第21話二人

「はぁー!帰る時は身軽で楽ね〜!」


「色々持ってきすぎなんだよ…」


 苦笑を浮かべる俺の前で母さんは気分が良さそうな伸びをした。

 天気は雲ひとつ無い快晴。俺と玲奈は母さん達のお見送りにエントランスまで来ていた。

 あれだけ質問攻めでうんざりしていたというのに、いざ別れの時となると寂しく感じてしまうのはなぜだろうか。人間の意識の奥に刻まれた本能的なものでもあるが、家族という関係である二人を心の拠り所にしてしまっている自分がいるからだろう。自分はつくづく人に頼りっきりだ。


 望まなくとも時間は過ぎ去るものであり、それは不遜なる事実だ。過ぎ去った時間は戻せない。それは痛いほど実感したというのに、今だけはと思ってしまう。…あぁダメだ。どこに行っても俺は___


「…湊くん?」


「え、な、なんすか?」


 玲奈が恐ろしいまでに完成された笑顔で俺の顔を覗き込んできた。そのにこやかな表情とは裏腹に瞳の奥は笑っていない。

 きっと俺の思考を先読みしてのことだろう。流石の玲奈も母さん達の前では手を出してこないようだ。

 下に向きかけた思考をやめて俺は平静を取り繕った。


「きっと私達が行っちゃうのが寂しいのよね〜?」


「な、そんなことは…」


「別に無理に見栄を張らなくていいのよ。湊」


 図星を食らってしまってしまい、見栄を張ろうとした俺を母さんが優しい声でとどめた。栗色のその瞳には俺を優しく包み込んでくれるような母親の優しさと慈愛に満ちている。

 久しぶりに見た母親としての顔は相変わらず安心感に溢れていて、頼ってしまいたくなる感情に駆られた。


「一人暮らしで心配だったけど、今はこんなに素敵な彼女さんに恵まれているのだから困った時は玲奈ちゃんに頼りなさい。きっと貴方達はいいパートナーになるわ」


「母さん…」


 母さんが俺の手をとり、優しくそっと握った。その手は温かくて、懐かしく感じるようなそのぬくもりに俺は心の底から安心した。胸の内から広がる暖かな感覚に俺の心は安らいだ。


「さ、もう時間ね。それじゃ玲奈ちゃん、湊をよろしく」


「はい。任せておいて下さい」


「じゃあな湊。体には気を付けろよ」


「うん。父さんも気をつけて」


 そう言って母さん達はエントランスを出た。その背中をどうしても追いかけたくなるけど、そんな子供みたいなことはしない。なぜなら。俺には既にもう支えてくれる人間が一人、隣にいる。

 外に出たところでキャリーケースを引きながら手を振る母さんの姿が目に入った。こちらも手を振って返す。子供のように手を振る母さんに思わず微笑んでしまう。まったく、あの人は。

  手を振るその姿は曲がり角に消え、やがて見えなくなってしまった。残った余韻が心に染みる。


「…行っちゃいましたね」


「やっぱり寂しい?」


「いいや。…俺にはもう既に頼れる人が近くにいるらしいので」


 俺のその一言に玲奈は瞠目した。その直後、隠しきれない嬉しさが垣間見えるような笑みを浮かべて俺に身を寄せてきた。


「ふふっ、そう。存分に頼った方がいいわね」


「ま、たまには頼ってやりますよ」


 左腕に抱きつく彼女に俺は微笑んで返した。彼女の隣はやはり落ち着く。既に繰り返された行為により、俺の脳内は完全に彼女を心の拠り所として認めてしまっていた。いや、認めさせられてしまったという方が正しい。


「でも良かった…頼ってくれるのね。また一歩、湊くんのお嫁さんに近づくことができた」


 玲奈が満面の笑みを浮かべてそう言い放った。その笑顔は天使にも勝るほどの可愛さで、簡単に人を壊してしまうような破壊力を兼ね備え、それでいて長いまつ毛の間で輝く蒼穹を落とし込んだような瞳は繊細だ。天から授かったとしか思えない美しさの銀色に輝く髪色が彼女を更に上へと押し上げる。

 まさに天が作った最高傑作。その器に選ばれた絶世の美少女の純粋な満面の笑みを前に俺は硬直してしまった。


「…」


「どうしたの湊くん?…もしかして」


「…はっ、て、照れてない!」


「ふふっ、まだなにも言ってないわよ」


 …やべ。自ら図星を晒してしまった。こういうところが自分でも間抜けだと感じる…


「そんなに顔を赤くしなくてもいいのよ?頼ってくれて当然なんだから」


「…照れてないですぅー」


「案外可愛いのね」


「…」


 見透かされたような言葉をかけられた俺はなんだか悔しくてささやかな抵抗を試みるも、彼女にはいなされてしまった。どうやっても彼女には敵わないようだ。この調子だと自由を手に入れるのは今年中には無理そうだ。


「さ、中に入りましょ。少し肌寒いわ」


「そうしますか」


 朝方の外気はまだ肌寒く感じる。冬はまだまだ続く。どれだけ寒かろうと、彼女となら。

 手を擦る玲奈の手を取り、再び彼女の笑顔を堪能した俺は中へと戻った。

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