第32話敵わない

 休日の昼下がり。俺は決まってこの時間に読書をする。

 始めた理由はなんとなくだ。室内でできる趣味が欲しいと思って片っ端から手をつけていって残った一つがこの読書だ。

 この時間帯はいつも穏やかな空気に満ちている。暖かな日差しが心地よい。休日の時間をたっぷり使ってのんびりとするこのいっときが俺は大好きだ。

 そして読書のお供はコーヒーだ。いいところまで読んで寝落ちしてしまうとなんだかもったいない気分になる。だからコーヒーを飲みながら読むことが多い。冴え渡る苦味が俺の頭をすうっとさせてくれる。

 …あ、もうなくなってきたな。もう一杯ぐらい飲みたいな…


「湊くん、はい」


「あ、ありがと」


 玲奈がコーヒーの入ったマグカップを差し出してきた。俺は玲奈の手からそれを受け取る。…ちょうどいい温度。

 玲奈はどういたしましてと一言添えると俺の隣に腰掛ける。二人で座るには少し広いソファだが、いつも玲奈が詰めて座ってくるためサイズはあまり関係ない。

 いつものことだが、玲奈は俺の思考を完全に読み切ってくる。さっきみたいにコーヒーを用意してくれたり、気分で朝風呂に入ろうとすると先回りして浴槽に浸かってるし、少し寒いと思ったらすぐに抱きついてくるし…本当にどうやったらこんな芸当ができるのか。もはや超能力者なのではないかと思ってしまうが、彼女はストーカーである。超能力者なんていう生ぬるいものではない。

 勘であてるぐらいなら誰にでもできると思うかもしれない。玲奈の場合は勘だけではない。俺の癖から先の行動を読み切って行動している。風呂に入った後はサブスク起動して待機してくれてるし、俺がアラームをかけるのを忘れていたら勝手にセットしておいてくれる。無駄のないその動きはAIのそれだ。

 …この人は俺の頭の中を覗き見ることでもできるんだろうか。その行動原理はどこから来てるんだ…絶対俺の癖以外にもあるだろ。


「…どうしたの湊くん?なにか聞きたそうな顔してるけど」


「…玲奈って俺の心すぐ読んでくるよね。超能力者かなんかなの?」


「そんあわけないじゃない。私は湊くんの全てを知ってるの。貴方の癖は全て分かるし、その後の行動は40通りまで推測できるわ。これも観察の賜物ね」


 40通り!?…この人俺のことだったらAIに勝てるんじゃないだろうか。大体人の癖を全部覚えてる自体おかしいことなのだが、この人はその一歩先までいっている。脳内が俺のことで完成され尽くしている。


「もう人知を超えてる気がするけどね…」


「やってみると案外簡単なものよ。毎日観察記録をつけて、行動原理を推測して…」


 …簡単に言ってくれるな。淡々と彼女の口から出てくるえげつない行動の数々に俺は呆然とするしかなかった。


「…とんでもないっすね」


「湊くんのストーカーとしてこのぐらいは当然よ。湊くんもやってみたら?」


「止めておきます。…とんでもなく途方もない作業になりそうなので」


「そう?物は試しよ。試しに今私がなにを思ってるか当ててみて」


 「えぇ…まぁやってみるか」


 隣に座る玲奈の顔を見つめる。いつもととりわけ変わった様子はない。細かな変化は出ているのだろうが、はっきり言って俺には分からない。…相変わらず整った顔立ちだな。この距離感が普通になってしまっているけど、2ヶ月前の俺に言ってもきっと信じないだろうな。

 

「…どう?」


「…少し眠いとか?」


「ん〜、残念。正解は『湊くんに見られて興奮しちゃう』でした」


 分かるかそんなの。全く興奮してる様子なかったんだが。この人もしかして俺に見られてる時常に興奮してるのか?怖…


「やぁっ、だめ、そんな目で見ないで…♡」


「…そんな変な視線で見た覚えは無いんですけど。まだ盛るには早いですよ。なんですからゆっくりさせてください」


「じゃあ夜だったらいいのね?今日の夜は寝かせないから♡」


 …明日の俺の腰が終わることが今確定した。明日は一日ベッドの上だな。


「それじゃ、今夜の予定も確定したところで次よ。私が今、なにを思ってるか分かる?」


 再び玲奈の顔を見つめる。あまり長い時間見つめているとまた興奮するので手早く決着をつけることにしよう。

 先程よりも身をかがめた玲奈は上目遣いで俺を覗き込むうような体勢だ。その綺麗な青い瞳は俺を映す。

 人並み以上のサイズを誇る彼女の胸部はたゆんたゆんとわずかに揺れて俺を誘惑してくる。俺の視線は顔以上にそっちに向けられた。男子高校生の性だ。多感な時期の俺が抵抗できるはずもない。


「湊くん、そんなに見られると恥ずかしいわ」


「…ッ!す、すいません…」


「ふふっ、冗談よ。好きなだけ見て好きなだけ揉んで頂戴」


「…それは後にしておきましょうか」


 彼女が自らの胸に実ったそれを両手で持ち上げて誘惑してくる。我慢だ。我慢だぞ俺。まだ昼だ。今からヤッたら枯れるのは俺の方だぞ。

 小悪魔的な笑顔を浮かべる玲奈を前に俺は自らを自制した。…下半身がつらい。 


「それで、私がなにを考えているかは分かったかしら?」


「…わかんないっす」


「正解はこれよ」


 玲奈の左手が俺の頬に添えられる。右手はスルスルと俺の背中に周り、俺の唇にキスを一つ落としてきた。リップ音の後にじんわりと広がる熱が余韻として残った。


「なっ…」


「ふふっ、愛しの湊くんの唇を見ていたら奪いたくなっちゃったわ。ごちそうさま」


 …ダメだ。夜まで持つ気がしない。この人はいちいち俺を誘惑しないと気がすまない生物なのだろうか。

 俺の全てを知り尽くした玲奈は俺の好みなど当然脳にインプットされている。俺を誘惑することなど、彼女にとっては容易なことだ。悔しいがどストライクである。


「ふふっ、湊くんもまだまだね。でも大丈夫。これから知っていけばいいんだから」


「…そうっすか」


 素っ気なく返した俺の顔を見て、玲奈がまた微笑んだ。不思議に思う俺に玲奈が言う。


「湊くん、ベッド、行く?」


「…はい」


 …この人には、敵わない。

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