第31話ティータイム

 人々が行き交う駅前。時刻は午後4時を回ったばかりだが、駅前は人々で溢れかえっている。

 ここはいつ来ても人の行き交いが絶えることがない。観光に来たであろう外国人。疲れ目を擦るサラリーマン。旅行帰りの家族。様々な人物がこの駅前を行き交うのだ。

 そんな人達を横目に俺は木製の椅子に腰掛けている。学校が終わった俺は玲奈につれられて駅前のカフェに来ていた。

 最近のこともあってか気分転換も大事ということで玲奈の提案で今ここに座っている。

 この駅前のカフェは玲奈は初めてのようだったが、俺にとっては酷く見覚えのある場所だ。そう、あの夢で見た場所である。あの出来事と俺とには腐れ縁ができてしまっているようだった。


「いい場所ね。店内の雰囲気も落ち着いていて素敵。来てみたかったのよね」


「へぇ〜…」


 一歩間違えると夢のことについて言及されそうなので俺は口を噤んだ。流石にここで言及されると周りの目が痛い。


「あ、ねぇあれ玲奈さんじゃない?」


「ほんとだー!隣のは…確か湊くん?だったよね?」


「あの二人急に仲良くなったよね〜。玲奈さん、湊くんと一緒の時は笑顔が多いしもしかして…?」


 …警戒した途端にこれだ。俺の視界の端には玲奈と同じ制服を着た生徒の姿。俺と玲奈を見てなにか話している様子だった。

 いつになってもこの視線には馴れない。玲奈との登校を始めてから1ヶ月ほど経ったが、俺たちを見る生徒の視線は変わらない。周りからしたら急に異色の二人が仲良くなったものだから不思議に思って当然である。

 未だに俺は視線を向けられると心拍数を上昇させてしまう。以前の星導の一件もあって無意識に警戒心を高めてしまうのだ。

 あれからは襲撃などはもちろん受けていないが、玲奈のファンなど学園の至る所にいる。警戒しておかなくては。万が一の事があっては大変だ。


「ていうか、湊くんもいい顔してない?私結構タイプかも〜」


「それな〜!なんか目元がキリッとしてるところとかいいよね〜!」


「…」


 …玲奈がすごい目で睨んでいる。ここは見て見ぬふりでもしておくべきだろうか。

 

「…なんか寒くない?」


「…それな〜。暖房ついてんの?」


 玲奈の威嚇を受けて二人の女子生徒は体を震わせていた。…恐るべき虜美人。目線だけで獲物をここまで追い詰めるとは…

 このまま放置はあの生徒達に申し訳ない。ここはなにか気を逸して…


「…玲奈。恋歌さんのことだけど」


「…恋歌さんがどうかしたの?」


 …やべ。

 注意を引くのには成功したが、玲奈の瞳から光が抜け落ちた。いったい見るのは何度目なのか分からないその真っ黒な瞳にさらされる。今にもナイフを取り出して刺殺してきそうな勢いだ。

 …まぁどっちにしろ聞いてみたかったことだし話すか。


「…あの人と話した時、不思議な感覚になったんだよね。なんか、存在しない記憶が浮かび上がってきたというか…」


「不思議な感覚?…大丈夫なのそれ。変な薬とか飲まされてないわよね?」


「どの口が言ってんすか。飲まされてませんよ」


「…記憶改ざんかしら?でもそんな芸当できるはず無いし…」


 顎に手を当ててブツブと呟く玲奈。ありとあらゆる可能性を整理して潰していくその姿はさながら探偵といったところか。以上なまでの推測力とその勘はストーキングの賜物だろう。


 恋歌は俺にとって不思議な存在だった。適当な会話をしている間はなんとも思わなかったが、彼女が俺のことについて言及した途端、俺の脳内にはなにかの記憶のようなものが浮かび上がった。

 今までこんな現象に出会ったことはないし、そんな人間に出会ったこともない。俺にとって初めての経験だった。

 …もしかしたら霊的なにかなのか?


「なにか催眠術とか使えるのかと思って聞いてみたんだけど…違う?」


「恋歌さんとは度々話すけど、そんな話は聞いたことがないわ。…けれど、軽視もできないわね」


 玲奈は重くそう呟いた。戸惑う俺に対して玲奈は申告そうな表情だ。…え?なんかまずいことあったのか?


「もし仮に湊くんを操ることができるなんて芸当ができるんだとしたら…自由に操れるのだとしたら…そんなの、ずる…許せないわ」


 …最後に欲望が漏れ出したが、気にしないでおくことにしよう。

 分かりやすく咳払いで体裁を整えようとする玲奈に俺は苦笑した。この人は頭がいいのかそうじゃないのか…

 これ以上この話をしてるとまずい気がする。色々と。とりあえず、注文でもしておくか。


「とりあえず、注文しておきません?すいませーん」


 俺がカウンターに向かって呼びかけてから程なくして店員が注文表を片手にやってきた。この店の名物はパンケーキだ。口の中で溶けるまさに雲のような食感のパンケーキは度々テレビでも取り上げられている。

 俺はキャラメルバナナパンケーキとブラックコーヒー。玲奈はベリーパンケーキとカプチーノを注文した。

 注文し終えると店員がカウンターへと消えていく。再び二人となったテーブルで玲奈が俺に怪訝そうな視線を向けてくる。


「湊くん、妙に注文がスムーズだったわね。…もしかして来たことある?」


「え、あ、まぁ以前にちょっとだけ…」


「ふーん…」


 …ダメだこれ。めっちゃ怪しまれてる。一人で来たって行っても信じて貰えそうにない。…どうしたものか。


「…今回は不問にしておいてあげるわ。今回は気分転換も兼ねたお出かけだもの。これじゃ気が休まらないわ」


 どうやら天は珍しく俺に味方してくれたらしい。今回は窮地を脱することができたようだ。この調子でいつも俺に味方してくれれば助かるのだが。


「たまには外に出てみるのもいいわね。湊くんとデートだなんて、夢にまで見た景色だわ…」


「玲奈はもしかしてインドア派なの?」


「えぇ。ちょっと前までは湊くんの声を聞くために毎日床に耳を当てていたから外に出るときは湊くんが外に出る時ぐらいよ。以外だったかしら?」


「…そう言われるとそうでもないかも」


 そうだこの人俺のストーカーなんだった…俺がインドア派だから必然的に玲奈もそうなるのか。床に耳をあてて俺の声を聞き取るとは、中々な荒業だな…うちのマンション、結構防音効いてるんですけどね。相当耳いいぞこの人。

 こんな調子で俺と玲奈はくだらない会話を続けた。クラスで奏音がうるさいだとか、俺のことに関して女子達から質問攻めされるだとか、この前脱衣所で監視カメラ見つけただとか。

 考えてみれば最近は来客やらなんやらでこうやってゆっくり話す時間も少なかったように感じる。偶にはこういうくだらない話をすることも大切だ。適度にガス抜きをしておくのが人生をうまくいきる上でのコツだと母さんが言っていた。


 数分ほど談笑に花を咲かせていると、店員がパンケーキを持ってやってきた。続いてブラックコーヒーとカプチーノがテーブルに置かれる。


「これが…!」


 玲奈はパンケーキを前に目を輝かせていた。案外女子らしいところもあるものだ。パンケーキに喜ぶその姿はまさに年相応の反応だ。

 

「じゃ、食べますか」


「えぇ。少しもったいない気もするけど…」


 柔らかいパンケーキにナイフを立てて、一口サイズに切り分ける。添えられたバナナと一緒にフォークで突き刺して口へと運ぶ。

 芳醇なバナナの香りの後に襲ってくるバターとバナナの波状攻撃が俺の舌の上で踊る。パンケーキは俺に幸福感を与え、口の中に含んで数秒で最初からなかったかのように消えていった。

 ここのパンケーキは相変わらず美味しい。始めてきた時は目の前の玲奈のような反応をしたものだ。


「ん〜!」


「ふふっ、美味しいですか?」


「えぇ。ベリーの甘酸っぱさの中でパンケーキの味が際立っていて美味しいわ。はい、湊くん。あーん」


「あーん…」


 玲奈が差し出してきたパンケーキを口に運ぶ。ベリーソースの甘酸っぱさの中でパンケーキの素朴な甘さが輝いている。…ベリーにするのもありだったな。


「…おいしいですね。こっちのもどうぞ」


 バナナパンケーキを玲奈の小さな口でも食べれるようなサイズに切り分けて差し出す。玲奈は少し見を乗り出して口に運んだ。口に入れた途端に彼女の表情がぱぁっと明るくなる。分かりやすく喜んでいるところがなんとも可愛らしく見えて、俺は思わず微笑んでしまった。

 

「ねぇねぇ、あれ!」


「きゃ〜!ラブラブじゃん!目の保養だわ〜…」


 …?なんかキャーキャー聞こえる…なにかおかしいことでもしたか?いや、そんなはずは…俺はただ玲奈とあーん…

 その瞬間に俺は自覚した。このあーんという行為がとても恥ずかしいということに。いつもは家で平然とやっているから忘れていたが、あーんという行為は本来カップルがイチャイチャするときに行われるものだ。

 つまりこの状況、俺は周りに玲奈とのイチャイチャを見せつけてしまっていたことになる。それを自覚した俺はかぁっと顔を真っ赤に染め上げた。


「…ッ〜」


「どうしたの湊くん?顔が赤いわよ?」


「いやっ、何でも無いっす…」


 一旦平静を取り戻そうとブラックコーヒーを口に含んだ。冴え渡る苦味が俺の頭を冷静にさせてくれる。…そうだ。落ち着け俺。ここで焦っても俺に独りよがりだぞ。


「あ、湊くん。それ一口頂戴」


「…これですか?玲奈のカプチーノまだ残ってますよね?」


「いいから一口頂戴」


 玲奈はコースターに置いた俺のコーヒーを指さしてそう言ってきた。なんのつもりだろうか。薬でも盛る気か?

 なにを考えているのかは分からないが、変な事をするわけでもなさそうだったため俺はコーヒーを彼女の方に差し出した。


「ありがとう。…これが、湊くんが口をつけたカップ…はぁ、はぁ…このまま胃に収めて永遠に私のものにしたい…」


「…止めてください。腹壊すとか言う話じゃ済まなくなりますよ」


 …この人は間接キスに敏感過ぎるようだ。なんだ胃に収めたいって。どういう感情なんだそれは。

 玲奈は荒ぶる息を抑え込みながらコーヒーを口に含んだ。…俺の呑み口を正確に捉えて数秒間舐めていたのは黙っておくことにする。


「ありがとう。湊くん成分が体内に入ってきて幸せよ」


「…それはよかったですね」


 この人たまに急に変人になるよな…なんなんだろう。それさえ抑え込めれば完璧なんだけどな。

 先程の変人はどこに行ったのやら、玲奈は毅然とした態度でパンケーキを食べ進めている。温度差で風邪を引いてしまいそうだ。


 なんだかこの感じも既に慣れっこになってしまっていて、妙に安心感を覚える。こうやって二人でデートするというのも悪くない。周りの目は多少気になるが、それ以上に俺は玲奈といる事に喜びを覚えていた。美しく笑う彼女の横顔が、楽しそうに話す自慢げな彼女の表情が、俺の手を握ってくれる彼女の暖かな表情が、愛おしく感じてしまう。

 パンケーキを頬張るその姿は可愛らしくて、改めて玲奈の顔の良さを知らしめられる。虜美人はたしかに俺の心を掌握していた。


「…ねぇ玲奈」


「なに?」


「…ありがとう」


「…なによ改まって。いいのよ。私は湊くんの隣にいれるだけで満足なの」


 ふふっ、と玲奈が微笑む。どうしようもなく、愛おしい。

 ゆっくりと過ぎていく放課後。俺は愛おしい彼女とのティータイムを楽しんだ。

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