第7話

 この話の結末を書かなくてはいけない。

 人生も小説みたいにある種の結末がある。しかも、小説以上に過酷で予測不可能だ。


 妻が出て行って半年くらい経ったころだろうか。

 妻の親、つまり、もと義母から連絡が来た。

 俺に会いたいそうだ。

 多分、子どもが生まれたということを直接言いに来るんだろうと思っていた。


 俺はどうせ面倒な込み入った話だろうと思ったから、外で他人に聞かれたくなくて、自宅のマンションに義母を呼んだ。妻と二人で住んでいた3LDK。家族が増えると見込んで買ってしまい、変動金利で三十年ローンを組まされていた。俺の名義だから、そのまま俺が住んでいる。もしかして、財産分与の話だろうか。俺に貯金なんかはない。妻が使ってしまったからだ。


 俺はお義母さんをリビングに通してお茶を出した。

 俺は努めて明るく振舞った。


「お母さん、お元気でしたか?コロナ大丈夫でしたか?」

「ええ。おかげさまで」

 お義母さんは以前と変わらない様子だった。俺のことを、元々そんなに嫌っていなかった。

「今もコーラスの方は通っておられるんですか?」

「いいえ、コロナの頃から会が活動しなくなっちゃって…今もやっぱり感染が気になるからもう行ってないのよ」

 お母さんはしばらく習い事の話をしていた。


「あなたは元気そうね」

「ええ。今のところ持病もなくて元気です」

「一人で不自由じゃない?」

「いいえ。一人暮らしですけど。もともと家事は好きだったんで」

 そうだ。俺は何てできた夫だっただろう。土日は家の掃除、平日も毎日何かしら料理をしていた。

「本当にねぇ。聡史さんは真面目だし、優しいし。何で離婚しちゃったのかしらねぇ」

「いえ…僕の場合は子どもができませんでしたから」

 俺はちょっと悔しかったし、惨めでもあったけど、どうせ実家で話しているだろうから事実をありのまま認めた。結婚する前はと言われるのに、結婚すると子どもはとせっつくのだから奇妙だと思う。あんたたちに何の権利があるのかと言ってやりたかった。


 しばらく、沈黙があった。


「栄子の赤ちゃんね…実は死産だったの」

「え?」

 俺は固まった。何となくそんな気がしていた。妻はそれまでも何度か流産を繰り返していた。もしかしたら、一番最初の子どもも生まれて来れなかったかもしれない。

「で、結婚するはずだった相手の人も逃げちゃって」

「え。どうしてまた…」

「子どもが亡くなって精神的に落ち込んでしまって。今、クリニックに通ってるの。相手の人も無責任で、朝起きたらいなかったんですって…。荷物とかも置いてって、全部捨ててって言ってるみたいなの…。マンションの家賃もあの子が出してたから、本当にヒモって感じの人だった。仕事もフリーランスでデザインとかやってるって言ってたけど、全然食べられていないみたいで」

 俺は黙って聞いていたが、また娘を引き取って欲しいと言われる気がした。


「お腹の子は順調だったけど、ある日突然動かなくなっちゃって…病院に行ったら心臓が止まっていたって。かわいそうだった。せっかく産んでも埋葬しないといけない子を出産しないといけないなんて…」

「そうですか…」


 そんなことがあったら精神的に参るのも当然だったろう。しかし、元の生活に戻りたくはなかった。妻に対する愛情もなかった。


「聡史さん、今も一人?」

「いいえ。僕、今は恋人がいます」

「そう。栄子の力になってもらえない?」

「いえ。僕はもう恋人がいて結婚の話も出ているので…」

「来るのが遅かったわね…」

「栄子さんから離婚を切り出されたので…僕としてはそこから気持ちを切り替えて、新しい人生を歩んで行こうと決めてましたので」

「もう、あの子を愛してない?」

「はい。残念ですが。栄子さんもそうだと思います」

「違うの。栄子は離婚しなければよかったって言ってるの」

「でも、もう僕たちは終わったんです。僕には新しい相手もいるので…お力になれなくてすみません。栄子さんだったら、きれいだし、すぐに新しい恋人ができると思います」

「でもね。子どもができないからねぇ」

 他の男が断るような人を俺に押し付けようとしているなんて、腹立たしかった。

「今は夫婦で暮らしたいっていう人も増えてますから…」

 俺はそう言ってお義母さんを励ました。最終的にお義母さんは納得せずに帰って行った。


 俺はお母さんが帰った後、ソファーで本を読みながら考えていた。もし、元妻が子どもを産んでたら、どんな人生だったろうか。俺は子どもがいることを黙って就職活動をして、妻はそのまま家庭に入っていれば。こんな風にはなってなかっただろう。   


 または、俺が栄子ときっぱり別れていればよかった。俺は18年もの長い歳月を無駄にしてしまった。おおよそ人生の半分だ。俺の体の半分が崩れ去ったようだった。


 俺はしばらく天井を見ていて、うとうとと眠ってしまった。


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