第8話

 俺は気が付くと大学生の頃に借りていた部屋にいた。俺は気が付いていた。夢の中で未来を見て来たんだ。俺が今住んでいるのは6畳のフローリングの1Kだ。シングルベッドがあって、閑散とした部屋で、他の家具はテレビと横にしたカラーボックスくらいしかない。彼女が来るからいつもできるだけ片付けるようにしていた。


 彼女の名前は栄子と言って、大学では美人としてちょっと有名な子だった。スタイルがよくて何度かモデルにスカウトされたことがあると言っていた。身長が165㎝くらいあって顔が小さくて、人目を引くタイプだ。


 一方の俺は勉強だけが得意で、何の取柄もない普通の学生だった。栄子に告白したら、「いいよ」と言われた。後日、何で俺と付き合ったのかと聞いたら、チャラチャラしてないところが良かったと言われた。誠実そうに見えたらしい。当時は10人くらいの男に告白されていたそうだが、みんな軽そうだからと消去法で俺が残った。俺が栄子と付き合った時は、みんな驚いたようだった。大企業の社長の息子とか超イケメンを抑えて俺は栄子をものにしたのだから。

 栄子は自慢の彼女だった。


 今日は彼女が来るんだ。俺はもともと片付いていた部屋に掃除機をかけた。ベッドのシーツは彼女が来る度に洗濯したものに取り換えていた。カビが生えやすい風呂場も掃除した。俺は掃除をしながら、もし俺が栄子と結婚したら、ものすごく不幸になるんじゃないかという不安に駆られていた。


 栄子は女王様気取りの嫌な女だ。俺を使いっ走りみたいに思っている。一応彼氏ではあるけど、時々、キープされているだけのような気がして来る。


 やがて彼女がやって来た。

「相変わらず物がないね」

「俺、ごちゃごちゃしてるの好きじゃないから」

 近くで見ると相変わらずかわいいし、ストッキングをはいた足はいやらしくて手放すのは惜しかった。


「話があるの」

 別れたいと言われるのかと思った。

「実は私…妊娠してるの」

「え?」

 夢と同じ展開だ。

「どうしよう」

 俺は何も答えられなかった。産めばとは言えないし、堕ろせなんて言ったら人格を疑われる。


 俺は夢で会った息子のことを思い出していた。ちょっと知恵の足りない甘えん坊の子どもだ。知的障害がありそうだった。そういう子を育てて行けるだろうか?これからやりたいことの大半を諦めて、子どもの世話にかかりっきりになれるだろうか。それどころか一生手がかかり続ける可能性もある。きっと一人っ子になる。


「流すにはどうしたらいいんだろう…トライアスロンとかやればいいかな。冷たい海で泳いで、倒れるまで自転車漕いでたら自然に流れるかな…」

 栄子は半笑いで言った。

「病院行けば?」俺は正論を言った。

「病院代出してくれる?」

「うん」

 俺は預金残高を思い浮かべてみる。バイト代と仕送りで三十万くらいはあった。


 障害のある子は小さい頃はいいけど、大きくなったら大変というのは、母親が言っていたことだ。特に困るのは知的障害の方だという。


 しかし、そういう子にだって生きる権利はあるだろう。

「産んで養子に出せば?」

「馬鹿じゃないの?何言ってんの!私の経歴に傷がつくじゃない!」

「ごめん」

 自分で育てられる訳でもないのに、余計なことを言ってしまったと思う。

「取りあえず病院行く」


 何とかして止めたいけど、止めたところで俺は何もできない。大学中退で就職したとしたら、あまり条件のいい会社には入れそうにない。その給料で子どもを養えないし、見栄っ張りの栄子がそんな男と結婚するはずがない。子どもを産むという選択肢は絶対になかった。

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