第10話

 俺が次に目を覚ました頃には、カーテンが外の明るさを吸収してオレンジ色に光っている頃だった。さっき、お母さんが来てここでお茶を飲んでいたんだと思いだした。さっき出したお菓子が、皿に乗ったままテーブルに置かれていた。食器が好きだった栄子が買った物だ。


 時間がもったいないのだが、どうしても起きて何かする気にはなれなかった。


 インターホンが鳴った。何だろう。宅急便が来る予定はない。最近申し込んだふるさと納税の返礼品かなと思った。


 俺は起き上がってインターホンのカメラを見た。そこに写っていたのは、元妻だった。心臓が止まりそうになった。厚化粧で髪は白髪交じりだった。いかにもメンタルをやられていそうだった。


 俺は居留守を使うことにした。しかし、あちらは鍵を持っていたから、ガチャっと鍵を開ける音がした。内鍵がかかっているから、妻はドアをガンガン引き始めた。同時に何度もインターホンが鳴った。ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!明らかに異常だった。


 近所から苦情が来る…。俺は仕方なく妻の元へ行った。


「居留守使わないでよ!」妻が俺を怒鳴りつけた。

「ごめん。トイレ行ってて…出られなくて」

 俺はとっさに嘘をついた。

「何か用?」

「ちょっと話があって…」

「Lineで送ってよ」

「大事な話なの」

「何?」

「取りあえず入れて」

 俺は仕方なく部屋に入れた。もう夫婦ではないし、話合う義務なんかない。俺は妻にお茶を入れてやった。普段来客があることなんて滅多にないのに、一日に二回もお茶を入れているなんて自分でも不思議だった。


「実は…私たちの子どものことなんだけど」

 俺は何を言い出すのかと呆れていた。俺たちの子どもはもう18年前に亡くなっている。

「もう一回やり直さない?」

 妻は婚姻届けを持って来ていて、テーブルの上に置いた。

「あなたもまだ1人でしょ?」

「いいや。彼女がいる」

「嘘ばっかり。離婚のショックから立ち直れてないでしょ。もう一回結婚してあげる。次は顕微授精でも何でもするから。代理出産でもいいと思ってるの」

 家事もろくにやらないし、働きもしないで何を言ってるんだ?

 俺は呆れた。

「嫌だよ。もう、離婚したんだからうちに来るなよ。君の浮気で離婚したのに」

「浮気じゃない!私も子どもが欲しくて必死だったの!」

「別の人を探した方がいいよ。俺は子どもは無理だと思うし…。もう、来ないで欲しい。俺は俺の人生を送ると決めたんだから」


 俺は初めて自分の意思をしっかりと伝えた。妻は泣きわめいて、土下座して俺にすがって来た。それでも、無理だった。妻は明らかに精神のバランスを崩してしまっていたようだった。

 俺は「一度決まったことは絶対に覆らないんだよ。自分で言ったんだから諦めろよ」と言った。「君ならきっともっといい相手がいるよ。今はマッチングアプリとかもあるし。五歳以上年上の人と結婚する男もいる」と、励ました。


 妻を説得するのにかなりの時間がかかったが、最終的には諦めて帰って行った。

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