった黒のワンボックスカー内で、練炭を焚き、自殺を行ったらしい。二人は特に接点はなく、SNSを通じて知り合ったようだ。


 雅秀はその記事を読んで、心底羨ましいと思った。


 『自殺するなら女子高生と』


 雅秀の中に、願望が生まれた瞬間であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る