第6話
妻がどんな男と付き合っていたのかは知らないが、念願叶って妊娠したのは38歳の頃だった。その年齢で妊娠するのはけっこう珍しいんじゃないだろうか。妻の場合は実に18年ぶりの妊娠ということになる。
妻は俺が目の前にいることも気にせず大喜びしていた。あんなに嬉しそうな人間を見たのは初めてだった。まるでビートルズの来日に狂喜しているファンのようだった。目をらんらんと輝かせてありもしない何かを見ていた。
当時のファンは興奮で失神する人が続出したらしく、失禁したり、口から泡を吹いて倒れる映像を何度か見たことがある。今はジャニーズやBTSにだってそんなファンはいないだろう。
妻は俺に妊娠報告するのと同時に離婚してくれと言って来た。妻は役所で離婚届をもらって来ていたから、俺はその場で記入した。俺が叶わなかった子作りという作業を別の男が安々と成し遂げたのであるから、屈辱ではあった。
俺は戦力外通告を言い渡されたことになるが、ようやく肩の荷が下りた瞬間だった。
なぜそんなに離婚を急ぐのかと思ったが、妻としては女性は100日間の再婚禁止期間があるから、早く籍を抜きたかったらしい。子どもの父親とは結婚の約束ができていた。
(上記の禁止期間は2024年4月に廃止が決定したようだ)
妻は朝まで待ちきれずに、その離婚届を役所の時間外受付窓口に出しに行った。そして、そのままいなくなってしまった。
「離婚届出してきたよ」と、女からLineが来ていた。
「今までありがとうございました」
なんだ、割といいやつじゃないか。俺はそのメッセージを見て思った。
これから妻はまともになるかもしれない。新しい旦那が憎たらしかった。二人には未来がある。
でも、俺も晴れて自由の身になったわけだ。
俺は今日から独身だ!
やった!再婚するぞ!俺はガッツポーズをした。
よし!
本当に本当に長い18年間だった。
これからは、種無しと責められることもないし、種馬のように決められた日に子作りをさせられることもないんだ!これからは人間らしく生きられる。
俺は息子の位牌をリビングの棚に飾った。それまで、位牌は引き出しにしまわれていたのだ。妻は息子を顧みることがなかった。
「薫。ママが出てったよ」
俺は晴れやかな顔で言った。
位牌からは何の反応もない。当然だ。
俺はリビングに息子を連れて来たものの、寺に引き取ってもらおうかと思っていた。理由はわからない。持っていても意味がない気がして来たからだ。生まれて来なかったのだから、意思も感情もないはずである。俺がただ子どもを忘れられないだけなのだという気がした。
「そろそろ、お前のことも供養しなくちゃな」
墓を建ててやろうか…。亡くなった人はそういうのを一番喜ぶと思って考えていた。
しかし、骨もないのに?
寺の人には何ていうんだ?
それにしても遺体はどうしたんだろう。
医療廃棄物として焼却されたんだろうか。
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