第20話最初の山場

「玲奈ちゃんの料理美味しかったわ〜!こっちが教えてほしいぐらいよ」


「お口にあったのなら何よりです」


「…」


 …なんでまだいるんだこの人。

 午前の一幕から数時間。四人で晩御飯を食べ終えた俺はテレビのリモコン片手に横目で玲奈との会話を楽しむ母さんを監視していた。

 監視していないとこの人はどんな余計なことを言うのか分からない。そのせいで家だというのに心を休めるどころか、張り詰めるばかりだ。


 どうやら大荷物の理由は一泊するからだったようで、明日まではここにいるらしい。…出来れば早く帰って欲しいところではあるが。


「家事もできて容姿端麗だなんて、いい彼女さんを見つけれてよかったな湊」


「あぁ、うん…」


 隣でコーヒーを啜る父さんに俺は曖昧な返事を返す。この人は知らない。彼女には重大な欠陥があることを。

 そのことを今にでも伝えたかったが、彼女の目の中にはいつも俺がいる。その澄んだ水面のような瞳からは想像できないほどのドロドロな感情が俺を縛り付けているのだ。まったく、動きにくいったらありゃしない。

 今回のところは大人しくしておくべきだろう。出来ることがあるとすれば、次の機会に備えて作戦でも練っておくべきか。

 特に見たい番組もない俺は適当なチャンネルに回して内容を楽しむこともなく、ただ眺めていた。


「あ!この人前ドラマで見たイケメンの子じゃない?ん〜!かっこいいわ〜!」


 玲奈と談笑していたかと思えば、今度はテレビに食い入るように見入っている。本当に落ち着きの無い人だ。

 俺と父さんの間に一人分空いていたスペースに座り、俺からリモコンを奪い去る。…別に人が見入っているところでチャンネルを回すほど悪趣味では無いのだが。

 俺のささやかな抵抗の眼差しなど気にも止めず、母さんはテレビの中でにっこりと笑うイケメン俳優に見入っている。


「あの人、最近なにかと話題よね」


「そうなんですか?…あんまり見ないから分からないんですけど」


「なんでも、100年に1人のイケメンだとか豪語してるらしいわ。湊くんのほうがイケメンよ」


 …さらっとそういうことを言わないで欲しい。俺の心臓が持たない。

 玲奈の一言にどぎまぎしながらも俺は平然を取り繕う。ここで照れるのはなんだか負けな気がする。

 きっと、この感情も彼女にはお見通しなのだろう。俺を知り尽くした彼女には俺の心の内を読むなんて容易だ。思考を読まれては苦悩する日々の中で分かった一つのこと。

 それと同時に思うのが、彼女の胸の内はまったく見えないということ。彼女は俺に自分のことは何も話さない。

 彼女の好きな物。彼女の誕生日。彼女の過去。どれだけ目を凝らしても見えてこない。

 一切の揺らぎすら見えないその瞳の奥には何が潜むのか。今の俺には到底分からないことだった。

 少しでも彼女のことを知れたなら、俺を縛る理由も少しは分かるのではないか?弱みを握れるのではないか?

 俺を周りを取り巻く彼女への疑問は尽きることはない。


「きゃ〜!聞いた絢斗さん!二人ってやっぱりラブラブなのね〜!私も絢斗さんの方がイケメンだと思うわ!」


「ふふっ、ありがとう」


 …ダメだ。この甘々な空気に俺の思考が遮られる。まったく、少しは俺達に気配りぐらいしてくれたっていいのにな。

 おもむろに腰を上げた俺の足は風呂へと向かう。その背中を玲奈が止めた。


「湊くん、お風呂?」


「…はい。入りましょう」


「分かったわ。…お母様、お先に入らせていただきます」


「うん!ゆっくりね〜…って、えぇ!?」


 俺達がリビングを出たところでようやく気がついたのか、母さんの素っ頓狂な声が聞こえた。…気にする必要はないだろう。






 玲奈を膝の上に据えて、二人で浴槽に浸かる。少し狭い気もするが、彼女曰くこれがいいのだとか。

 既にいつも通りとしてこの状況を呑み込んでしまっている自分に呆れながらも俺は疲れをとるように息を吐いた。

 

「ふふっ、今日はお疲れの様子ね?」


「…えぇ。久しぶりでいきなりあの空気に浸かるとちょっと来るものがあるっすね…」


「そう。私は好きよあの雰囲気。暖かくて、家族って感じじゃない?私の理想系にかなり近いわ」


 暖かい、家族のような雰囲気。自分の理想だと語る彼女の背中はどこか遠い物を見つめているような哀愁に包まれていたような気がする。


「…行っておきますけど、俺はあんなに堂々とイチャイチャ出来ませんからね?」


「えぇ。分かってるわ。湊くんが隣にいてくれるならそれでいい」


 玲奈が俺の片手を握って呟く。その愛おしく撫でるような声には彼女の願望も詰まっているような気がして、いつも支えてくれる彼女の弱い部分でもあるように思えた。


「玲奈の家族はどんな感じなの?」


 ふと気になって聞いてみる。玲奈は人差し指を口元に当てて考えるような仕草をとると答える。


「ん〜…パパはいっつもママの相手って感じで、お姉ちゃんはいつも私の相手をしてくれてたわ。だからお姉ちゃんの方が仲がいいかもね」


「お姉ちゃんいるんだ…」


 玲奈の姉。ここにきての新事実に俺は瞠目した。

 お姉さんもまた"こういう"性格をしているのだろうか。話を聞く限り、玲奈の性格はお母様譲りだ。血と遺伝には抗えないのが人間という生き物。きっと彼女ら一族はこういう性格をしているのではないかと考えた。


「…湊くん?あなたまだ失礼なことを考えているわね?」


 俺の思考を見抜いた玲奈が後頭部を使ってぐいぐいと押してくる。この人は俺の顔を見なくても思考を読めるらしい。…軽く人間の範疇を越えるのはやめて欲しい。


「考えてませんよそんなこと」


「嘘よ。いつもより声が半音高いわ」


 今まで心拍数、表情などで読まれていたが、今度は声の音程とは。この人は本当に底が知れない。

 …ストーカーはみんなこうなのか?…いや、彼女が特別なだけだな。


「…バレました?」


「バレてるわよ。あまり私を舐めないことね」


 つんとした態度をとる玲奈の頭を撫でる。彼女の取り繕った態度は途端に蕩けるような表情に変わり、満足そうに喉を鳴らした。


「んぅ…湊くん…♡」


「…」


 蕩けた表情の玲奈を見た途端に俺の脳内には昨日の夜の出来事がフラッシュバックした。彼女はいざ攻められると弱い。その時の目にハートを浮かべたような表情は強烈に俺の下半身を刺激した。


「湊くぅん…んぅ…」


 …まっずい。非常にまずい。

 昨日の彼女が目の前の彼女と重なる。その絶望的なまでに俺のそれを刺激する表情は俺に牙を剥いた。

 このままでは俺の理性が決壊しかねない。今すぐにでも離脱しなければ…!


「…そろそろ上がりましょうか」


「まだ…まだ撫でて…」


 脱出を試みるも、膝の上の玲奈が動く気配は無い。…困ったことになった。

 膝の上で微かに動く好ましい感触が俺を誘惑してくる。このままだと耐えきれない。


 理性が限界に近づく中で膝の上にはクラスの男子全員から好意を向けられている彼女。母さん達はリビングできっとイチャイチャしていることだろう。状況が、状況が出来すぎている。

 今やってしまえばバレることなくかつ気持ちよく終われるだろう。この上無い快楽に身を任せてしまえば。


 だが、それでも俺は負けたくなかった。


「ぅん…湊くん?」


「…」


「ひゃっ!?」


 玲奈の脇に手を回して持ち上げ、膝の上から退かす。

 俺は彼女に何の断りも入れずに風呂を出た。




「ふぅ…」


 あれから数十分後。なんとか危機を脱した俺はリビングにてソファに沈んでいた。元日からいきなりの苦労に疲労感が凄い。

 あの時一秒でも判断が遅れたらどうなっていたことか。…想像に容易い。

 手放してしまえば、すぐにでも沈んでいってしまいそうな意識をなんとか保ち、俺は玲奈の待つ自室へと足を向ける。

 

 あの後謎に対抗心を出していた母さんを風呂に入らせて、玲奈の部屋で寝てもらうことにした。無論、ダブルサイズのベッドに驚いていたことは言うまでも無い。

 色々と明日問い詰められるだろうが、その時はきっと玲奈がどうにかしてくれるはずだ。

 とにかく今は眠い。早く寝床へ行こう。


 ふらふらと不安定ながらに足を動かしてなんとか自室の前までやってきた。落ちそうな瞼を必死に押し上げて扉を開ける。


「あ、湊くん」


「…なんですかこれは」


 俺の目の前にあったのはYESとプリントされたハート型の枕。それも、二つ。堂々と置かれたその枕はつっこんでくれと言わんばかりに異質なものだった。

 眠気と驚きでどうにかなってしまいそうだった俺は、訳も分からずその枕を手に取る。


「これは湊くんと私の新しい枕よ。雰囲気づくりにもちょうどいいでしょ?」


「…こういうのって普通Noバージョンもあると思うんですけど」


「湊くんと私の間にNoは存在しない。でしょ?」


 玲奈はにっこりと天使のような微笑みを浮かべた。眠気のせいか、何を言っているのかさっぱりだ。…いや、眠気が無くてもさっぱりだ。

 俺との間にNoは無い、か…


「…そろそろ俺のこと解放してくれますか?」


「Noよ」


 …あるじゃんNo。しかもちゃんと口で言うじゃん。


「あー…じゃ今日は別々に…」


「Noよ。絶対Noよ」


 絶対まで言っちゃったよこの人…なんでそんな真剣な顔ができる。矛盾に気づけ。

 …もう眠い。そろそろ限界が近づいてくるのが自分でも分かる。


「…寝ますか」


 玲奈はYESと書かれた枕は胸元にあてがって俺に返事を返した。

 照明のスイッチを押して消す。こっちのベッドで寝るのは久しぶりだ。少し狭い。

 もう当たり前になった寝る前のキスを済ませて、俺は彼女の胸の中で意識を手放した。

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